一番星を君と

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夜の6時。 夫が外から電話をかけてきた。 何で? もう少しで、うちに着くだろうに。 何ごとかと思いきや、西の空にビカッと光っているのは、何の星やと言う。 え? 何を言ってるの? 宵の明星に決まっている。 「金星でしょ」 「あんな光り方してたっけ? 俺が涙目なんか? えらく、デカい」 何やら気になるではないの。 私は、煮魚の鍋の火を止める。 「西の空に見えるんでしょ?」 スマホを耳に当てたまま、二階に上がる。 夫は、どこかに車を停めて見ているらしい。 「うん。うちに着く頃には、見えんくなるかもしれんと思って」 西の窓を開けて、確かめる。部屋に流れ込む冷えてきた風に、少し肩をすぼめる。 「やっぱり金星だよ」 「えー、そうかあ? 」 「まさか、UFOか? とか思ってるの?」 「いや、まあ、そんなことは。星とは思ってるけど、金星の光り方とは違う気がして」 金星は惑星だから、チカチカと瞬いたりしない。それは変わらない。でも肉眼で見ると、輪郭がボワッと滲んでいる。いつもの、カチッとした光り方ではない。まるで、水ぶくれのようなのだ。 「そう言われてみれば、いつもよりデカいかなあ」 「あー、金星なら、それでいい。もうすぐ帰る」 「うん」 夫はあまり納得していない様子だった。 私も愛想なかったかと思う。 せっかく話題を投げてくれたのだ。バッサリ切っては、もったいない。 それで、調べてみる。 すると、金星には周期があり、光の見え方が一定でないことがわかった。月のように、満ち欠けもするのだ。それも、あさっては一番光度が大きく、一等星の150倍も明るいらしい。 へー、そうなんだ。 理科の時間にそこまで習ったかな。 それさえ忘れている。 けれども、夫が聞いてこなければ、素通りしていたことだ。 世の中は、何で出来ているか。 それは、誰かが「何でだろう」と、疑問に感じたことで始まっている。 そして、とことん研究する。 それから、とことん試してみる。 そして、作り出されたもので出来ている。 金星の光り方の法則もそうだ。 誰かが、さっきの夫のように疑問に思い、観察を続けて導き出したのだ。 きっと、膨大な時間と忍耐力が必要だったと思う。そんなことが、何の役に立つと言われたかも知れない。 私はその研究者に敬意を表しつつ、必要なところだけかいつまんで、夫に伝えることにする。 私に電話をかけてきてくれて、ありがとう。 私に一番星を見せてくれて、ありがとう。 そうか。 世の中の夫婦の歴史は、こんな小さな積み重ねで、出来ていくのか。 これは、今日私が、発見した理論だ。 キュウリを刻む音が、リズミカルになる。 箸を並べながら、鼻唄が混じる。 どうやら、心にも金星が輝いたようだ。 もうすぐ、夫が帰ってくる。
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