真夏日

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季節外れの真夏日に、誰も彼も参っていた。 「…なんか、ごめん」 冷房の効いた車内で、握ったハンドルに額をつけてうなだれる彼も、多分。暑さで少しやられている。 「いや、別に。笹倉さんが謝ることなんもないですよね」 5月の35度は想定外だし、5月の屋外バーベキューは、おかしなことでもなんでもない。 「いやでも、こんな中バーベキューとか死んじゃうよ」 「笹倉さん内勤のもやしっ子だしね。俺割と平気です。運動もしてるし」 肉、楽しみだな。肩をすくめて告げると、彼はガバリと身体を起こし、一瞬、恨めしげな目でこちらを見たものの、すぐに前方に視線を戻し、運転する態勢に戻る。 「荒木くん、オレのこと舐めてるよね」 「そんなわけないじゃないですか。すごい頼りにしてるんですよ、先輩」 嘘つけ、と唇を尖らせる仕草は、年齢不相応で。今日迎えにきた時には、暑さのせいで色白の頬がいつもよりも赤く色づいていて、少年のようだったと、ふと、そんなことを思う。 頼りにしているというのは本当で、営業開発部で笹倉がサポートしてくれているからこその売り上げ好調だということは、誰に言われるまでもなくよくわかっていた。年数としては2年先輩に当たるが、外勤営業一辺倒の荒木に比して、営業畑を渡り歩いた笹倉の知識の幅は年数以上のものがあり、本当に勉強させてもらっている。 「…ていうかね、それ以外もごめん」 前を向いて運転を続けながら、笹倉はさらに、おずおずと口を開いた。それ以外。 「あぁ。俺がゲイって知ってて合コンのメンバーに入れたことですか?それなら別に、俺は気にしないんで、大丈夫です」 いや、ほんと、ごめんなさいと、笹倉は消え入りそうな声で呟いた。 多分、さっきも本当はこれを謝りたかったのだ。今向かっているバーベキューの目的は、合コンだった。社内合コン、といえども、荒木が直接知っているのは笹倉しかいない。 大体の流れは想像できる。恐らく、同期かどこかから合コンの話が回ってきて、基本的に断れない笹倉は自然参加することになり、人数合わせに一人連れてくるように言われて、同年代で声をかけやすい荒木を誘ったのだろう。ゲイだと知っていたのに。 「しかも別に、隠して誘ったわけじゃないでしょ。俺ちゃんと合コンだって知ってて来てますし。うまい肉食って、昼から飲めるの最高だし」 だから、運転が笹倉なのは、彼なりの罪滅ぼしなのだ。無神経なくせに、変なところで律儀だったり。そういうところが可愛いんだよなと、思うけれど、言いはしない。 「…いやでも…やっぱこういうのってダメだよな…」 割と本気で反省しているらしく、ため息をついて肩を落とす。バーベキュー会場まではあと少し。少し前から山道に差し掛かっており、信号はない。 新緑というにはやや緑が濃さを増した木々が、夏に見まごう日差しの元で、キラキラと輝いている。真昼の明るさ。清冽な煌めき。 荒木は、車に乗り込む前に買ったコンビニのアイスコーヒーを一口すすり、氷が溶けきって薄まった苦味を、舌先で転がした。 「…そんな悪いと思ってんなら、いっぺんヤらして下さいよ」 真昼の明るさ、清冽な煌めき。隣の男の頬に、ふわっと朱が上る。朝と同じ、柔らかな色めき。可愛いなと、思う。このヒト、反応がいちいち可愛いんだよな。だから、いたずらしたくなる。 「そっ、れは…チョット…」 「無理?多分ね、俺結構うまいですよ?研究熱心だし、笹倉さんのためにめちゃめちゃ尽くすけど、どう?」 水っぽいコーヒーを片手に、運転席の彼を口説く。半分冗談、半分本気。 そもそも、笹倉がなぜ荒木の秘密を知っているかといえば、荒木の想い人が笹倉だからなのだ。最初の告白から1年。1年、仲良くやっている。どういうわけか。 「…尽くすって…」 頬に掃いた朱色は徐々に広がり、今や、首や耳まで赤く染めている。短めに切ったふわふわの猫っ毛が首をつついている。 「あ、何?笹倉さん、そういうのが好みだった?意外と亭主関白か」 言うと、そんなんじゃないよと慌てて否定して、彼は困ったように眉を寄せる。その横顔を眺めていたら、あんまり見るなよと横目で睨まれたが、その睨みは、目元の赤さと相まって、どきりとするような妖艶さだった。 運転中じゃなかったら、ちょっと我慢できなかったかもしんないなと、笹倉に向かって冗談ですよと笑いかけながら思う。何かと口実をつけて指先に触れたり、二人飲みに誘ったり。あともうひと押し、なのだ。多分。 最初の告白の時点で、離れてしまえばそれまでだと思っていた。突き放してくれれば、次に行ける。そう思ったから告白して、結果が、この通りの生殺し。生殺しではあるのだけれど。 「…荒木くん、まだ俺のこと好きなの?」 「好きですよ。笹倉さんが俺のことちゃんと振ってくれるまでは、俺は笹倉さん一筋」 あんたが嫌なら、好きでいるのやめます。 こう言うと、別に、嫌じゃないよ、と答えるこの人はもう、半分落ちてきている。ポイントは、あまりぐいぐい行かないこと。時々少し、攻めてみること。それから、 「あー、でもね、別に振られても俺、友達づきあいは普通に続けられるタイプなんで、そこは安心して下さいね」 逃げ道は用意しておくこと。 相手のためにも、自分のためにも。 うんとかあぁとか、笹倉は口の中でもごもごと何か答えたようだったが、はっきりとは聞き取れなかった。 再度窓の外に目を転じ、薄まったコーヒーを一気に流し込む。汗まみれのプラスチックカップから水滴が一筋、腕を伝った。 「…あ、笹倉さん、看板出てる。バーベキューヴィレッジ」 「…ホントだ」 看板の道案内を二人で確認しながら進む。緑のヴェールが濃くなってゆく。 「ちょっと、ねぇ、折角だから窓開けてもいいですか?森林浴したい」 「開けてもいいけど、これから散々するんじゃない?」 そんなに焦らなくてもと笑う笹倉の声を聞き流し、荒木は助手席の窓を全開にする。開けた瞬間、外から入り込む熱気に息がつまる。 「あっつー。やばいな今日」 「だからそう言ってるでしょ、最初から」 こんな暑さで炭の横に立つとかありえない、と呟きながら、笹倉も運転席側の窓を全開にし、エアコンを止めた。 暑い。凶悪な暑さだ。確かにこれは少し、参るかもしれない。 「ていうか笹倉さん、今日他のメンバーここまで何できてんの?」 ふと気になって聞いてみる。 「あ、多分みんな車かな?」 「それじゃあ飲めないじゃん」 「それは大丈夫。泊まりだから」 「は?え?なんで?みんな泊まりなの?」 聞かされていなかった事実に驚いて運転席を振り返ると、きていたシャツの襟元をぱたぱたとはためかせる笹倉を見つけて、ちらちらと見せつけられる肌色に一瞬、視線を奪われる。 「あれ?言ってなかったっけ?みんなは泊まり。温泉だって」 「俺らは?」 「休み二日とも潰れるの悪いと思ったから、荒木と俺は帰るって言っといた」 「なんで?俺も泊まりたかった」 「あ?そうだった?」 ごめんね、と言った彼の首筋を一筋、汗が伝った。透明な汗の粒が、襟元から鎖骨を伝い、するりと服の中に消えていく。 温泉。上気した頬、伝う汗。白いシャツの、その下。想像しかけて、止める。暑い。これは本当にまずい。 あまりの暑さに、理性まで溶かされそう。 …酒を、飲ませてしまえばいいか。 とりあえず、帰れない理由を作って、それから… 「…荒木くん、なんかよくないこと考えてるでしょ」 どきりとする。視線は前を向いたまま、笹倉が笑っている。 「割と、顔にでるよね」 バレてるよとしたり顔の笹倉は、やっぱりどうしたって可愛く見えて。 「別に、何もないですよ」 泊まりはダメでもとりあえず。 最後のひと押しに、女の子にモテモテのところを見せて焦らせてやろうと心に決めて。木々の隙間から差し込む光に目を細めつつ、荒木は口元を綻ばせた。
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