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神隠しの噂
最近ね、女性が行方不明になる事件が頻発してるらしいよ。
そう語った美紀ちゃんは、「暑いねー」と言いながらミルクティーを飲み干すと、携帯の画面を見せてきた。どうやら地元のネタを集めたネット記事のようだ。明らかに素人が作ったとわかる地味なレイアウトで、事件の内容が淡々と書かれている。
「この一ヵ月のうちに、捜索願が四件も提出されている」
「四件って多いのかな?」
「どうだろう」
日本では、毎年8万5千人近くの行方不明者が出ているという。単純計算で、一日あたり233人。47都道府県で考えれば、各県で毎日約5人が行方知らずになっていることになる。
私たちの住む町は、確かに忘れ去られたような場所にあるけれど、毎日どこかで何人もいなくなっていることを考えれば、特別注目するような値ではないように思える。
「大事なのはそこじゃなくて」
「え?」
私の疑問を感じ取ったのか、美紀ちゃんは空かさず画面をスッとスクロールした。促されて見ると、記者による考察の箇所に妙な言葉が並んでいる。
「М町に古くから伝わる神隠し伝説か?」
「そう、それ」
「何にもない町かと思ってたけど、こういう話はあるんだね」
「神隠しって本当にあるのかな?」
かき上げた髪の毛の裏で、小さな金色のピアスがちらりと光る。二つ年上の先輩である彼氏とお揃いで、一緒に穴を開けたのだと自慢していた。
自分の身体に穴を開けるのは、どんな気持ちなのだろう。冷たくて心地良い柔らかさの耳たぶに、自然と手が伸びる。
「舞子も気を付けなよ。お嬢様なんだから」
「私は……」
手元のお弁当箱に視線を落とす。まるで運動会の日のお弁当のような重箱には、色とりどりの料理が詰められている。こんなに食べきれないといつも言っているのだが、少しも量は変わらない。
「もう食べないの?」
「うん。やっぱり食欲がなくて」
「じゃあ、頂きます!」
「どうぞ」
寂れた校舎の屋上。勝手に持ち込んだパラソルの下でお昼休みを過ごすのが、私たちの日課となっている。何にもないこの町で、唯一、高校生らしい時間を過ごせる場所なのだからと少しぐらいの暑さは我慢してきたが、そろそろ厳しいかもしれない。葉桜の季節を過ぎてから、私たちを襲う日差しは日に日に強さを増している。
「ほんと暑くなってきたね」
「そうだねー」
パラソルの下とはいえ、毎日のように暑さにさらされている所為だろうか、ここ数週間、食欲がなかった。
「このお肉、凄く美味しい!」
「よかった」
ステーキのようなお肉を頬張りながら、美紀ちゃんが感嘆の声を漏らす。折角のご馳走を残すのは勿体ないからと、お弁当の残りを食べてくれるのがすっかり常になっていた。美味しそうに料理を食べている姿を見ていると、私も食欲が湧いてくる。
「これは牛かな?」
「どうだろ、聞いてみるね」
「いいよねー舞子は、毎日こんな料理が食べれて」
「ふふふ」
乳白色で血色の悪い私とは対照的に、健康的に焼けた美紀ちゃんは、ベンチで横になりなると満足そうにお腹を擦っている。最近太ってきたと嘆いていたが、食欲はとどまる事を知らないようで、あっという間にお弁当箱は空になった。
「お母さんが、いつも綺麗に食べてくれてありがとうって」
「料理が美味しいからですって言っておいて。いつもご馳走様ですって」
「うん」
下の方から楽しげな声が聞こえてくる。フェンス越しに見下ろしてみると、サッカーボールを手にグランドへ駆け出している男子の姿が見えた。
「慶介先輩たちだよ」
「元気だねー」
見下ろしていた私の視線に気づいたようで、数人の先輩が足を止めて手を振っている。
「下に行ってみる?」
「そうだね。飲み物も買いたいし」
購買に寄って冷たい飲み物を購入した私たちは、グランドの近くにある木陰のベンチに腰掛けた。ボールを追いかけて駆け回る先輩たちを見守っていると、美紀ちゃんが静かに口を開いた。
「実はね……」
「うん」
先輩たちの姿を見る美紀ちゃんの表情は物憂げで、何かあったんだろうかと心配になる。
「さっきの事件なんだけど」
「あの神隠し?」
「そう。その行方不明者の一人がね、先輩のお姉さんなんだって」
「え……?」
楽しそうにグランドで遊んでいる先輩の姿が、余りにも話とは対照的で言葉を失ってしまう。
「お姉さん、自由人らしくてさ。しょっちゅう居なくなるから心配はしてないって言うんだけど、1ヶ月近くも帰ってこないのは初めてらしくて」
「そう、なんだ」
結露で濡れたペットボトルが、小さな水たまりを作っていく。身近な人がいなくなったと聞いた途端に、どこか違う場所の話のように感じていた事件が、急に現実味を帯びて目の前に迫ってくる。
「あちー」
「お疲れ様です。飲み物、良かったらどうぞ」
「マジで!? ありがとう」
日差しから逃げてきた先輩たちに飲み物を渡す。先輩の顔を見るかぎり、深刻そうな感じはしなかった。美紀ちゃんと同じ場所に開けたというピアスが、ちらりと光を反射している。
神隠しなんて、本当にあるんだろうか。確かにこの町は周囲を山に囲まれ、どこか封鎖的な香りが漂っているが、これまで大きな事件が起きたなんて聞いたことがない。
「流石にもう、昼休みに外に出るのは限界だな」
「だなー」
「授業受けたくねー」
暑そうにしている先輩たちを見ていると、こっちまで汗をかいてくる。
「舞子、化粧崩れてるよ?」
「え?」
伸びてきた美紀ちゃんの手には、汗拭きシートが握られていた。優しく目元を拭われると、キラキラした跡が微かにできている。
「ありがと」
「珍しいね。これまで化粧っ気なんてなかったのに」
「うん……」
二人の耳元で控えめに輝くイヤリングと、同じ色の輝きをしていた。
※
その日の夜。気になった私は、夕食の場で神隠しのことを訊いてみた。ずっと昔からこの町に住んでいる祖母なら、何か知っているのではないかと思ったのだ。
静かにお肉を食べていた祖母は、細い目をゆっくりと見開くと、私の顔を見つめて静かに話し始めた。
「誰から聞いたんだい?」
「えっと……。ネットの、記事で」
どうしてか、美紀ちゃんの名前は出せなかった。妙な緊張感があり、思わず気を張ってしまう。
「そうかい。時代は変わったね……」
遠くを見つめるような祖母の視線。すべてを見透かされているような感じがあり、思わず視線を落としてしまう。そこには、美紀ちゃんが好きだと言っていた肉料理があったけど、私はいつの間にか苦手になっていた。
これから話を始める為か、祖母は喉を潤そうと赤いワインのようなドリンクを口にした。バラの匂いに満たされた空間に、いつもとは違う空気が流れている。
「神隠しはね、確かにあったんだよ」
「えっ、そうなの?」
「でもね、一般的な伝説とは少し違う」
祖母の話によると、この町に伝わる神隠しの起源は、何百年も昔に遡ると言う。嘗て、この町は良質な金が採れる場所として栄えており、住民たちは恵みをもたらす山の神へのお供えとして、若い娘を生け贄に差し出し儀式をしていた。やがてその話が時代の流れと共に形を変えて、神隠しとして残ったらしい。
「金鉱山で有名だったっていうのは聞いたことないけど」
「ふふふ、山を掘って金を見つけていたわけではないからね」
「どういうこと?」
そう言った祖母が、隣に座る母に視線を寄越した。静かに頷いた母は、少しだけ姿を消すと、何やら歴史を感じさせる赤い布に包まれた箱を持ってきた。
「舞子も16歳になるんだね」
「うん。来週の金曜日」
「丁度良い機会だ。うちの歴史についても話をしようかね」
赤い包みを解き、テーブルの上に置かれた箱は木製で、随分と年期が経っている様だった。ゆっくりと立ち上がった祖母が、震える手つきで蓋に手をかける。
「綺麗……」
「そうだろう?」
箱の中には、色とりどりの宝石が入っていた。その多くは金色で、サイズこそは小さいが、不思議な輝きを放っている。
「何か、生々しいね」
「ははは、そうかもね」
私の家が昔から続く名家であるのは、こういった貴金属を売ってきたからだという。そんな家業があったと聞くのは初めてだった。
「うちって宝石商だったんだ」
「一言で言えば、そうだね」
「今もやってるの?」
「そうよ」
控えめに母が答える。
「へー、そうなんだ」
これ以上聞くのは何か怖いと思っていると、携帯に通知が入った。美紀ちゃんからだ。
「そう言えばね、美紀ちゃんがお弁当美味しかったですって」
「そう」
「うん。いつもご馳走様ですって」
「舞子は最近、食欲はどう?」
「イマイチかな。でもね、美紀ちゃんが美味しそうに食べている姿を見てると、食欲が湧くんだよね」
「それじゃあ、今度、お家に呼んだらどうかしら? お母さん、ご馳走を用意するわ」
「それがいいね」
珍しく祖母も賛同している。
「ホントに?!」
「ええ、いつでもいいわよ」
「折角だから誕生日はどうだい?」
「良いね! 早速、話をしてみる」
夕食を終えて部屋に戻った私は、早速携帯の通知を開いた。ちょうど、美紀ちゃんも話があるようで、電話をすることにした。
「もしもし、美紀ちゃん?」
「舞子? 今、時間良い?」
「いいよ、どうしたの?」
「あのね、お昼に話した神隠しなんだけど」
「ああ、その神隠しなんだけどね。実は、」
うちの家系も関係しているかもしれないという事実を伝える前に、美紀ちゃんが興奮気味に話しかけてくる。
「先輩のお姉さん、帰ってきたって」
「えっ!?」
「さっき、戻ってきたって電話が来て」
「そうなんだ、良かったね」
「よかったよー。事件に巻き込まれたんじゃないかって心配してたから」
本当に安堵している様子が、電話越しに伝わってくる。
「それで、どこに行ってたの?」
「東京だって」
「東京?!、」
「凄いよねー」
それから外の街への憧れをあれこれ話しているうちに、いつの間にか数時間が経っていた。特に私は、この町から一度も外へ出たことがない。美紀ちゃんたちが修学旅行に行っている時も、私だけ学校に残っていた。
何やら家系が関係しているらしいけど、詳しくは聞けなかった。それは私だけではなく母も、祖母もその前からずっと同じらしい。
一体、何があるんだろう。
※
美紀ちゃんが来たのは、一週間後の私の誕生日だった。父は仕事の出張が入り、二日前から家を出ている。
「舞子、誕生日おめでとう!」
「おめでとう」
母が作ったケーキに立っている蝋燭の炎をふっと吹き消す。白い煙が漂いながら、空間に溶けていく。
「はい、プレゼント」
「ありがとう、開けても良い?」
「いいよ」
美紀ちゃんから手渡された袋には、可愛らしいラッピングに包まれた小さな木箱が入っていた。包装を剥して、蓋を開けると綺麗なネックレスが照明の光を受けて輝いた。
「お揃いだよ」
そう言って微笑む美紀ちゃんの胸元には、同じ輝きを放つネックレスがあった。早速身に付けて一緒に写真を撮っていると、次々と料理が運ばれてくる。
「わー、美味しそう」
「お母さま、私も何か手伝いますよ」
美紀ちゃんが慌てた様子で立ち上がった。意外としっかりしているのだ。
「いいのよ、お客さんはゆっくりしてて」
「いえいえ、そんな訳には」
「それじゃあ、少しお料理の手伝いをしててくれる?」
「はい。任せて下さい」
美紀ちゃんがキッチンへと姿を消すと、それまで静かにしていた祖母が思い出したように話を始めた。
「元気な良い子だね」
「うん。とても大事な友達」
「そうかい」
噛み締めるようにそう呟いた祖母は、震える手つきでグラスに手を伸ばした。
「舞子も飲むかい?」
「えっ? でも」
実は、ずっと気になっていた。祖母が毎晩、何を飲んでいるのか。一見、赤ワインのようだが、酔った素振りは一度も見せたことがなかった。
「アルコールじゃないんだよ」
「そうなの?」
「うん。折角のお祝いだから」
恐る恐るグラスを差し出した私に、祖母がボトルから赤い液体を注いでくれる。深い赤紫色の液体は、少し粘り気があるようだった。
「ぐっといきな」
「頂きます」
そっと匂いを嗅ぐ。嗅いだことのないフルーティな香りだった。しかし、やはり葡萄とは違うようだ。
これは一体何の果実なのだろう。
不思議な香りに興味を押さえきれなくなった私は、一口で飲み干した。
生暖かい液体が喉を流れた落ちた瞬間、これまでにない感覚が私の中を走り抜けた。
※
「舞子?」
「ん?」
名前を呼ばれて意識を取り戻す。それまで何をしていたのか記憶がなかった。見ると、いつものテーブルに着いている。部屋は薄暗いが、祖母と母の姿がある。
「料理、冷めちゃうよ」
「うん?」
視線を落とすと、美味しそうに焼けたお肉がお皿に盛りつけられていた。
「美味しそう」
「ふふふ」
「頂きます」
ナイフで切り分け、フォークに刺す。そう言えばこの料理、美紀ちゃんが好きだっていってたな。そんなことを思いながら、口に運び、ゆっくりと噛み締める。
「あれ?」
「どうしたの?」
口の中に違和感があって、取り出してみると小さな欠片が出てきた。
「……イヤリング?」
小さな金色の輝きを見た途端、両目から何かが零れ落ちた。驚いて手を添えると、いつもとは違う濡れた感触に包まれる。
「えっ」
濡れた手の色に驚いた私は、洗面台の前へと駆けだした。
「何これ……」
真っ赤に充血した両目から零れていたのは、砂金のような黄金色に輝く涙だった。
※
人体を作る元素には、僅かながら金も含まれている。特殊な家系である私の一族は、身体に取り込んだ人肉から金成分を集め、凝縮する力があるという。
そうして捻出された金は、普通の金とは違う妖艶な輝きを放ち、裏の世界でかなりの金額で取引されてきた。
何百年も続く歴史の中で、より良質な金を作り出す為には、若い女性の血肉が必要であることがわかると、山の神への生け贄として、娘たちを攫って来た。
「ちょっと待って。意味がわからない」
「いいのよ。すぐにわかるわ」
「えっ?」
黄金の涙を流す私に、母たちが微笑みを向ける。その奇妙さに思わずに握り締めた拳の中で、イヤリングが手に刺さった。
「あれ、美紀ちゃんは?」
「美紀ちゃん?」
「誰のことだい?」
祖母が、静かに赤いドリンクを飲んでいる。その香りが、鼻腔をくすぐる。
「あれ、誰だっけ」
零れる涙と一緒に、大切な何かも流れ去っていた。
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