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3.心のままに
ーー小さな子供の泣き声がする。
床に散らばったおもちゃ。壁に貼られたクレヨンの絵。見覚えがある。俺が小さい頃通っていた保育園の教室だ。
日が落ちた後なのだろう、窓の外は真っ暗だ。教室の灯りも半分消されている。残る子供はたった一人。
「大丈夫よ、真ちゃん。お母さん、もうすぐお迎えに来るからね。」
泣きじゃくる子供を抱き、背中をポンポンと優しく叩いているのは先生だ。その日は母の仕事の都合で、元々迎えが遅くなる予定だった。俺はそんなの慣れっこだったし、大好きな車のおもちゃを独り占めして遊べるので、機嫌良く待っていたと思う。
しかし、勤務先からの電話で今から保育園に向かうと一報が入ってから、結構な時間が経ったのに母は現れず、だんだんと心細くなってしまったのだ。先生は、お母さんはきっと今電車に乗ってるよとか、駅から自転車に乗ってこっちに向かってるよとか言って俺を慰めてくれたが、一度生じた不安は消えてくれない。お母さん、僕を置いていなくなっちゃったの。
母が保育園に着いたのは夜八時を回ったところだった。なんでも人身事故の影響で電車が止まっていたらしい。その頃は携帯電話もさほど普及していなかったので、連絡する手立てもなかったのだ。
母は駅から全速力で自転車を漕いできたらしく、抱きしめてくれた体は温かく汗で湿っていた。母の存在が確かなものに感じられて、しばらくの間縋り付いて泣いた。
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