1.事の始まり

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それは五日前のことーー 久しぶりに実家に帰ると母に電話で告げれば、母は盆でも正月でもない帰省を珍しがり、何?婚約相手でも紹介してくれるの?アンタももう三十だものね、などと言ってきた。 俺は二週間の出張で大きめのキャリーバッグが必要になったから取りに帰るだけで、そんな予定は当面ないときっぱり否定した。 なんだ残念、と母は笑って、実家に来るついでにと頼み事をしてきた。本屋で何か面白そうな本を買ってきて欲しいと言う。 実家近くの駅ビルに入っている本屋に行ってみた。 自分が子供の頃、こんな綺麗な駅ビルはなかった。駅前にはパチンコ屋とチェーンの食べ物屋と、小さな個人商店があったくらい。 本屋もあった。「前田書店」と書かれた赤い日よけを覚えている。長年の風雨の跡で薄汚れていた。今その場所は駐車場になってしまったが。 休日の駅ビルは人で賑わっている。本屋なんて久しぶりに来た。普段本は読まないし、続きが気になって読んでいる漫画も電子書籍で買っている。 面白そうな本……何か賞を獲ったやつを適当に買っていけばいいか。店先の一番目立つ棚に平積みにされている本を一冊選ぶ。 その時、背筋をぞわりと何か冷たいものに撫でられたような感覚に襲われ、思わずうわっと声が出た。すぐに後ろを振り返ったが何もない。近くにいた人に怪訝(けげん)な顔をされたので、そそくさとその場を立ち去った。
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