テニス部

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テニス部

いつも思い出すのは中学生だった時の朝の通学時間。 自宅から2分もすると踏切がある。 遮断機の少し後ろで電車が通り抜けるのを待つ。 少し後ろにいるのは安全だからではなく、単純にあの電車が通りすぎる時の爆音が好きではないからだ。 だけどふと考える事があった。 (この遮断機をくぐれば楽になれるかな。。。) 学校は楽しかった。 友達は皆優しくて、面白くて、たわいもないおしゃべりが朝の憂鬱を全部吹き飛ばしてくれた。 私は中学生になってから兄の影響でテニス部に入った。 理由は。。。1学年上に兄がいるから先輩に虐められなくて済むからと動機はそんなところ。 でもこれが自分にとってはかけがえのないスポーツとの出会いとなった。 通っていた中学校は部活動が盛んで、毎年あちこちの部活動が都大会や関東大会へ進んでいた。 都大会に行けないのは恥ずかしいと思ってしまうぐらいの熱の入れようだ。 テニス部も例外ではなかった。 1年生はボール広いや素振りがメインで技術の高い先輩がコートで練習をする。 放課後は校庭をどの部活が何時間使用するかで先生が揉めていると話しを聞くほど。。顧問も熱心だ。 レギュラーの先輩はとても強かった。 都大会行きの切符を必ず取ってくる。 自分の体が小柄だった事もあり、見上げる先輩達がカッコよく見えた。 キレのあるボールを綺麗なフォームで難なくと打ち返し、華麗なボレーを決める。 私もあんな風に強くなりたいとふんわりと思い始めた。 部活の練習は毎日あった。 平日も土日もほぼ休みなく、寒い冬の日も、暑い夏の日も毎日、毎日、日が暮れるまで続いた。 まるで甲子園を目指す球児の様にハードな練習と高い目標を掲げて汗を流した。 ところで、学校生活は?というと。 勉強は大の苦手で授業はついていけず学年でもビリ争い。 授業が始まれば教科書も開かず居眠りを始めるし始末だ。 グレていた訳ではない。 塾に通っている子達が問題を1つ解いてしまえばまるでクラス全員が理解したかの様に進んでいく事に苛立っていた。 勉強について行けない自分への悔しさも当然あったが、もう諦めていた。 勉強について行けなくなったのは遡れば小学校3年生くらい。 それを今から巻き返すなんて到底無理だと心はすっかり腐りきっていたように思う。 この退屈な授業がすべて終われば部活が待っている。 頭の中は放課後の事でいっぱいだった。 授業が終わり、校庭へ急ぐ。 今日1日が都大会への切符へ繋がると信じていたし、昨日打てなかったボールを今日は打てるようになった。 そうして成長していく実感が出来たのも最高に楽しかった。 都大会へ行けるのは区大会3位入賞者まで。 私の目標は。。。 「関東大会出場」 テニス部女子が今までなし得なかった関東大会へ行く。 そう決めた。 スポーツと向き合う事の楽しさを知った私はもう無敵だった。 練習が苦痛な時は1度もない。 どんなにキツい練習メニューも目標へ近づく糧になると思った。 学校での練習が終わり、クタクタになり家に帰る。 それでも物足りず、自宅近くの脇道でひたすら自主練をした。 これでもかというくらい。 。。。心が満たされるまで練習の手は止めなかった。 テニスをしている時だけが唯一嫌な事を忘れられる「生きる意味」になっていた。
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