心の貧困

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心の貧困

当時住んでいたのは2Kのアパートだ。 赤いレンガ調の外観で4階立てのコンクリート造り。 玄関を入ると右手には洗面所があり、その奥にはお風呂場。洗面台と向かいにトイレがあった。 正面には細い廊下にキッチンがあり背中合わせにならないとすり抜けられない程狭い 。そのキッチンを抜けると畳の6畳間が2つ。 そこに家族5人で暮らしていた。 弟が産まれるまでは風呂なしの木造アパート住まい。 築年数も古く、引越した後は建て壊しになった程だ。 トイレも当時でも珍しい水洗式ではなくいわゆるぼっとん便所。 両親は若くして授かり婚だった。 周りの反対を押し切って結婚し、後に兄が産まれた。 手形を作ったり、アルバムを丁寧に作ってあるところを見ると若い両親がちゃんと愛を育もうとしたのがわかる。 ただ、明確にいつからかはわからないが、途中から家族4人になった。 父、1つ上の兄、私、5つ下の弟の4人。 母親が突然出ていって、両親は最終的に離婚した。 小学校2年生になってすぐの時だったと思う 。 「。。。お腹すいたよぉ。。。」 母親が帰ってこなくなってから3日も経っていた。 父は時間に不規則な仕事だった事もあり母が帰ってない事にも気づいていない。 食事が出来るのは学校給食だけ。 「今日はさすがに帰ってくるかなぁ。。」 夜8時。 もう限界だった。 お腹が空いて不安な気持ちも増してくる気がした。 何か食べるものないかなぁ。。 戸棚を開けると、出汁用の大きい乾燥昆布とかつお節が目に入った。 これならすぐ食べれるな。 「お兄ちゃん!これなら食べられそうだよ!」 狭いキッチンに寄りかかって、兄と横に並んで乾燥昆布を食べた。 次の日も乾燥昆布が夕飯となった。 体育座りをして、兄と昆布を食べていると、不安と寂しさに襲われた。 このまま母親が帰ってこなかったらどうしよう。。。 確かではないが、この時は弟もいなかったように思う。 恐らく母親と弟は一緒にいたんではないだろうか。 3日ぶりくらいに父と家で会話する時間が出来た。 「パパ。。お腹すいたよ。。」 そこで初めて母親が帰って来ていないことを父は知った。 それでも父は仕事に行った。 本当に仕事人間だった。 それから1週間後。。。 母親が夕方過ぎに帰ってきた。 「やっと帰ってきた。ママお腹すいたよ。」 玄関まで走って駆け寄った。 今日からまた日常が戻ると思った。 心から安堵して、寂しさを埋めるかのように一方的に話し掛けていたように思う。 でも、母親の顔が浮かばない。 子供ながらに何かを察した。 「ごめんね。ママ好きな人が出来てその人のところにいたの。その人が今風邪引いて寝込んでるからまた戻るね。帰ってきたらご飯作るから待っててね!」 そう言って着替えをバックに詰めるとまたすぐに家を出ていった。 。。。ん? あれ。。。? 次はいつ何時に帰ってくる? それまでどうすればいい? 聞きそびれてしまった。 とにかくその日は待てるだけ待った。 時計の針が進むにつれて、外はどっしり夜の空。 空気が重い。 時計をみつめながらいつの間にか眠っていた。 結局、母親は帰ってこなかった。 それからしばらくの間ずっと。 あの日、約束を破った母に対して少し憎んでいた。 唯一無二。 この世で母は裏切らない生き物だと子供は確信している。 誰かに教えてもらったわけではない。 もう肉体と精神に宿っている本能なんではないかと思うぐらい。 それは当たり前だったし、この先も続くと思っていた。 その毎日を疑う日なんてない。 怒られて泣いた日も。 宿題を一緒にやってくれた日も。 長い髪の毛を乾かしてくれていた日も。 母の料理が出来るまで台所で横に並んで眺めていた日も。 明日も、明後日も続くと思っていた。 でも、あの日から変わってしまった。 この世にこんなに寂しくて、こんなに悲しい裏切りがあるのかと絶望感すら感じた。 まだ小学校2年生。 この事は今後も自分の胸に深く刻まれる事になった。 それからは父親が夕飯代としてお金を置いておいてくれた。 兄と2人で毎日コンビニへ通いお腹を満たした。 弟も相変わらず帰ってこない。 父も仕事が休みの時は味噌汁など作ってくれる時もあった。 なにせ、全て母親任せで自分の洋服の在り処も知らない人だった。 私は学校では変わらずにいた。 誰にも知られたくなかったし、目の前の悲しみに向き合いたくなかったのかもしれない。 母失踪事件から1年くらいして両親の離婚が決まった。 その少し前の事だが、母が1週間程帰って来たことがあった。 前みたいに朝食や夕食を作ってくれて、一緒に川の字で寝た。 弟も帰ってきて。。。今までが嘘だったかのような時間。 どっちが本当の世界だろうかと不思議な感覚になった。 それから1週間程たった時に夕食も終わりくつろぎの時間帯。 それは突然だった。 「ママとパパは離婚しようかと思うけどどう思う。。?」と父に聞かれた。 そんなの嫌に決まっている。 何より大好きな母とまた離れてしまう事の恐怖とあの寂しさにもう一度触れなくてはならない苦しさが体をもくもくと包んだ。 母は泣いているだけ まるでごめんねと言いたそうな顔だった。。 あぁ。。。もうこの人(母)は決めているんだな。 その泣き顔を見ていると何となくそう思えた。 父は子供が大好きな人だった。 浮気相手のところへ行きたいなら子供達は全員置いていけ。 それから、兄弟をバラバラにする事だけは絶対にダメだ。 泣いている母にそう父が告げた。 今になって思えば。。。 もう母には選択肢がなかったんではないかと思う。 子供達と本当に別れるのは辛い。 しかし、母に対しては気性の荒い父とこれから添い遂げるのも限界。 こんな事になるまでも父がよく母を怒鳴っている姿を見ていた。 なぜ私は母のつらさに気づいてあげられなかったのかと自分を悔やんだりもした。 母は泣きながら身支度を始めた。 「ママ。。いかないで。。?」 泣いている母にすがるように必死に引き止めた。 しかし、母を制止する事は出来なかった。 身支度を終えると玄関に向かう母を追いかけた。 「ここでいいから。。。」 そう母が呟くと、私と兄に一通づつ手紙を渡してきたのだ。 母は顔をぐしゃぐしゃにして泣いていた。 私と兄も嗚咽が出るほど泣いていた。 正確には。。。 もう大人の変な空気を読んだ瞬間から泣いていた。 これでもかって程、涙が溢れて止まらない。 玄関ドアが静かに閉まった。 家の中は異様な静寂に包まれていた。 その静寂が現実なんだと頭の中をぐるぐる回る事が辛くて、辛くて玄関に座り込んで泣いていた。 母からもらった手紙を読んでみた。 そこには少なくても「母としての愛」が書き記されている。 それが少し伝わる度に、子供だった私の心はひどくえぐられて心がはち切れそうになる。 そして体はまるで半分に引き裂かれる様な痛みすら感じた。 手紙を読み終えて「パパ。やっぱりやだよ。ママを迎えにいこう。」兄と一緒に訴えた。 父の体をゆすって泣きながらお願いをしていると「わかった。。まだどこかで歩いてるかもしれないから探しにいってこい。」 父に言われた瞬間。 兄と私はとにかく急いで玄関ドアをあけた。 絶対に見つけたい。 いや。見つけなきゃ。 とにかく走った。 バス停や、大通り、タクシーが通りそうな場所を兄と手分けして探し回った。 でもすっかり気配はない。 タクシーでいってしまったかもわからない。 そうなったらもう無理だ。 「。。。いないね。。。」 兄とそう話して家路についた。 「いなかったよ。 間に合わなかった。」 父に言うと 「これも運命だな。」 ただ父はそれだけ言って家族の会話は終わった。 この異様な空間で1番理解出来ていないのはまだ保育園児だった弟だっただろう。 弟がその時どんな顔をしていたかまったく覚えていない。 ただ、弟が小学校にあがるまで「ママに逢いたい」と度々泣かれた事は覚えている。 (。。わかるよ。。だってあたしも逢いたいもん。。。) 涙を堪えて弟をなだめる。 ママはお仕事が忙しいんだよ。 そうやって嘘をついた日はどういう訳か弟が夜泣きをする事が多かった。 怖い夢でも見たんだろう。。 震えて泣いている。 ちょこんと膝に乗せて背中をトン、トンと触れてあげるとホッとしたようにまた眠りにつくのだ。 その寝顔を見て。。私は静かに泣いた。 大人の都合で子供は振り回されて可哀想などと簡単に片付けられる感情ではない。 神様。。。 もう私は何も望みません。 当たり前であった日常をもう一度帰してください。 お利口さんにします。 だから神様お願いします。 お手伝いもするし、悪いことはしません。 家族の笑顔をもうちいど。。。 どうかチャンスをくれないでしょか。 わたしはそれから1年間祈った。 神棚にお供えをして手を合わせ続けたのだ。 神様がいるならどうか。。。 どうか助けてください。 私は一心不乱に祈り続けた。 それが1年も続いたころ。 環境は変わることなく結局母親は帰ることがなかった。 そう言えば祈り続けて早1年。 もう気付いたらそんなに時間がたっていたのか。。無理なんだな。 あの日々は二度と戻ってこない。 そして。 神様なんかいない。 祈ってもなにも答えてなんかくれない。 今生きているこの世界は祈っても絶対に変えることができない。 こんなに苦しいのに誰も助けてはくれないんだな。 心の底から憎しみを悟ってしまった。 それからの私はどんどん心の均衡を保てなくなっていった。 どこからともなく匂ってくる夕飯のおいしそうな匂い。 魚かな。。? 煮物かな。。? 私もたべたいな。 未だに、夕飯時のあの匂いが苦手だ。 心がツーンと痛くなる。 母のいない未来にも絶望していた。 心から笑えなくなり。 どこかいつも心にすきま風が吹き抜けて寒かった。 そして。。。 自分を嫌いになった。 「。。。産まれてこなければよかった」 家に帰れば洗濯や炊事に追われる。 何より、母のいない現実を毎日思い知らされる。 本当に苦痛だった。 生きている事が苦しくて、苦しくて仕方がなかった。 だが、テニスをしている時は唯一自分の心が喜んでいるのがわかった。 夢中になると言うことはこういう事なんだなと。。。 それでも心が乾いて乾いて仕方なく。 何をどうしても癒える事はない。 まるで永遠に続く漆黒のトンネルを。。。 クタクタになりながら。。。 途方もなく歩いている様な感覚だ。 真っ暗闇の出口が見えない恐怖と不安。 もう。。 母と離れた事というよりも、自分の中の心の貧困との戦いだったのかもしれない。
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