天下静謐

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「真面目すぎるからこそ、だ。信長は正義感が非常に強い。俺が見たところ、奴は卑怯者や怠惰な人間が大嫌いだ。あの生真面目さは、いずれ将軍の取り巻きの佞臣たちと衝突する火種になるだろう。もしも将軍と対立して追いつめられたら――信長とて食わざるを得なくなるだろうさ。自分が将軍に仕立て上げた男の肉を」 「万が一そうなったら、殿は織田様という新しい船に乗り換える、ということですか? そのために、織田様への接近を図っている……と」 「そういうことさ。信長は俺の妹を抱いたのだ。兄の俺のことも抱いてくれるだろうよ。ハハッ」 「また悪趣味なご冗談を……」  伝五は呆れ返り、ため息をついた。幼少期にはもっと純粋な方だったのだが……。 (子供の頃から過酷な運命を背負い、諸国を放浪してきたのだ。性格も(いびつ)になってしまうか。奥様や我ら家臣には優しいのだがなぁ)  夜霧はますます濃くなってきている。まるで、光秀の野心に満ちた裏の顔を隠すかのように……。             *   *   *  その頃、光秀が退出してしばらく経った信長の宿所では――。 「……あの明智十兵衛とかいう男、殿様にやたらと媚びへつらって少々胡散臭いですな」  秀吉が猿顔を歪ませ、そうブツブツ言っていた。  お前も信長様に普段から媚びへつらっているだろう、と滝川一益は口に出しそうになったが、この場では自重した。一益もあの光秀という謎の多い男に強い不快感を抱いていたからである。美濃(みの)土岐(とき)()の支流である明智氏の出だと本人は自称しているが、どうにも自分や秀吉と同じ「成り上がり者」の臭いがプンプンとする。 「明智の妹は、殿様ご寵愛の妻木(つまき)殿です。妹の縁を頼りに殿様に取り立ててもらおうと企んでいるのでは……」
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