561人が本棚に入れています
本棚に追加
/1313ページ
信長上洛
「尾張の織田信長という男が、大軍を率いて京に攻め込んで来るらしい」
永禄十一年(一五六八)九月。上洛作戦をとる信長軍が近江六角氏の軍勢を薙ぎ払うように打ち負かしたという噂が京都に伝わると、京の人々は尊卑の区別なく騒然となった。
すでに六角氏の諸城は織田軍の手に落ちたらしい。上洛は間近だ。尾張の田舎侍たちは京都で乱暴狼藉を働くのではないか。そんな不安が王都には広がっていた。
山科言継という公家の日記にも、
「織田出張、日々洛外洛中騒動なり」
「騒動もってのほか暁天に及ぶ」
とあり、彼は織田軍の略奪を恐れ、宝物を御所の台所に隠した。
時は戦国。強き者が弱者を蹂躙し、命と富を奪う乱世である。都は応仁の乱など度重なる戦乱によって荒れ果て、人々はこの世の地獄を何度も見てきた。尾張から攻め上って来た野蛮な田舎大名が京に新たな地獄をもたらすかも知れない、などと都人たちが戦慄したのも当然のことだろう。
だが、彼らは知らなかった。
織田信長という男の理想を。
信長が都とその周辺地域にもたらそうとしているのは地獄などではないことを――。
* * *
「儂が次期将軍の足利義昭公を奉じて上洛したからには、都においていっさいの乱暴狼藉はあってはならぬ。天下様をお守りする軍勢が盗賊まがいの行為に及ぶことは、天の道理に反することである。我らはたちまち天罰を受けるであろう。おのおの、各隊の軍規を乱すことなく行動すべし。帝がおわします禁裏の警備は特に怠ってはならん」
入京を果たした信長は、配下の部将たちに真っ先にそう通達した。
最初のコメントを投稿しよう!