信長上洛

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 これは、上洛作戦を開始する以前から信長が幾度となく口を酸っぱくして言ってきたことである。せっかく上洛しても都で評判を落としたら木曽義仲のように破滅するぞ、などと源平合戦の故事まで引っ張り出して、家臣たちに言い聞かせていた。懇々切々と語る信長の心配と緊張が部将たちにも伝染し、兵の統率に抜かりのある部隊は一つもなかったのである。  織田軍の兵士たちの意外なほどの規律正しさが功を奏して、洛外洛中の騒動は嘘のようにおさまった。京から逃散(ちょうさん)しようと準備していた人々は荷解(にほど)きをし、公家たちも信長に朝廷を守護する意思があることを知って安堵の吐息をもらした。  そして、喉元過ぎれば熱さを忘れるとはよく言ったもので、 「信長というお人は先代将軍の弟君・足利義昭公に従って上洛したらしい。その義昭公の御為(おんため)、京で腰を落ち着ける暇もなく、将軍殺しの三好(みよし)三人衆を討つべく摂津に出陣するそうな」 「八年前、今川義元の数万の大軍をたった二千で打ち破ったらしいぞ。織田軍の足軽から聞いた話だから、間違いない」 「どのように立派な方かこの目で見てみよう」  京の人々は口々にそう言い合い、摂津方面へと出陣していく織田軍を見物しようとぞろぞろと駆けつけたのであった。             *   *   *  織田軍は、おびただしい数の軍旗を掲げ、京市内を整然と行進していた。  天を突かんばかりの長さの三間半槍(約六メートル強)が林をなし、火縄銃の数もかなり多いようだ。これだけの装備をそろえるには相当の財力がいるだろう。  見物人たちの中の何人かが、その威容に圧倒されつつも、「尾張の殿様は銭が好きなのかのう」と呟いていた。  黄色の絹地の旗に描かれているのは、「永楽(えいらく)通宝(つうほう)」という明国からの輸入銭である。旗竿の先には「南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう)」のはね題目が書きつけられた招き(細長い小旗)がはためいている。銭を旗印にするとは面白い殿様だ。 「あの、馬上でふんぞり返って満面の笑みを浮かべているのが織田信長公じゃろうか」
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