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 五月十二日の日曜日に、沙羅は由佳里と二人で買い物に行ったらしい。  由佳里の頭に飾られた、見慣れないピンクのシュシュはその時に買ったと書かれていたものなのだろう。私はそれがとても彼女に似合っていると思ったけれど、月曜日や火曜日にきっと沙羅がそれについては褒めているだろうから、今の私はこの称賛の気持ちを伝えることができない。吹奏楽部のコンクールのために一緒に出かけられなかった愛那へのフォローも、きっと沙羅が済ませてくれているだろう。  こういう時、私の心は沙羅への感謝とある種の嫉妬で満たされていく。  沙羅は私の代わりに辛いことや、大変なことを引き受けてくれる。今の平穏な日々があるのは沙羅のおかげなのだから、彼女への羨望がお門違いだなんてことは、重々承知している。  だけど私は、前の席に座る由佳里の、その綺麗な髪を束ねるシュシュを目にした時、少しだけ沙羅がいなければ、なんてことを考えてしまうのだった。  沙羅が生まれたのは、中学生の頃。  二年生の時に俗に言う不登校になった私は、保健室登校によって何とか三年生に進級することができた。だけれども三年生では、保健室に行くことは愚か部屋から出ることすら難しくなってしまった。  今になって思うと、あの頃の私がどうして部屋の外の世界を怖がっていたのかは分からない。学校でいじめにあったわけでも、家庭に問題があったわけでもないのに。  何かに怯え、何かから逃げるように、私は部屋に閉じこもった。  そして部屋に閉じこもるだけではどうしようもなくなった時、私の中に沙羅が現れた。  引き籠る前、まだ学校に行けていた頃。私にとって唯一気が楽だったのが金曜日だった。今日一日を乗りきれば、土日が始まって学校に行かなくて済む。でも土日が始まってしまえば、月曜日のことが頭をよぎって憂鬱な気持ちになる。だから私にとって心が休まるのは金曜日の、ただ一日だけだった。  だから金曜日以外の六日間を、沙羅が引き受けてくれた。  沙羅が現れてから、基本的に私たちの主導権は沙羅が握ることになった。  私と沙羅の間では授業で学ぶこと。いわゆる知識については、二人の間で共有される。例えば、私たちが名前を漢字で書けるようになったのは、沙羅が一生懸命練習をしてくれたからだ。私は何も努力していないのに、いつの間にか名前を漢字で書けるようになっていた。だから二人の間では私はさらを、沙羅は沙羅を名乗ることにしている(私たちの間では珍しく、この提案をしたのは私の方だった)。  一方で私たちの間では、思い出やエピソードのようなものは共有されない。中学を沙羅のおかげでなんとか卒業した私はありがたいことに、(これも沙羅のおかげで)高校生になって友人と呼べる存在を得ることができた。しかし休日に彼女たちと遊びにいった記憶というものを私はもっていない。逆に沙羅は金曜日の記憶だけは持っていないのだけど、裏を返せば彼女は残りの六日間の記憶は持っている。そこで二人の間で記憶を共有するために、私たちは交換日記を始めた(これは沙羅が提案したことだ)。  私の中に私と沙羅がいることは、愛那も由佳里も、親さえも知らない。  誰かに気付かれそうなものだけど、交換日記のおかげもあってか今のところは二人だけの秘密となっている。   私と沙羅。二人で一つの生活は今のところは順調なまま、今年で四年目を迎えていた。
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