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五月晴れとはよく言ったもので、梅雨時の間の晴の日は、特に練習に熱が入る。というのは中学時代。ようやくまともな練習ができると思ってたのに、キャッチボールの延長線みたいな、硬球に慣れる練習だけ。確かに軟式しか経験したことがない部員のほうが圧倒的に多いが、それでも毎日そればかりというのはさすがにだれてくる。
この練習用ボールも近隣の高校からもらったものだ。どれも古いが、まだまだ充分に使えるもので、こういうのは本当にありがたい。中には地元のプロ球団から頂いた、実際に使用していた練習球さえある。ノックをするには充分な数。もうすぐ硬球に慣れてきた頃にはノックもはじめられるだろう。そして今日の昼、いつものように昼休みを利用してグラウンド整備をしている時、業者の方から監督が注文していた試合用金属バットと竹バットが届いた。他校からの言わばお下がりに慣れていた俺らとしては、新品というのがこんなに綺麗に見えるのが驚きだった。マシンや室内練習場などの贅沢品は皆無だが、ひと通り野球ができるほどの道具は揃いつつある。夏の大会にはギリギリ間に合わないかもしれないが、それでもグラウンド整備から始まった部としては純粋に野球ができることだけで充分だった。
朝練も様になってきた。最近の朝練はほとんどがストレッチの練習。と言ったら少し意外かもしれない。だがそれには理由があった。 今月の初め、部員全員を集合させて、昼に会議があった。監督は一本のテープを俺らに見せた。その内容は、有名県立高の練習風景だった。最近は古豪と呼ばれているが、県内でもトップクラスの強豪校。その高校の練習風景のビデオは、部員がまだ誰もいないグラウンドからはじまっていた。するとみるみるうちに野球部員が制服姿で大きなカバンを抱えながら部室までまっしぐらに全力疾走してくるのである。百人はいる部員の誰一人としてサボること無く全力疾走の集団が部室まで走っている映像は、正直実際どうなのかは知らないが、どこかのアフリカの草原で駆けまわる水牛の群れを見ているようなイメージだ。着替えも早い。すぐに真っ白いユニフォームに着替え、ランニングをはじめた。そして部員が全員揃ったところを見計らって、陣形を組んでいく。見せ物か何かかと勘違いするほど無駄のない動きとピシっと揃ったときの迫力はなんとも言えない。そして、何かがはじまった。大きな声で百人の部員が動きを揃えて動き出したのだ。後から知ったのだが、これが有名な伝統ある動的ストレッチらしい。ストレッチというと、柔軟体操を思い浮かべるが、これは一味違う。体をほぐしながら、同時に部員の気持ちを一つにする。やはり甲子園を本気で狙っているチームは一味違うと実感した瞬間だった。ビデオということを忘れて見入ってしまう。この日の練習からうちの部員の眼の色が変わったのは言うまでもない。監督がさっそくうちの野球部でも動的ストレッチを採用し、本気でそれの取得に励んだ俺達だった。
だが、周囲の目は厳しいものがあった。ただでさえ風当たりの強い野球部。他の部活は野球部ほど声を出すわけでもないし、そもそも活動している部活のほうが少ない。活気ある野球部と比べると全体的にどこか寂しげで活気はない。部活に入っていない人たちからは失笑を買うような状況だった。
それもそうだろう。ここはかつて、放課後になると静まり返るカビ臭い雰囲気が漂っていた高校。違和感があるのは否めない。正直、俺ら野球部員もこんな状況で声を出すことは恥ずかしいことだと思っていた。大きい声を出すと後ろ指を指されながら笑われる。校内で制服姿の時も、野球部だけ綺麗な坊主というのもあって更に笑われる。決して居心地がいいものではなかった。だからだろう。最初三十三人もいた部員が、六月が終わる時点ではや十六人。大会だと全員がベンチ入りすることができるが、それでは何の意味もない。競争のない中でベンチ入りするなんて、嬉しさ半減である。
だが、そう思っているのはもしかして俺だけなのかもしれない。あのビデオから数日間は確かに眼の色が変わっていた。野球の練習以前の問題だが、動的ストレッチの練習には俺達なりの活気があった。キャッチボールでもその後のちょっとした練習でも熱がこもっていた。だがいま現在、そんなのは過去のものだった。俺らが一生懸命にすればするほど他の生徒達から馬鹿にされる毎日。モチベーションなど上がるはずもなかった。塁間で正しくスローイングし合うキャッチボールに毛が生えたような練習も、いつしか全員頭に血が上って無茶苦茶に力いっぱい投げたりヤケになっていたりという状況が続き、練習名も“喧嘩ボール”と呼ばれるようになっていた。
夏の大会がはじまる七月まであと三週間もない。試合どころか練習さえマトモな事をしていない俺たち。フラストレーションは溜まる一方だった。
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