栄冠はいつか輝く

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 春の陽気に包まれるというのは陳腐な表現かも知れないが、そうでも言ってないと花粉に包まれるという表現しかできないほど風が強い。くしゃみは止まらないし目は痒いし、ゴーグルを付けて来ようかとも本気で思ったのだが、さすがにそれは無いなと思い改めたばかりである。  真新しい学ランに身を包まれて、高校への急な坂を登り続ける。風に煽られて飛ばされそうなほどだが、やはり久々に体を動かすということもあり、汗はじわじわと湧いて出てくる。  学ランがこんなに窮屈でがんじがらめだとは思ってなかった。軍服みたいでかっこ良くて凛として見える。そんなイメージばかり思い描いていたのに。着心地まで考えていなかったのは自らの失態である。  さて、入学式で校長が勇ましく野球部を創設することについて語っていたが、実際どのくらい集まっているのだろう。某野球ゲームみたく、某アニメみたく、本当にゼロからのスタートというのも悪くはないが、できればそこのところの手間は省きたい。最低でも九人は絶対に欲しい。自分を入れて。今日は本格的に授業が始まる前のオリエンテーション段階で、毎日が新鮮で忙しい。そんな中、野球部志望者だけは例外で昼までのオリエンテーションの後にミーティングが開かれる。そこで実際の入部希望者の数をはじめて知ることが出来るのだ。楽しみで仕方がない。  妙な高揚感を抱いたまま、オリエンテーションに出ること二時間半。新入生たちは全て終わってまばらに席を立ちだした。この中の何人が野球部に入るのだろうと考えただけでも面白い。あの体つきは捕手向きだ、あの顔はいかついからもし野球部入ってきたら関わらないようにしよう、あいつは……なんて考えているだけで勝手に時間が進んでいく。ミーティング会場となる部屋までまっすぐに行くと、そこにはもう数人座っていて、それぞれがお互いを意識するようにチラチラと見ていた。なんと初々しいんだと思ったが、自分もその一人だとやっと気付いたのは、顧問の先生らしき人が入室した時だった。  凍りつくミーティング会場。緊張感漂う空気の先に、三人の先生が座った。左から、おじさん、おじさん、ちょっと若めのおじさん。うん、まぁそんなもんだろう。ただその目付きは生ぬるいものではなく、はっきりとした意識が伺えるものだった。誰もが先生の第一声を待つ中、一番左に座っている痩せ型の先生が立った。 「みなさん、入学おめでとう。野球部説明会に来てくれて本当にありがとう。顧問の綱田だ。よろしく。一応言っておくが、私は野球については知らない。だが、グラウンドを一から作るという整備段階の担当・試合や合同練習などの連絡係だと思ってくれ。改めて、よろしく」  会場に拍手が鳴り響く。グラウンド整備と連絡の係か。本当に初歩の初歩段階なんだと実感が沸く。周りの連中も同じだろう。  と、周囲を見渡してはじめて気付いた。けっこう人が集まっている。数えただけでも三十はいる。これは各ポジション競争が生まれるだろう。ここだけみると、非常に良いチームになるような気がしてならない。さっきオリエンテーションで目をつけたうちの何人かも座っているのを確認することが出来る。心のなかの高揚感はさらに勢いを増した。 「えー、入学おめでとう。顧問の河原と言います。あー、野球経験も指導経験もありますが、生徒指導部も並行しているのであまり練習には出られないかもしれません。が、試合にはしっかり帯同して、アドバイスなど送れるときにはしっかり送ろうと思います。ので、えー、よろしくお願いします」  小太りの先生は、えー、とかあー、とかが多いということだけは分かった。生徒指導部か。厳しい高校だったんだな。俺がいた中学には生徒指導部なんてなんてなかったから、そういう存在自体が驚くべきものだった。  最後に若めの先生がゆっくりと席を立った。キリッとした目付きは鷹のごとく鋭い。 「入学おめでとう。監督の下山です。どうぞよろしく。教科は英語。この高校に野球部ができるということで、隣の市から移ってきました。だから、君たちとはここの高校の同期だ。分からないことも多い。君たちの野球に対する覚悟・態度も全く分からない。施設の使い方や決まりもまだ分からない。だから、これから一つずつ、君たちと一緒になれていこうと思っている。それはそうと、君たちにはまずはじめに、この高校の野球部のモットーを知ってもらおうか。元気・勇気・全力疾走。この三つだけだ。いいか」  元気・勇気・全力疾走。そんな当たり前なモットーからはじめるのか。どれだけ俺らを舐めているのだろう。俺がはじめに抱いた感情は、「なめんなよ」だった。ひと通り先生の紹介は終わって、次は俺等のばんかと思ったその時、張り詰めた糸のような雰囲気が、見事に引きちぎれた。 「返事は!」   監督の口から放たれた怒号は瞬く間に生徒たちの耳に入り、反射的に何人かの口から小さく返事が出た。俺もその一人だった。 「小さいわ! お前らのぉ、そんな声で球場に声が響き渡ると思うとんか! ぁあ!? なめるのも大概にせえよ!」  空気が変わった。俺はその時素直にそう思った。この監督、本気だ。会場の誰もがそう思ったことだろう。 「もうモットー忘れたんか。元気・勇気・全力疾走。最初の元気が足りとらんのう。次に会う時までにできるようになってこい。ええの!」  反射的に大きな返事が出る生徒が半分。こもったような返事をする生徒が半分。確かに空気は変わったが、態度を変える生徒はまだまだ少なかった。
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