天下静謐

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 あまり他人の悪口を言わない丹羽長秀ですら、遠慮気味に言った。すると、柴田勝家も同調し、 「あの男、名族の出だと名乗るわりには、つい最近まで幕臣の細川(ほそかわ)(ふじ)(たか)殿の使い走りだったとか。公方様の下では並み居る名門出身の幕臣たちを押しのけて出世するのは難しいと考え、殿様に取り入ろうとしているのでしょう。奴の心根がはっきりと分かるまでは、あまり気をお許しにならないほうがよろしいかと存じます」  と、虎髭を撫でながら信長に忠告した。みんな、光秀が信長に急速に接近して気に入られつつあるのが面白くないのだ。  信長は家臣たちの嫉妬じみた発言を特に怒るでもなく、「(わし)も光秀という男が何者なのか、まだよく分からぬ」と静かに言った。その眼差しは、いまだに遠くを見つめている。 「だが、光秀が傑物であることは間違いない。重く用いれば、お前たちに勝るとも劣らぬ戦力となるであろう。しかし、公方様が重用せず、儂も用いてやらなければ、光秀は他家に仕官するかも知れない。天下の静謐を今後も維持するため、光秀のように優秀な武将には公方様と儂のもとで存分に働いてもらわなければならぬ。  ……亡き父も言っていた。『怠け者以外は何とでも使いようがある。家臣の才を活かしきってやることこそが君主の役割だ』とな。光秀は大の働き者で、才も溢れんばかりにある。光秀一人を活かすことができぬようでは、天下の静謐を守る英雄になるという父の遺志を継ぐことはできぬ」  信長はそう語りつつ、父から多くの教えを受けた幼少期、弟との骨肉の争いに苦しんだ青年期、そして運命の桶狭間の決戦など、脇目(わきめ)も振らず駆け抜けて来た青春と苦闘の日々に思いを馳せるのであった。  時は(さかのぼ)り、物語は信長が吉法師(きっぽうし)と呼ばれていた幼少期へと移る。  織田信長が生まれたのは、天文三年(一五三四)五月。  西洋では、この年にイグナチオ・デ・ロヨラがフランシスコ・ザビエルら同志たちとともにイエズス会を結成し、その前年にはイギリス絶対王政の最盛期を築くエリザベス女王が誕生している。  大航海時代、宗教改革と世界史が大きく動こうとしていた時代。日本でもまた、百年続いた戦国の世を終焉へと導く男が狼のごとき産声を上げていた――。
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