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今川の影
遠江をめぐる斯波家と今川家の因縁の歴史はとても長い。
足利家の一門である斯波家は、越前・尾張・遠江の三国の守護を務める大大名だった。
しかし、義統の祖父・斯波義寛(先々代の武衛様)の代には本領であった越前国を家臣の朝倉氏に奪われ、遠江国も駿河の今川氏親(北条早雲の甥。今川義元の父)の侵攻を受けたのである。
元々、遠江は今川家の領地であった。それを斯波氏に奪われていたのだから、今川側から見たらこれは侵略ではなく、領地の奪回作戦だった。
とはいえ、斯波氏もおめおめと遠江を取られるわけにはいかない。義寛の跡を継いだ斯波義達(先代の武衛様。義統の父)は、出兵に反対した重臣たちを粛清までして、遠江に遠征した。
だが、その結果は惨憺たるもので、敗北した義達は自ら捕虜になってしまうという屈辱を味わった。同じ足利一門の誼で剃髪することで命だけは助けられ、尾張に護送されたものの、今川憎しの思いは子の義統に受け継がれていたのである。
「信秀は、よくやってくれた。儂は、我が尾張の国内に今川家の領土がポツンと存在していたことが、以前から気に食わなかったのだ」
「で、ですが、駿河・遠江の二か国を領する今川家と再び対立するのは、危険では……。
昨年の六月、父・松平清康を暗殺されて放浪していた広忠(徳川家康の父)が、今川義元の援助を受けて、三河の岡崎城に帰還しました。これは、将来、広忠を先鋒にして尾張に攻め込もうという、義元が打った布石なのではありませんか?」
因幡守達広がなおも食い下がると、武衛様の義統は「戦は望むところだと言っておるではないかッ」と語気を荒げて言った。
義統は、尾張守護の座についたばかりの少年期には守護代・大和守達勝の傀儡に過ぎなかったのだが、歳月を経て成人すると、陪臣ではあるがほぼ同年代で気が合う信秀を味方につけて、自分の意思をはっきりと主張する若者に成長していたのである。
「武衛様のおっしゃる通りですぞ、ケシカラン殿。仇敵との戦を恐れて何が武士でござるか。第一、そんなにも今川軍の脅威を大仰に心配する必要はないと拙者は考えます。
今川義元は二年前に異母兄との骨肉の争いに勝利して家督を継承したばかり。関東の北条氏綱の侵攻を受け、今は駿河東部の防衛にかかりきりだとか。弟の仇討ちのために西へ向かう余裕は、しばらくは無いでしょう」
信秀が今川家の苦しい状況を滔々とした語り口で説明すると、義統は、
「なるほど。信秀は敵が動けぬことを知ったうえで、那古野を攻め取ったのだな」
と、はしゃぐように言った。
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