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<3>
パチリと目を開けた。
「………!」
咄嗟に記憶が繋がらず、ガバッと身体を起こすと。
「はい、お疲れ様でした」
のんびりとした声がこちらに向かって投げられる。
部屋が薄暗い。窓の外は真っ暗だった。
「俺は……眠っていたのか?」
「いいえ。『時間を奪われた』んですよ」
意味が分からず、ソファから起き上がって男に向き直る。
「どうぞ」
デスク越しに座った男が、釣り銭でも渡すような仕草で差し出してきたもの。
「3万円……?」
「今ね、あなたの時間を6時間ほど買い取らせていただきました。時間相場ってのは……ああ、文字通り時間の価値っていうのは、当然上下するんですけどね。現在の価格だと約5千円なので、買取価格は3万円になるんです」
寝ていた……?
いや、それにしては「一瞬過ぎる」。
普通に寝ていたら身体が休まっていたりだるかったりで、何らかの感覚があるものだが。
文字通り「記憶が飛んだ」という気分に近かった。
つい今さっき、この男の指先が額に触れたと思ったのに。
---コイツは「本物」なのだろうか。
ここに来たのは確か、まだ明るい午後3時過ぎ。
そして今、腕時計の針は午後9時を回っていた。
「お望み通り、時間を買い取って差し上げました。これで信じてくれますかね」
「ど、どうやったんだ……? 買い取ったって時間はどこにいっちまったんだ」
「貯めてありますよ。あなたとは逆に、時間を買いに来るお客様もおみえになりますので。うちは時間の売り買い、両方やってますから」
「どうやって!?」
「それは企業秘密です」
キッパリと言い切り、男はしーっと言って人差し指を口に当てる。
………受け取った万札。
抜けた時間の感覚。変わらない身体の感覚。
こんな。こんなことが、本当に。
---いや。そんなことは。
勘ぐっている暇は、自分にはないのだ。
「分かった。あんたの商売に詮索をする気はない」
「ご理解いただけて幸いで」
「なら、アンタから時間を買うこともできるってことだよな?」
「勿論」
「……なら、」
「娘さんのために時間を売ってくれ、ですか? それは無理です。時間のやり取りは『本人』としかできないんです。寿命を伸ばしたいなら、娘さんとわたしが取引しなきゃいけない。この店の中でしか売買できないので。というか、お金がないからここに来たんでしょう」
娘を、ここに連れてくる?
そんな危険なこと、できるわけがない!
「なら、査定額はどうなった。俺の余命を査定すると言っただろ、その金を使って手術をする!」
「それなんですけどね」
男はふうと一拍おいて、気落ちしたようにため息をつくように告げた。
「約10万円てとこです」
「は?」
咄嗟に手の中の紙幣を二度見する。
「どういうことだ? たったの数時間買い取ってくれて、3万もくれたんだろ?」
「単刀直入に申し上げますと」
男は心底残念だと言わんばかりに首を振った。
「あなた、もう寿命がないんですよ。あと1日程度でお亡くなりになるみたいで。原因は知りませんけど」
「……どういうことだ」
「時間を商売にしてる仕事柄、売主さんの余命は分かるんです。さっきあなたの時間を少しだけ買い取った時に調べたら、すぐに死亡されると分かりまして」
そんなことだと分かっていれば、6時間も取らなかったんですけど。
---俺が? もうすぐ、死ぬ?
「嘘つけ。何でお前にそんなことがわかる」
「お答えしかねます。時間に関するうちの技術に関しては、一切企業秘密なので」
男の笑顔が歪んで見えた。
背中にゾッと悪寒が走る。
「---それでですね。1つ、わたしの方から提案があるのですけれど」
---ピルルルルッ。
男が口を開きかけた、その瞬間。
空気の冷たくなった部屋に、無機質な電子音が鳴り響いた。
どうぞ、と頷いた男に背を向け、俺はスマホの画面を開いて通話ボタンを押した。
……通話相手の名前を見た時には、何が起きたのかを察していた。
電話の向こうから聞こえる、緊迫した声。
俺は反射的に店を飛び出すと、転げるようにその場から走り始めた。
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