信じられ無い夜

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信じられ無い夜

2011年、8月5日の熱い夜の事だった。 一人暮らしをしている68歳の沙羅は、傷む足や腰をなだめながら シャワーを済ませ、さっぱりした気分で椅子に座った。 まだ68歳なのに、小さい時から酷使した所為か 沙羅の身体はおんぼろだった。 正月に帰省した、娘の菫から「もう、一緒に暮らそうよ」と 強く言われたのだが、大学受験に向けて、最後の追い込みをしている 孫の桜の邪魔になる、それが終ってからにしようよと、いつもの様に 先送りにした、女手一つで桜を育てている、シングルマザーの菫に 負担を掛けたくない、介護が、どんなに大変な物か、沙羅は良く知っていた。 だが、日に日に痛みは酷くなり、何も持たずに立っていられるのは 10分が限度になった、これから先、もっと動けなくなるだろう。 やっぱり、菫の世話になるしか無いか、桜も無事に大学生になった事だし お盆に帰省したら、ゆっくり相談しよう。 沙羅は、そう決めた。時計の針は、10時になろうとしている。 後は寝るだけだ、クーラーとテレビを消し、立ち上がろうとした時 携帯が鳴った、開けて見ると菫である。 今日は早い、いつもは11時近くになり、沙羅は布団の中で話す。 仕事が早く片付いたのだな、そう思って「もしもし」 沙羅は、弾んだ声で呼びかけた、てっきり「元気~」と言う 菫の声が返って来ると思っていたのに「山本沙羅さんですか?」 聞いた事も無い、男の声だった「そうだけど、あんた誰?」 沙羅は、咎める声で聞く、年に似合わぬ、若い話し方は 良く喋る相手が、菫と桜しか居ない所為だ。 「私は、福岡県警交通課の浜野と申します」沙羅は、ぎくりとした。 福岡は、菫達が住んで居る所だ、交通課って、まさか事故? 嫌な予感で、胸がドキドキする。 「山本菫さんの身内の方を探す為、やむなく、この携帯を 使わせて頂きました」「そうですか」沙羅の口の中が、乾いて来る。 それから先を、聞くのが怖い「山本菫さんとの間柄を教えて下さい」 「菫は、私の娘です」「桜さんは?」「孫です」沙羅は、激しく動揺した 桜も一緒なんだ、浜野は声を張り「落ち着いて聞いて下さい 本日、20時04分、中央区の交差点において 信号待ちしていた菫さんの車に、トラックが追突、菫さんの車は 前の車との間に挟まれ、大破 お二人は、直ぐに救急搬送されましたが、20時32分 お二人の死亡が確認されました」浜野は、感情を押さえ 淡々とした口調で、けれど、はっきりと二人の死を告げた。 沙羅の顔から、血の気が引き、何も考えられ無くなった頭の中で 死亡、確認と言う、二つの言葉だけが、ぐるぐると回っていた。
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