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花粉症も通り過ぎ、穏やかな日々が続く五月。まったく穏やかじゃない心境のまま、俺等はまだまだグラウンド作りを進めていた。全体的な草抜きと掘り起こしが終わった今、次のステップは野球が出来る環境にすること。グラウンドを“球場”にしなければならない。野手陣はメジャーと鉄の杭を持って、塁間を測ったり打席の基準点を作ったりと大忙し。俺ら投手陣はブルペン作りとマウンド作りに専念。自分がこれから多用していく場所であり、神聖な場所。それを自分の手で作るというのは光栄なことだが、なかなかに変な感じがするのも確か。みんなまだ仲間の実力を知らない中、こういうところで負けてはならないと、俺はまっ先にマウンド作りの方に手を上げた。気持ちの部分で負けてはならないという根拠もない精神論だけで、勝手に選択を勝負だと思ってしまう俺。他に気の知れた奴も居ないということで豊田もこちらに誘った。
投手だけでも六人。この中で誰がエースになるのだろうと想像しただけでも緊張する。分かりやすいほど投手体格なのは豊田だけ。他はそれほどがっしりしていない奴もいればおでぶちゃんもいる。変化球で勝負するタイプだろうか。それとも重い球を武器にパワーで勝負するのだろうか。どちらにしても競争が生まれそうでワクワクする。
とはいえ、ワクワクばかりしてはいられない。俺等が他校と比べて練習不足であるということは確かな事実だ。現にこうしてグラウンドを作っている段階なのだから。それをどう埋めるのか。答えは一つしか無い。自主練である。家に帰ってから、素振りやランニングをする。これくらいしか思いつかない。だがしないよりはマシだろうと思い、この前から続けている。朝練や練習後に残って居残りしたいところだが、校則で決められた時間しかグラウンドを使うことができず、照明設備もない。体育教官室にいる強面の先生に鍵を借りなければ部室も使えない。しかも野球部創設には多額のお金が動くらしいので、他の部よりも多くの資金が使われていると聞く。そのため、野球部の存在をあまり良く思っていない人たちも多い。風当たりは意外にも強いのだ。野球部はその学校の顔とよく言うが、まだまだそういう存在になれていない自分たちの現状を考えると、どうにももどかしさを感じる。
だがそんな中でも、野球部はマイペースに活動の幅を広げていく。まずは今月の初めから朝練が始まった。高校の外を囲っている道路のランニングだ。だがただのランニングではない。曜日ごとに投手陣と野手陣で別れ、月曜日は投手陣、火曜日は野手陣と、交互に走る。これだけでも実は大きな進歩で、今まで練習できなかったぶん、思い切り練習できる喜びを爆発させられるのだ。が、これがけっこうキツい。山を切り開いて作った高校ならではの、びっくりするような坂を走り続けなければいけないのだ。そしてもうひとつ、目標を設定されるのだが、それをクリアしないと始業の直前までかかってしまうこともある。ホームルームに少しでも遅刻すると白い目で見られる。今は反骨心だけで野球部の活動をしなければならないため、知らない間に徐々に部員数が減っているのに気付いたのはそれから少ししてから昼休みに全員集合した時だった。
教室に入ると、部員がもう既に何人か座っていたが、その人数は明らかに少ない。二十人ほどだろうか。四十人入る教室の半分ほどしか埋まっていない。開いている席に座るとほぼ同時に監督が入ってきて、教壇の前に来た。
「今日から毎日、昼休みはこの教室で栄養講習をする。練習できる環境が整えば、栄養講習は月に一回開き、その他の日はグラウンド整備だ。いいな」
はきはきと喋る監督の後に続けとばかりに部員の返事が教室中に響く。もしかしたら、というより確実に廊下まで聞こえているだろう。隣の教室で食べている奴らを驚かせたかもしれない。
監督曰く、俺らはまだまだ体が小さいとのこと。栄養講習で食べるべきものを理解し、体を大きくしろということだろう。確かに普段、コンビニで買ってきたおにぎりやパンが多く、とにかく腹が膨れればいいという感じだ。時々外部からも人を呼んで教えてもらうそうなので、それはそれで楽しみである。
また、放課後の練習の決まりもできた。一秒でも無駄にしないように走ってグラウンドまで行くこと。挨拶するときはすべての荷物をおいてその場できちんと礼をすること。グラウンド内では歩かない。などなど。当たり前といえば当たり前だが、野球部経験のない奴らには厳しく感じるかもしれない。そろそろ本格的に“野球部”になる時だと監督は判断したのだろう。部員が減っていっている現状は寂しい限りではあるが、逆に考えれば精鋭部隊のようなもの。早く練習がしたいという気持ちは日に日に増すばかりだ。
それから一週間。ようやくグラウンドが完成し、舞台は整った。ようやく部隊を整える時が来たのは、その年の夏の県予選が始まるちょうど二ヶ月前だった。
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