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「で、あなたが、うちの隼斗をたぶらかしたんですか」
「た、たぶ……えっ?なんで、そういうことになるんだよ!」
俺は、母ちゃんに向かって思わず叫んだ。
隣で、良次はきちんとスーツを着た姿で、静かに座っている。
一緒に暮らしている人を連れて来る――両親にはそう言っていた。
それで、玄関先で良次が挨拶を丁寧にしてくれた時には好感触で、だからオッケーなんだと思っていた。
「一緒に暮らしている人だなんて言うから、結婚相手のお嬢さんかと思ったら、この方で――ルームシェアでお世話になっているんだと……そしたら、付き合ってるって、どういうこと?隼斗はそんなんじゃないわよね?そんな風なこと、ちっとも今まで言わなかったじゃない」
うすいピンクのブラウスに、いつもより念入りに化粧をしているように見える母ちゃんの顔は、心なしか青ざめて硬かった。
実家のいつもの木製テーブルに良次が座っていて、それは嬉しい光景なのに、ただ静かにしている良次の姿に、鼻の奥がつんと熱くなってくる。
親父は何も言わずに、腕組みして、難しい顔をして下を向いている。
「今日は、結婚相手を連れてでも来てくれるんだと思ってたわ……隼斗は、ずっと普通だったじゃない?ねえ、そうよね?それを、この人が引きずりこんだのよね?」
「良次は、そんなんじゃない!」
「申し訳ありません。今までご挨拶もなく――」
「だ、だいたい同棲ってどういうこと?あなたが、隼斗をそうさせたの?」
「申し訳ありません」
静かに良次が頭を下げかけたから、俺は慌ててそれを止めて、思わず自分でもビックリするくらいの大声で叫んでいた。
「もう――やめろよ!」
「隼斗、だって、この人が……」
「俺が、良次を、好きになって!頼んで、付き合ってくれたんだ!俺が同棲してくれって、頼んだんだ!俺、結婚するよ?そう、結婚相手だよ!良次が!俺が好きになって、付き合ってもらって、同棲してもらって、そんでずっと一緒にいて欲しいんだ!」
俺は荒くなった呼吸をそのままに、肩で息をした。
母ちゃんはただ面喰ったように、目を白黒させて、叫んだ俺を呆然と見ていた。
「え……えぇ?結婚……?え、この人が、お嫁さんになるってこと?」
「あの、すみません。自分はトランスジェンダーじゃないので……お嫁さん、ではないです」
「結婚て……夫と妻になることよ?」
「自分たちの場合は、夫と夫、でしょうか」
「わ……わからないわ!わかりたくないわ!」
「まあ、あと、厳密には結婚はできないので。パートナーシップ証明でしょうか」
「な、何なの、それ……」
「ニュースでやっていただろう。それくらい読むか見るかしないのか」
ほぼ初めて親父がうっそりと口を開き、その場の全員が、親父を見た。
「今日は、家内も混乱しておりますので。お話はいったん引き取らせていただいて、お帰り願えないでしょうか、坂月さん」
「はい。わかりました」
良次は親父に向かって、ゆっくりと頭を下げた。
「坂月さんの、ご両親はご存知ですか?」
「はい、前から同性愛だということも知っておりましたし。両親と、隼斗さんと俺とでお食事も一緒にさせていただいています」
「そうですか……」
親父は深い溜め息をついた。
「本日は、突然にお邪魔をいたしました」
良次はもう一度、丁寧に頭を下げて、椅子を引いた。
帰るんだ、とわかって、俺も慌てて立ち上がった。
「隼斗、あなたはここに残りなさい!」
「え……」
「じゃあ」
良次は澄むほどにかすかな微笑を浮かべて、俺に背を向けた。
静かに実家を出て行く姿に、俺はいてもたってもいられなくなった。
「ごめん!また来るから!」
「ちょっと、隼斗!」
俺は伸ばされた手をひらりと避けて、叫ぶ声を背に、実家を飛び出していた。
「良次!」
人々の行き交う大通りで、振り向いた良次の表情を、永遠に忘れない。
スローモーションみたいに、どこかぼんやりと、それでいて何か信じられないように見開かれた美しい大きな瞳。
「帰ろう!」
俺の心を初めから揺さぶった、星宙をたくさん秘めたみたいな、たった一つの大切な瞳。
その細い指に指を絡めると、どこか逃げるようにしたから、俺はしっかりと掌を握った。
「ここ、外だって……」
「構わないじゃん!俺たちは、何もおかしいことしてないのに!」
「あ……」
うつむく良次の手をしっかりと引いて、俺たちの暮らす部屋へと帰路を急いだ。
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