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「それで? ……腎臓か、角膜か、どっちだよ。何なら全部くれてやるぜ? 買値はいくらになるんだ」 薄暗い事務所の隅に佇む男に、俺は声を荒げて詰め寄っていた。 「ん〜? そんな商売やってませんよ? ……今時そんなの流行りませんて」 飄々とした笑顔でこちらを向いた男はサングラスをかけており、表情は伺いづらい。 黒髪の短髪。左の横髪だけを一筋伸ばして、紐で括っている。 闇社会の人間にしては随分と若い。 ---2日前の夜、娘を見舞った病院の駐車場で拾った名刺に電話をかけると。 指示されたのは、都内でも建物の入り混じる下町だった。 土曜日の午後。 古い家屋で入り組んだ細い道を、迷いながら辿り着いた先にその事務所はあった。 看板や店の名前を示すものは何もない。 そりゃあそうだ。こんな後ろ暗い商売をやってる店。 にゃーん。 突然、足元で聞こえて来た声に飛び上がりそうになる。 見下ろすと、少し白い毛の混じった黒猫。 ここの飼い猫だろうか。 追い払うと、離れた先には別の白猫がいた。 その視線を振り切り、ドアを叩く。 どうぞ。という声に誘われて、恐る恐る入った建物の奥にそいつはいた。 チリリン、とドアに付けられていた鈴が鳴る。 「いらっしゃいませ。時とお金を売り買いする店『時間屋』へようこそ」 ……多分、隠語の類か? 今のご時世、どこに隠しカメラや盗聴器があるかも分からない。 大金をやり取りする可能性から、ボイレコでも持ってることを警戒されているのかもしれない。 だがとにかく早く金が必要なんだ。 ここで不信感を持たれるわけにはいかなかった。 「腎臓でも角膜でもないなら何だ。こないだ受けた健診でも問題はなかった。身体年齢は10歳若いって言われたくらいだ」 「とりあえず内臓から離れてくれませんかね」 明治時代の洋館を思わせる、艶のある木材の安楽椅子に腰掛けて男は言った。 デスクにはダイヤル式の黒電話。 誰も読んだことになさそうな百科事典が詰められた本棚の横には、レコードの再生機が置いてある。 骨董品屋でしか見かけない品々で満たされたそこは、過去が切り取られて取り残されてしまったような部屋だった。 「名刺見て、ウチに来てくださったんでしょ」 「そうだ。俺には金が必要なんだ」 「なんでまた」 「……娘の手術費用だ」 1人娘の愛梨は、子どもの頃から心臓が弱かった。 何とか小学校に上がって、落ち着いて来たかと思った矢先。 再び体調を崩し、入院して再検査したところ、早急な手術が必要なことが分かった。 子どもの心臓移植は、現状国内ではとても難しいらしい。 可能性があるのは海外での心臓移植手術。 だが、臓器移植を支援する団体に試算してもらった数字は想像を遥かに超えていた。 なんと3億円。 当然ながら、そんな金はうちにはない。ある方がおかしい。 「なるほど」 簡単に事情を説明すると、男は納得したと言うように1つ頷いた。 「容体は今のところ落ち着いているが、いつ急変してもおかしくない状態でな。手術は早いほど成功率が高いって言われてるんだ」 「そのために内臓まで売ろうと?」 「保険には入ってるから自殺も考えたさ。でもどんな死に方をしても娘のことですぐにバレる。そうしたら保険金は入っても少額、最悪死に損だ」 「募金活動とかありますよね、何々ちゃんを救う会とか」 「1億くらいは集まってるけど、あと2億も集まるのを待ってる時間がない。急変しちまったら取り返しがつかないんだ」 「ふぅむ」 男はしばし考え込んだ後、改めてこちらの顔を見直した。 「ちょっと金額が大き過ぎるので、査定が必要ですね」 「なんだって?」 「あなたの残り寿命がどれだけあるかで、買い取れる時間は変わってきますから。まずは調べさせてください」 「……お前は何を言ってるんだ?」 「早くお金が欲しいんでしょ? だったら横になってください。話しても信じないだろうし、百聞は一見にしかずですよ」 指された骨ばった指の先には、ソファがあった。 「腎臓と角膜売ろうとしていた人が何怖がってんですか。ここにあなたの臓器取り出して保管できる容器や器具がありそうに見えます?」 古びた骨董品の数々。 黒電話。百科事典。レコードの再生機。 ---腹をくくった。 「じゃあやってみろよ。俺の時間の価値とやらを査定してくれ」 「……必要な同意はされましたね。では、ゆっくりと目を閉じて」 男の手が肩に伸びてくる。 その冷たく長い指が額の真ん中に触れた途端、俺は意識が闇に沈むのを感じた。
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