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恋する損益分岐点ーゴールデン・サンライトー
「結婚って、どう思う?」
いつも通りの朝、いつも通りにカーテンを端まで目一杯に開けて、俺は意気揚々と振り返った。
アールグレイの香りがふわりと広がるダイニングで、白いパン皿を片付けている、そこにいるのは大切な彼。
朝の陽射しがくるくると回る中で、その頬は照らされていて、髪も瞳も光に透けてうっすらと茶色く見える。動きをぴたりと止めて、俺を見た姿は白い陽だまりのようで、こんな何気ない瞬間に、この胸はプリズムみたいになる。
「結婚という概念について?制度について?それとも個人的なもの?」
相変わらず言葉に正確さを求めるところも、俺にはない思考回路で、単純に好きだ。
綺麗に横に流した前髪、卵なりの小さな顔に、ツンと尖った鼻、うすい色の唇はかすかに開かれて、俺に何かを問いかけるよう。
出勤前の朝に、アイスグリーンのネクタイを締めて、白いワイシャツも清潔で。
五歳年上の彼は、初めて出会った時の衝撃のまま、俺にはずっと綺麗な存在。
「そりゃ個人的なもの、だけど?」
ぴたりと止まって、長い睫毛に囲われた瞳で、俺をまじまじと見据える。
「結婚――良いんじゃない?結婚すんの?」
ふっと目を反らして呟いた彼に、俺は目を輝かして頷いた。
「うんっ」
思い切り息を吸い込んで、ご機嫌で大きく返事をした。けれど、俺に向けられた視線は冷たいくらいに冷静な声だった。
「それはどうも、おめでとう」
ふいと真白なシャツの背を向けて、片付けに戻ってしまう。
「ん?何か他人行儀じゃない?」
少し拍子が抜けて、俺は慌てて、首元のネクタイをきゅっと締めながら駆け寄った。
「だって、腹決めたんだろ?親の希望通り、孫を見せるために結婚するって」
「えっ、はぁ?孫って、子どもは良次と俺じゃ、出来ないじゃん」
「だから、結婚するんだろ?」
どこか、話が噛み合わないような。
「えっ、俺、結婚するんだよ?」
「うん、だから結婚するんだろ?どうも、おめでとう」
「えっ、俺、誰と結婚すんの?」
「はぁ、バカなの?隼斗が結婚決めたんだろ。誰とするかなんて、俺が知るか」
「誰って、そりゃあ」
「誰とだよ」
「りょ、う、じ、と」
「……」
良次は一時停止していまったみたいに体全部を止めていたけれど、しばらくして涼やかな瞳を上げた。
「はぁ?」
「良次と、結婚しようかと思って」
瞳をくるりと回して、白い顔を覗きこむと、良次はその弓なりの眉をひそめるように寄せて、俺を上から下までみた。
それから、俺を白い指で、指差した。
「隼斗は男」
そして、良次は自分を指した。
「俺も男。今のところ、現代日本で同性で結婚する法はない」
きっぱりとそう言い切って、洗い物を終えてタオルで手を拭いて、辺りを見回してチェックしている。
「いや、だからさあ」
「日本国憲法第二四条一項、婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立し、から、この両性とは男女を指しているとされていて、現代日本の法律において婚姻は異性のみに認められている」
「お、おう」
「よって、結婚といえば、俺と隼斗のことは指さない。から、隼斗が女性と結婚すると思った。以上」
スーツの背広を鮮やかに羽織り、鞄を手にした良次を、通せんぼするようにダダッと駆けて、前に回り込んで止めた。
「ま、待ってって!ほら、結婚的な?あー、あれ、そうだ!パートナーシップ証明とか、あるじゃん!」
「自治体ベースでね。で、相手は俺なわけ?」
「当たり前だろっ。他に誰がいるんだよッ?なんかほら、将来を誓い合って、写真撮ったりさ、指輪交換とか――あっ、パーティーとかしようよ!」
良次は、綺麗な顔をしかめた。
「それ、してどうすんの?俺、そういうの嬉しくないけど。だいたい、無駄遣いばっかり考えて。それで、どういう得があるわけ?」
「得とか損とかじゃないじゃん!良次はそういうので考え過ぎ!ロマンじゃん」
「隼斗は気分で動き過ぎ。だいたい、家計管理してんの、俺なんだからな。隼斗に出来るのかよ。すぐ貯金まで遣うくせに」
俺は言い返せずに、ウッと詰まった。
事実だから、仕方ない。
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