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こうして良次と暮らすまでは、俺は貯金という概念もなく、手にしたお金を遣って生きていた。
良次とは、俺が今の会社に営業として入社して、運命の出会いを果たした。
営業報告書を出しに行った際の、良次の姿は今でも思い出せる。
書類を差し出して、内容を噛み砕くようにゆっくりと俺に説明する姿は丁寧なのに、その表情と声は冷たくて、硬かった。
「入社されてから改善されるかと思って見ていましたが、書類に空きがあり過ぎます。営業だから書類に手を抜きたい、あるいは単純に処理作業ができないのは、分からなくもないですが、最低限はちゃんとした方が良いですよ」
新米の俺に、経理として伝えてくれた良次を見返して、俺は胸を射抜かれた。
長い睫毛の深い二重の瞳は、きらり知性の光を宿していて、冷静な立ち居振る舞いは大人の社会人に見えた。
「あ、あの、すみません。すぐやり直します!」
「はい」
「あっ、あの――俺に、教えてくれませんかっ」
言ってしまってから少し慌てた俺に、良次はふっと微笑んで頷いてくれた。
初めて見た微笑は、さっきの硬い態度からふわりと優しく広がるようで、その綺麗さに見惚れた。
俺と同じ、同性が好きなんだって分かった時には、飛び上がるように嬉しかったし、二八歳だった良次にはなかなか相手にされなかったけど、頑張ってアタックし続けた。
いつも清潔な白いシャツの衿から伸びる白い首筋に触れたくて、いくら言葉を重ねても足りなくて、俺を受け入れてくれた時は、ひどく感動した。
こうして良次と暮らすようになって、まるで欠けていた月が満ちたみたいで、この生活は陽だまりの温もりみたいで。
「だいたい、パーティーって何だよ?隼斗のために晒し者になる気なんてないし」
「晒すとか、そういうんじゃないから!俺はただ、大好きな良次とのことを友だちにも祝って欲しくて――」
「だいたい、親はどうすんだよ?」
「えっ……?」
俺は、何も答えられずに、頭も体もフリーズした。
「同性が恋人なのも、俺と同棲していることも、何も言ってないだろ?孫の期待とか、どうすんだよ?」
「えっと……」
俺は所在なく、シュンと項垂れた。
「俺は、隼斗に対してちゃんとしたと思うけど。自分のこともカミングアウトしたし、両親にも隼斗を紹介したし、こうして同棲することもちゃんと理解してもらうまで話し合った」
「はい、そうです……ご両親と一緒にご飯もタベマシタ……」
俺はだんだんとヘナヘナと元気がなくなって来て、体から力が抜けていく。
「パートナーシップとか以前の問題じゃない?ロマンだとか、そういう地に足の着かない夢みたいなことばかり言って」
「だって!良いじゃん!夢見たいじゃん!」
「いい加減、そういうとこ大人になれよ。まあ仕方ないか」
良次が形の良い唇で深い嘆息をついたから、俺は自分の髪を両手でかき乱した。
「あっ!今どうせ年下だしな、とか思っただろ!」
「あー思った、思ったよー」
「もう、そういうの腹立つ!もーこんなに可愛いくせに!」
「はあ?」
良次は頬を染めて、何度も瞬きして、反撃する言葉を探している。
俺はその首筋を片手で引っ掴んで、片手で白い頬を逃げないように囲って、何か言おうとした唇に、キスを落とした。
唇を重ねると、良次は抵抗せずに、行儀よく瞳を閉じて、ゆっくりと俺の唇を受け入れた。
この甘い唇も、この愛しい心も、ずっと掌の中で大切にしていきたい。
二人で額をくっつけて、朝の光の中、密やかに呼吸をして、静かな瞬間が過ぎていく。
「俺さ――ちゃんとする」
「ん……?」
俺は決意した。
「俺、やる男だからなっ。良次が何も言えないくらい、ちゃんとしてやるッ!親にだって言う!そんで、認めてもらったら、俺とずっといる約束してくれるんだよな!ぜってぇ文句言えないくらいしてやるッ!」
大声でそこまで止まらずに、はあはあと息を荒げて言った俺に、良次はビックリしたように瞳を見開いて俺を見ていた。
微かに動揺している良次のうすい肩を引き寄せた。
深くもう一度キスをして、これから会社ではただの先輩と後輩として過ごすために、この俺だけの良次をしっかりと心に刻み込んだ。
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