夜鷹の蕎麦屋

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権蔵が、真っ先に気付いた。 「この音・・・・」 ざわざわと客人たちもざわめき出す。 「この、鈴の音は・・・・」 「ああ、間違いねぇ・・・・」 「あの鈴だ・・・・」 そこに居た誰もが、口々に呟く。 その時だ。 鳴り続けていた鈴の音が止んだ。 途端、障子の向う側に人影が立った。 「うわぁっ!!」 と障子近くに座っていた男が驚いて、御膳をひっくり返した。 祝言の席に居た誰もが、白い障子に注目する。誰ひとり音を立てずに息を飲む。 人影が、ゆっくりと手を伸ばしている。 障子が、カタリ、と揺れた。 スーっと五分ほど障子が開いた。 ほんの狭いその隙間に、皆が喰い入るように見つめた。 ギロリ、と真っ黒な光が動いた。 「き、きゃぁぁぁっ!!」 花嫁が叫ぶ。 「こ、この曲者がぁ!!」 権蔵が立ち上がり、床の間にある刀を手に、障子に近づいた。 「ふ、ふふ・・・・」 五分の隙間から見える黒い塊が、権蔵を真っ直ぐ見つめている。 「何をそんなに気を立ててるのさ。今日はめでたい祝言の日じゃあないか、だから わざわざ出向いてきたってのにさぁ」 声の主が現れる。 白い障子を開け放ち、女はゆっくりと権蔵に詰め寄っていく。 腕や脚は細く、皮膚は爛れ、着物はその色さえも判別できないほど薄汚れている。 鼻をつく悪臭が、酒の匂いと合わさり、この上ない気持ち悪さだ。 長く腰まで伸びきった髪の毛が、女が歩く度にハラハラと抜け落ち、畳の上は夥しい黒い毛の残骸で覆われていく。 「す、鈴音・・・・お前、」 権蔵は、カタカタと手が震え出して止まらない。それを見て、サヨは笑った。 「ああ・・・生きていたとも。この日を待っていたのさ」 サヨはその場に居る男たちを見回して言った。 「誰が呼ばれているかと思えば、どの顔も見覚えがある顔ばかり。あの男も、あの男も・・・ほら、あの男も」 サヨに指をさされた男たちは皆、目をそらして俯く。 「どれもこれも、あたいの身体に惚れた常連客じゃないか」 サヨは、ククッと笑いを堪える。 「もう皆は知ってると思うが、あたいは流行り病でねぇ・・・もうひとつきも命はもたないだろうが、権蔵さん、お前さんもそろそろ、ほれ首のあたり、爛れが出てきてるじゃないか」 サヨの言葉を聞いて、権蔵の隣に居た花嫁が、後ずさりした。 「いや、これは、その」 権蔵は手で首を隠す。 その様子を見ていた周りの男どもも、自分の身体に爛れがないか探し出した。 「もう遅い、もう遅いよ、あたいの身体に触れた男は皆死んじまうのさ」 サヨは可笑しくて堪らないという表情をして 花嫁に躙り寄った。 「さぁ、祝言だよ、今日は。あたいの想い人もお祝いの言葉を言いたいんだと」 サヨは両手で大事に抱えていた白い布の袋を花嫁の御膳の上に置いた。 権蔵が、凝視する。 刀を持つ手の震えが大きくなる。 花嫁が、そっと袋に手を伸ばした。 「や、やめろ・・・」 権蔵の声も虚しく、袋の中からそれは出てきた。 「い、いやぁぁぁっ!!」 「うわぁぁぁっっ!」 御膳から転がり落ちた髑髏からは、無数の得体の知れない虫が、畳の上を這いつくばっている。 花嫁はそのままその場に倒れ、居合わせた人々は我が先と屋敷から逃げて行った。 その部屋にはもはや、権蔵とサヨだけが残った。
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