悲しみの渦

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悲しみの渦

現実を受け入れる事の強さ。 全てはここから始まるように思う。 この苦しみから解放されるために自分はどうあるべきか。 とにかく考えた。 それは「今目の前にあるものだけを受け入れる強さを持つこと」 友人が「お腹すいたー!!」とお母さんに甘える姿。 お母さんらしき人と手を繋いで楽しそうに歩いている子供。 毎日口うるさく怒られると愚痴を言う友人の数々。 運動会でお母さんの手作り弁当を楽しそうに家族で囲む光景。 家庭科の時間に「お母さんへの感謝の気持ちを込めてプレゼントしましょう」という裁縫の授業。 怪我をして足を引きずりながら1人で行く病院。 お母さんという存在は日々の日常に溢れかえっていた。 誰も気には止めない。 本当は寂しいけど言えない。 本当は辛いけど言えない。 あの人の当たり前が自分には当たり前ではない。 父は父としての役目を果たしてくれていた。 特別貧乏に感じた記憶がないからだ。 お弁当こそ作れないが運動会にも必ず参加してビデオに納めてくれたり、欲しかった一輪車も買ってくれた。 料理番組を見ては慣れない台所に立ち手料理もたまには作ってくれた。 「お前達はパパの宝物だ」と堂々と言い切っていた。 私は母に捨てられた。 でも父が拾ってくれた。 そう思うと壊れそうな心が皮1枚で体と繋がれている気がしていた。 6年生の時の謝恩会の事は今も忘れない。 家庭科の授業でお母さんへのプレゼントとして作ったクッション。 私は家の絵をモチーフにした。 赤い屋根に可愛らしいドアが付いていて、洋館のような煙突もついている。 デッサンをした後に、色とりどりの縫い糸を使って生地に色をつけていく。 裁縫があまり得意ではなかった私は居残り組みで放課後も裁縫の続きをさせられた。 「させられた」 頑張った先に誰かの喜ぶ顔などまったくもって浮かばない。 行き場のないクッションをひたすらに作っているだけだ。 出来上がったクッションは謝恩会当日にサプライズで渡すという。 子供達が横一列に並び、その正面に保護者に並んでもらって贈呈式をするそうだ。 体育館で執り行われる謝恩会は壇上を正面に子供達、その後ろに保護者席が設けられた。 こんなにも私にとって価値のない行事があるのかと憂鬱だった。 「渡す相手がいない」先生に相談した。 事情を知っている先生は「そうよね!そしたら当日変わりに先生が前にたつから先生に見せてね!」そう笑顔で言ってくれた。 先生だけでも前に立ってくれればその後方にいる大勢の大人達にも隠れる事ができるし、母がいない事を知らない友達への弁解もしなくて済む。 当日。 「はい。では1組の子供達並んでください!保護者の方は席をたって子供達の前へお進みください。」 そう先生がアナウンスをした。 横一列に並んだ子供達の前にパラパラと保護者達が向かい合う。 子供の手には明らかに何かを渡すのだとわかる大きな手荷物。 子供は恥ずかしそうに目を泳がせて、保護者はみなニコニコ嬉しそうだ。 贈呈式の前にここまでの子供達の頑張りを先生がマイク越しに話していた。 「今日まで、お母さんへ感謝の気持ちを込めて子供達が頑張って作りました。ありがとうの気持ちを込めて子供達からの贈呈です!!!」と声高らかに体育館に響き渡った。 拍手と同時に子供達が保護者へ手渡す。 頭を撫でられてまんざらでもない隣りに立っていた男子。 中には母親からのハグのプレゼント付きの友達もいた。 私の前には。。。誰もいなかった。 正面を向けば保護者や来賓の姿が見える。 ポツンと1人でクッションを抱えて立つ私を見て大人達は何を思っただろうか。 見知らぬ保護者と目が合ってしまい咄嗟に目を逸らした。 目線のやり場に困り仕方なく横にズラっと並んでいる友達をずっと眺めていた。 泣き出す保護者に戸惑う子供。 頑張って作ったクッションをここまで喜んでくれる人がいれば、裁縫が苦手で辛い家庭科の時間も少しは報われるはずだ。 「それでは2組並んでください!」 クラスが入れ替わり、本来であればその列のまま静かに行進して壇上にあがる。 今度は保護者への歌のプレゼントの時間。 手ぶらになった同級生達はそのまま静かに壇上へ向かった。 (。。。この荷物どうしよう。。。) 誰も居ないことを想定していなかった私は自分で判断するしかなかった。 先生1人として駆け寄ってくれる人はいなかった。 (。。そうだ。。椅子に戻って荷物を置いて急いで列に戻ろう。) 列から飛び出て次席へ走った。 荷物を置いて壇上へ急ぐ。 息を切らして壇上に上がった瞬間。。。 目の前にはさっき見えた光景が目に飛び込んだ。 たくさんの大人達が次は何かとキラキラした目でこっちをみている。 行き場を無くした荷物を抱えて立ちすくむ自分が俯瞰的に見えてしまった。 また大人に裏切られた。 自分の中で必死に育てていた何かが崩れ落ちる様な感覚に襲われて、式典のその後の記憶がまったくない。 式典が終わり教室に戻った。 家庭の事情を知っている数名の友達が「先生こなかったね。ひどくない?」と声をかけてくれた。 泣き出しそうな気持ちを堪えて「別にいいよ!」と笑った。 そこに裏切った先生が私の元へきた。 それは私の担任だった。 「ごめんねぇ〜放送の手伝いでどうしても抜け出せなくて。。。」 胸がツーンと痛み始める。 「先生それはあまりにひどいよ!」 心優しい友達はそう担任に詰め寄った。 優しいお友達。 ありがとう。 でも。。もういいんだよ。 もうわかったから帰らせてほしい。 「今日の式典も無事に終わり、みなさんもいよいよ卒業生として旅立つ日が近付いてきましたね!」などと担任はニコニコしている。 ニコニコして当たり前だ。 この心の痛みなんか担任にも、声をかけてくれた優しい友人にもわかるわけがない。 私はいつもの通学路をとにかく走って家路についた。 誰かに追いかけられてるかのごとくとにかく走った。 息はとっくにあがっている。 それでもとにかく早く家に帰らなければいけなかった。 だって。。。 もう心がぐちゃぐちゃに崩壊していて、今道端で泣いてしまったりすればそこから自力で帰れる自信がなかったからだ。 私は玄関のドアをあけて、靴を脱ぎ捨て部屋の座布団に顔をうずめた。 そして泣いた。 わんわん泣いた。 泣けば泣くほど傷口が染みてまた泣いた。 このまま消えてなくなってしまいたい。 あとどれだけ耐えたら許してもらえるのか。 あとどれだけ辛い事があれば笑えるようになるのか。 途方もなく。。。 泣き続けた。 もう。。。 どうにでもなってしまえ。 そして私は腐っていった。
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