博麗の巫女

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 しかし、修市からはさとりに対する畏れは全くない。記憶がないから、さとりが覚妖怪である事を知らないからなど理由があるにしても、さとりにとって、その事は二の次であり、自分の所で世話になりたいという所だけがピックアップされ、それが嬉しいのだろうと、さとりの表情から霊夢はそう読み取った。  だが、現実はそんなに甘いものではない。現に、さとりは重大な事を忘れている。いや、敢えて認識しないでいるのかと思える程に、今のさとりに一言注意しなければいけない事柄があった。それは言うまでもなく、修市の能力についてである。  僅かな遣り取りだけだったが、修市には何かしらの能力に目覚めている事は、さとりが思考を読み取れない段階で気付いていた。恐らくだが、修市の能力は相手の能力を封じるタイプのものだと判断できる。  今は能力が独り歩きをしているのか、本人はそれを認識していないが、仮にそれを認識した場合、それを悪用する可能性も十分にあり得るのだ。その一環として、覚妖怪としての能力を封じられているさとりが最も危険なのではと、霊夢は思っている。  覚妖怪の本分は、思考を読み取る事にある。思考を読み取り、相手より優位な立ち回りをする事で、地底においてもその地位を確立したようなものだが、単純な身体能力では妖怪はおろか、人間よりも非力である彼女は、修市が何か企み事をしていた場合、それを防ぐ事が出来ないのだ。  更に、霊夢は修市が同室していた場で伝えていなかった事がある。それは、修市の他にも、何かしらの能力に目覚めた外来人が数多くいるという案件だ。まだ覚醒した能力に関して公にされていない外来人も数多くいるが、それでも元々何処にでもいる人間が、幻想郷に流れ着いただけで能力に目覚めるなど、そうそうある話ではない。  他にも、知識ある者が人里を発展させた事例の他に、武芸に長けた者や特殊技能に特化した者も流れ着いているなど、これまでの幻想郷に流れ着く外来人から考えると有り得ない実例が数多く取り上げられているのだ。  外来人本来の役割は、妖怪の贄になる事である。これまでも、多くの外来人が外の世界から流れ込み、その多くが妖怪達の贄になってはいたのだが、こうして生存して、人里に保護されるなど、何かがおかしいと霊夢は感じていたのだ。  自力で妖怪達の住処から抜け出し、彷徨い、人里に流れ着く。言葉で言えばそれだけだが、それが出来ること自体、此処に流れ着いた外来人は妖怪達と対等か、若しくはそれ以上に渡り合える能力を備えている可能性も十分にあるのだ。
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