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 しかし結局、露子が入内することはなかった。そして三年経った今もまだ、独り身だ。雨子はさめざめと泣きながら、 「わ、わたくしがぁ、あんなときに声をかけなければぁ、今頃姫様はぁ……!」  と後悔の弁を述べる。  美人の条件は長くて黒い髪の毛が絶対だ。女として生まれたならば、出家するとき以外髪の毛を切るなどということはありえない。  けれど髪に大いなる悩みを抱えた露子は、傍目にはわからないように、長さは変えず、量だけを減らしていた。ばれる度に怒られていたが、別に外に出るわけじゃないんだから、とまともに取り合ったことはなかった。  とはいえ入内するとなれば、さすがに自由にはならないだろう。ならばその前に、少しさっぱりしておこう。露子は小刀を取り、慎重に長さを吟味して押し当てた。  そのとき雨子がいきなり部屋に入ってきて、悲鳴を上げた。そのせいで露子の手元が狂った。  予定よりもばっさりと短くなってしまった髪の毛の束に、さすがの露子も絶句した。これではまるで、尼ではないか。いやちょっと待って、まだ世を儚んで出家するつもりはない。しかしこんな状態で入内することなんて、到底不可能だ。  と、いうわけで露子の入内はなくなった。そのときの父の落胆ぶりといったらなかった。げっそりと痩せてしまった父の顔は、皮が余ってぶるぶると揺れていた。   「私はいいのよ。入内したところで、帝に呆れられるだけの話だったでしょうし」 「姫様ぁ……」 「ま、ここまで独り身できたら、後は本当に、出家するしかないかしらねぇ」  髪の毛の長さは三年で戻ったし、父も元通りにぶくぶくと太っていたが、露子の心の中にできた小さな傷は治らない。  周りに振り回されて、一瞬だけ帝の妻を夢に見た。周囲は勝手に期待して、入内が叶わないとなれば落胆し、露子以上に傷ついた顔をした。  露子は脇息(きょうそく)に寄りかかった。身の回りの世話をする(わらわ)を呼びつけ、火鉢に炭を追加させた。  ぱちぱちと赤く燃えている炭が、次第に白く醜い灰へと変わっていくのを、露子はただ見つめていた。 「……この世のものは、すべて無常だというなら」  誰かととこしえの愛を誓ったとして、本当に愛し合ったままでいられる? 美しい女性は、老婆になっても美しい? 逞しい男は、年老いても逞しい? 答えは否だ。 「結婚なんてもう諦めて、とっとと出家した方が心安らかにいられるのかも、なんてね」 「姫様」 「雨子はついてこなくていいわよ。あなたは私と違ってモテるんだから、ちゃんと結婚して、子供を産んで、そして私に見せてちょうだい」  姫様、とうるうるし始めた雨子は感極まって、「私も姫様とともに尼になりますぅ!」と、叫んだ。麗しい姉妹愛に傍からは見えるだろう。    二人の間では日常のやり取りで、雨子は毎回露子が、「出家しようかなぁ」と零すのを冗談だと思っているが、いつだって露子は本気だ。信心深いわけではない。神も仏も天も、露子にとっては、等しく存在の不明なものでしかない。  ただ、女が結婚しないでいることに対する世間からの誹りと比べれば、出家して「若いのに」と思われた方が、まだ気分がいい。ただそれだけの話だ。  自分の世界に浸っている雨子と二人でいると、聞きなれたどたばたという足音が響いた。三年前よりも一層重くなり、音だけではなく、地響きまでおまけに加わっている。 「露子!」 「なぁに、お父様」  既視感があった。勘違いではなく、父の紅潮した顔は、三年前のあの日と同じだ。  父は目を細めて、高らかに笑った。 「お前の縁談が決まったぞ!」
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