栄冠はいつか輝く

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 部員のフラストレーションが溜まりに溜まっていたのだが、監督は意外にも冷静だった。これも監督の狙い通りなのだろうか。蒸し暑くなってきた七月のある日、練習後のミーティングで監督は俺らに向かって静かに口を開いた。 「今回の夏の大会は、辞退する。練習試合も経験してないのに大会なんか出られるわけがない。お前らの公式戦初戦は秋の新人戦だ。それまでに戦えるチームを作る。ということで、今月下旬に練習試合をどこかで入れようと思う。それまではとにかく厳しい練習に耐え抜け。この熱いときにどれだけ練習できるかで変わってくる。高校野球はそういうものだ。いいな」  正直、モチベーションは上がらなかった。 公式戦に向けて俺らなりに頑張ってきたつもりだったのに。調整が間に合わないのを分かっていても、どうにか間に合わせようとしてきたのに。冷静な一言がものすごく重くのしかかってきた。  それからの練習は、とにかくいつになるか分からない練習試合のためのものに変わった。出来たばかりの野球部は周りにコネがないし、どのチームも夏の大会に向けて調整しているので相手をしてくれそうにない。監督曰く、夏の大会一回戦で敗れたところから声をかけてみるそうだ。ということは早くても7月中ごろまでは練習試合はない。炎天下の何もないだだっ広いグラウンドでこつこつとバットを振り、ノックを受ける毎日である。ポジティブに考えると、根性が付きそうだ。  それから数週間後。 真っ黒に焼けた俺達に、やっとのことで朗報が届いた。はじめての練習試合が決まったのだ。相手は県内唯一の分校の野球部。学校の規模で言うと俺らのほうが大きいのはわかるが、果たして実力はどうなのだろう。正直、楽しみで仕方がなかった。  その週の日曜日。俺らは朝早くから学校に来て、荷物の準備をしていた。道具はひと通り買い揃えてあったので、それを詰め込むだけではあったが、とにかく多くて重い。練習で筋肉痛なのも重なって、試合前にも関わらずだいぶ疲れた。試合着のない俺達は、入部の際に揃えて買った真っ白の練習着を身にまとい、バスに乗り込んだ。初の練習試合。初の遠征。わくわくせずにはいられなかった。  監督はバスの発車と同時に一番前に立ってこれからの動きを確認した。バスの中では絶対寝るな。ビデオを流すからそれを見て勉強しろ。着いたら荷物を持って走ってベンチまで。グラウンドに入るときは必ず全員で整列して挨拶。会う人全員に挨拶。一歩も歩くな。投手はすぐアップを始めろ。野手はグラウンド整備の手伝い。覚えきれるかどうかわからないが、とにかく気合を入れろということだろう。ただ、疲れた体を二時間も座りっぱなしにしてバスに揺らしておいて寝るなというのは厳しすぎる。そこに到着するまでに幾度と無く睡魔に沈められそうになったが、なんとか全員耐え切った。山間のグラウンドに到着すると、相手チームの選手が全員バスに向かって挨拶を始めた。待て待て、まだ早い。まだバスから降りていないのに。焦る俺らはすぐさま全員降り、荷物の整理より先にきっちり整列して挨拶を返した。  相手側の挨拶は、それはきっちり揃っていてさわやかだった。これが高校野球の挨拶なんだと思い知らされた。声の出し方や姿勢が全然違う。まさに見習うべきチームだ。さらに行動もキビキビしている。この違いはやはり意識の差であろうか。  ひと通りの準備が終わり、準備運動やキャッチボールを終わらせた俺らはベンチ前に一旦集合し、スタメン発表を待った。ブルペンで投げていた俺ら投手陣も一旦集められた。はじめての対外試合である。心臓の鼓動が大きくなり始めたような気がした。呼ばれるのを待つ各部員の表情は緊張そのもの。そして遂に、俺の名前が呼ばれた。  四番、ピッチャー、猪田。  こんな分かりやすい期待のされ方は、むしろ萎縮してしまいそう。スタメン発表が終わり、ブルペンに戻った俺。試合は九回制。五回までは何が起ころうと俺が投げる。六回からは隣で投げ込んでいる豊田が投げきる。五回までなら最初から飛ばしても大丈夫そうだ。この野球部の歴史に名を残す一戦。肩にどうしても力が入ってしまう。黒土ではないが湿気のある柔らかいマウンド。歩数を測ってスパイクで掘る。プレートに戻り深呼吸。さあ、試合の始まりだ。
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