闘犬の牢獄

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 男は鎌倉幕府最高権力者でありながら、何一つ持ってはいなかった。  時代は北条家が支配する鎌倉末期。治政は乱れ、新しき世を望む後醍醐天皇は、国家転覆を謀っていた。幕府の重鎮たちが議論に集うが、そこに統治者の姿はない。北条高時(ほうじょう たかとき)である。  差し迫った事態にも声ひとつかけられず、自室にて、よく躾けられた犬のように座っていた。その高時を見下ろすように立っている男がいる。長崎円喜(ながさき えんき)である。  幼き日よりのお目付け役。高時の家臣でありながら、理のすべてを高時に教え込み。立ち居振る舞いに至る所作のすべても体に叩き込んできた男。 「闘犬など、なされてはいかかでしょうか?」  物腰の柔らかい円喜の言葉。その表情はいつも福笑い。だが、要件は闘犬を促すもの。幕府の危機に高時は必要がないらしい。相手をしている暇がないから、闘犬でもして遊んでいろってことである。  円喜にとって高時は、己が権力を牛耳るためのお飾り。求めるものは天皇のような象徴としての存在であって、口を出すことなどあってはならない。 「そうじゃな。ちょうど、そう思っていたところであった」  高時は円喜の思惑に従うのであった。幼き日より円喜が正しいと躾けられてきた。疑問に思ったところで、抗うことは許されず。抗うほどの才覚がないのだと、暗示のように言い聞かせられてきた。  されど、高時は16歳。利用されていることはわかっている。円喜の作る世界が終わりへ向かっていることも、何かしなければならないことも。そして、それを成すのが自分自身でありたいとも思っていた。されど、今はその術を知らない。  円喜は袖口から手のひらに余るほどの紙包みを取り出した。それは金である。高時は己で自由に扱えるお金すら持ってはいなかった。
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