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 そこから先はまさしく怒涛の二月(ふたつき)だった。たくさんの嫁入り道具を、限られた人数の使用人たちは用意しなければならなかった。特に女房たちは、自分の家の姫が先方で馬鹿にされてはならない、と新しい衣を縫い上げていた。 「私も手伝おうか?」  自分が着るものだし、と申し出た露子だったが、雨子はぶんぶんと首を横に振って拒否した。 「これは我々、姫様にお仕えしている女房の矜持を賭けた戦いなのです!」  雨子が拳を握ると古参・新参問わずに女房たちがうんうんと頷いているので、そういうものか、と露子は肩を竦めた。 「それに姫様、あまり縫物はお得意ではありませんでしょう?」  痛いところを突く。生活上、裁縫は必要だから率先して行うものの、器用とはいえない。手は針で刺してぼろぼろになってしまうのが常であった。 「新しい衣が着る前から姫様の血で汚れるのは嫌ですよ、私」 「わかったわよ……もう、失礼ね」  そうやって毎日が過ぎ去っていく。一枚、一枚と、夜の藍や夕日の茜、春の萌黄(もえぎ)に氷の薄色と、色とりどりの衣が縫い上がっていくにつれて、露子にもようやく自分が結婚するのだという自覚が芽生えていった。  俊尚(としひさ)様はどんな方かしら。露子が知っている情報は、陰陽寮の(かみ)を務めているということくらいだ。元皇族、という位からすれば低すぎる役職だが、彼は頑として陰陽寮の仕事を譲らないらしい。  それだけでも相当の変わり者だと露子も思うが、父に勧められて出した文の返事がまたすごかった。  恋愛感情などこれっぽちもない。恋の歌を贈るのも変だろう、と露子は普通に文章で、自分は占いをこれっぽちも信じていないことをしたためた。 『あなたたちのことなど信じていないし、三日三晩通って餅を食べて、とか、後朝(きぬぎぬ)の文とか、そういうのも面倒です。こんな私ですが、本当にあなたは嫁に来てほしいというのですか』  試すような気持ちが、なかったとはいえない。また破談になるようなことを言っている自覚はあった。けれど遅かれ早かれ結婚してしまえば、露子の性格はすぐに露見する。ならば早い方が、お互いに受ける傷も少ないだろう。  返事はすぐだった。丁寧で骨太な字で、「構わない」と一言だけ書いてあった。  構わない。その言葉の意味を露子は、文をじっと見つめて考えた。彼の言葉の指し示す内容は、どこまで含んでいるのだろうか、と。  返事を持ってきた童に、露子は御簾(みす)の内から声をかけた。零細とはいえ貴族の露子と彼は、言葉を交わすようなことはあってはならない。だがそんなしきたり以上に、露子にとては結婚相手の真意を探る方が大事だった。  「ねぇ、あなたの主人って、どんな人?」  声をかけられると思っていなかった童は、「どうって……」と言い淀んだ。 「私、占いなんて信じないって言ったのよ? なのに構わないの? そういう人なの?」 「……そうですね。とても、我が主らしいと、そう思いますよ」  童は言葉を選びながら言った。その声は高く澄んでいて、聞く者が露子でなければ、まるで仏の御使いのようだ、とでも形容したかもしれない。 「主人は京を……帝をお守りしたいと思っているだけですから」  変な人。暦に示された吉凶を守らない、陰陽師からすれば罰当たりな女をわざわざ好んで嫁にするんだから、きっと相当な不細工なんだわ、と露子は思った。  落胆するよりも、気持ちが楽になった。今の帝は、美男子として世間では名が知れている。そんな人の兄君であると聞けば、どれほどの美丈夫なのかと緊張していた。  けれどそれほどに顔がよく、家柄も申し分ない男が三十歳まで妻を娶ってこなかった、なんてありえないではないか。絶対にどこかに欠陥を抱えているに違いない。  似たような悩みを抱えているかもしれない。それなら仲良くなれるかもしれないわね。そんな風に考えていた露子だったが、実際に嫁いでみて、その考えは間違っていたことが判明するのだった。
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