出撃

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出撃

『こちら〈宵暁(よあけ)(ばん)〉本部。犬星(いぬぼし)班に告げます。旧東京都第三区、第四区、第五区で予測を超える規模の(シャドー)が出現! 既に他の班が対応していますが追いついていません。至急出撃を願います。繰り返します——』  不安を煽る耳障りなサイレンと慌ただしいアナウンスが、深夜の寮内に響いてから約十分。犬星班に所属している桃園(ももぞの)花子(はなこ)は仲間と共に現場に向かっていた。 「真っ暗ですね」  輸送機の遥か下には暗い闇が広がっている。月は雲に隠れてしまっていて、地面を照らす物は何も無い。 「そりゃそうだろ。夜中だし。人が住んでねえからな」  班長の犬星(いぬぼし)(あかね)が、何を今更、と言うように片方の眉を上げる。  そうは言っても、真夜中の旧東京都を見下すのは花子は初めてなのだ。知っているのと実際に見るのとでは、その印象はかなり違う。  花子はもう一度、地面があるであろう場所を見下ろした。  この闇の底には、廃墟と瓦礫の山が今も放置されている。旧東京都周辺から北側は全てそうだ。五年前から変わらない。  そんな暗闇の中で、網状の光線で形成された巨大な結界(ドーム)が、黄緑色にぼんやりと光っていた。  結界(ドーム)自身の光のおかげで、輸送機からでも結界(ドーム)内をはっきりと見ることができる。  中では、倒壊したビル群のあちこちから無数に煙が昇っている。川に架かる橋の真ん中辺りで、閃光が散った。そこで仲間が(シャドー)と戦っているのだろう。  現在、午前二時二十九分。  丑三つ時——午前二時から三十分間——に始まる(シャドー)の発生も、そろそろ落ち着いてくる頃だ。  同時に、(シャドー)たちが鬼門(ゲート)を形成し始める時刻でもある。  ——倒す。  (シャドー)を、一体残らず、全て。  花子は拳を強く握った。  ——丑寅の刻、午前三時までに必ず。 「花子ちゃん大丈夫?」  背後からの優しい声に、花子はハッとした。  猿女(さるめ)純夏(すみか)が花子の両肩に手を置く。 「え? う、うん! 大丈夫、です! 超余裕です!」  嘘だ。  花子にとってはこれが初めての実戦。本当は怖くて仕方がないのだが、そうも言ってはいられない。花子は震える手を後ろに引っ込めて笑顔を作った。 「嘘つかなくて良いぜ」  貨物扉の方で茜が言った。 「実戦、初めてなんだろ? 怖がって良い。寧ろ怖がれ。もうわかってんだろ? ウチらが向かってる先がどういう所か」  茜はそう言って花子の前に立つと、風除け用ゴーグルを花子の額から下ろした。 「ありがとう……ございます」  この輸送機から出ればそこはもう戦場。覚悟を決めねばならない。  花子は自分の両頬を叩いた。 「猿オンナ、今日はちゃんと眼鏡外してからゴーグル下ろせよ」  茜が笑い気味に言った。 「サっ……!」  長い髪を逆立てんばかりの気迫で純夏は茜を睨みつける。  純夏は訓練中、うっかり眼鏡の上からゴーグルを下ろしてしまった事があるのだ。以来、ゴーグルをつけるたびに純夏は茜に馬鹿にされている。  もっとも、今回純夏が反応したのは猿オンナの方なのであるが。 「フッ……」  反対の窓側で、雉岡(きじおか)(けい)が笑った。  ——寝てるかと思った。  普段からずっと目を閉じている景は、一見すると寝ているのと区別がつかない。実際、立ちながら寝ていることも少なくない。  ——不思議な人。  というのが、景に対する印象である。  景本人は気にしているらしいが、犬星班で最も背が低い。そして無口だ。正直、犬星班に入ったばかりの花子にとって最も謎な人物である。 「そろそろだぞ」  茜の声の直後に、貨物扉がゆっくりと開く。貨物室の空気が一気に外へ漏れ出る。  扉が完全に開くと、結界(ゲート)の光が真下に見えた。 「ウチに続け」  茜を先頭に、四人が輸送機からダイブする。  降下を始めた直後、耳元のスピーカーからノイズが鳴った。 「間もなく結界(ドーム)の一部を開けます。飛翔機(ウィング)を展開して降下の調整を行なって下さい」  輸送機のコクピットからの指示だった。  ——飛翔機展開!  頭の中でそう意識すると、背中で折り畳まれていた金属の翼が広がる。羽の先端部分が青白く発光した。  加速する一方だった落下速度が徐々に落ち着いていく。  自分で制御できる速度になる頃には、気を張らなくても体勢を維持できるようになった。 「……ふう」  花子は空中にとどまって結界(ドーム)を眺めた。  飛行機などとは違って、前に進まずとも宙に浮く事ができる。羽ばたいているわけでもないから鳥とも違う。訓練で何度もやってきた動作だがこれは未だに慣れないものである。 「花子お、遅えぞ」  結界(ドーム)の頂上で茜が手を振った。足元には網の一マスがぽっかりと開いている。 「あ、すみません、すぐ行きます!」  急いで集合すると、純夏と景は既に到着して花子を待っていた。 「よし、全員揃ったな」  茜は班員の顔を確認した後、最後に花子に目を遣った。 「花子、絶対離れるんじゃねえぞ。ヤバくなったら遠慮なく頼れ。ウチらが助けてやる。その代わり、他の奴がピンチの時は手を貸してやれ」 「はい」  嘘をつくな、怖がれ。輸送機の中で茜が言っていた言葉を花子は思い出した。 「行くぜ!」  茜に続いて純夏、花子、景の順で結界(ドーム)の中に飛び込む。  辛うじて自立しているビルがすぐ横を過ぎると、ひび割れたアスファルトが見えてきた。 「茜さん! 下に!」  結界(ドーム)に入って早速、真下に(シャドー)が待ち構えていた。  これ幸運とばかりに、(シャドー)は耳まで裂けた口を大きく開く。  花子が腰の刀に手を掛けると、純夏が肩に手を置いて制した。 「大丈夫よ」  ほら、と純夏が茜を指差す。  金属のぶつかる鋭い音が響いた。  茜が左右の拳同士をぶつけたのだ。その両腕には、朱色のガントレットが装着されている。手の甲に刻まれた五芒星が淡く光を放った。 「まずは……」  茜が右腕を振り上げる。 「一体目ぇえ!」  拳が振り下ろされるや否や、(シャドー)の顔面に風穴ができあがった。悲鳴を上げる間も無く、(シャドー)の体は四散した。  入れ替わるように、茜が爆心地に着地する。 「凄い」  花子達も遅れて到着すると、茜が歯を見せてピースサインを向ける。 「最初から(シャドー)がいるのを知ってたわけね」  呆れたように純夏が溜め息をついた。その隣で景も無言で頷く。 「わ、私はカッコイイと思いましたよ!」  花子が素直な感想を述べると茜は、だろ、と自慢げに笑顔を向けた。  そんな茜に純夏が再び溜め息をつく。 「雉岡君、索敵をお願い」  景は頷いてから、閉じられた瞼に手を添えて何やらボソボソと詠唱を始めた。 「——(カイ)」  最後にそう締めると、景はゆっくりと手を下ろす。閉じていた瞼が開かれ、露わになった瞳の中には、蝶と野菊の紋が光っていた。 「後方三十メートル付近、十体。前方、十時方向から三時方向、約五十メートルから七十メートルの範囲、六十三体。結界(ドーム)内には約千五百以上。今も増加中」  普段無口な景が、次々と敵の場所と数を告げる。 「まだ増えてんのかよ」 「異常ね。退治が追いつかないわけだわ」 「……約一キロメートル先。百体以上の群れが……三つ。集まってる」  あっち、と景が指差す先には、赤い鉄塔が聳え立っていた。旧東京都のシンボルだったらしいそれは、今もなお騎槍の如く天を突き刺さしている。 「あれ?」  その鉄塔の少し離れた所に、明らかに建物とは違った黒い塊がちろちろと揺らいでいるのに気が付いた。 「変じゃないですか? あの瓦礫。(シャドー)のせいですかね」 「違うわ。あれは」 「鬼門(ゲート)だ……!」  ——あれが。  花子はもう一度、未完成の黒い塊を見た。その塊は、徐々に成長ているように見える。 「そんな……」  あれが完成したら、今度こそ日本は終わる。花子は、五年前の大惨事を思い出した。  その晩、日本史上において初めて(シャドー)が出現した。  鬼門(ゲート)から出た一体の鬼は、日本北部の都市を散々破壊した挙句、夜明けとともに消滅した。そのたった数時間で、日本の国土の約半分が瓦礫の地と化した。  ニュースで報道された都市の有様は、花子にとっても衝撃的であった。  以来、毎晩現れる(シャドー)を若い霊能者たちが退治し、鬼の出現を防いでいる。  しかし今、あと三十分としないうちに鬼門(ゲート)が開かれようとしている。そうなれば今度こそ日本は完全に壊されるだろう。  もう秒読みは始まっているのだ。 「後方、敵接近中」 「無視! 先ずは鬼門(ゲート)だ。完成する前にぶっ壊すぞ」  花子達は鬼門(ゲート)を目指して一直線に飛んだ。  地面を徘徊する(シャドー)達を何体か見送ると、景が敵の位置を告げた。 「前方、ビルの影。(ビースト)。それから——」 「私が行くわ!」  景が言い終えるより先に、純夏が先頭に出る。 「(ソウ)(ケン)宿(シュク)雷上動(らいしょうどう)水波(すいは)!」  弓を引く構えをとる純夏の手に、光の弓と鏑矢が現れた。  崩れたビルの影から、黒い霧を纏った獣が宙に飛び出して来た。鈍く光る剥き出しの牙と鋭い爪が純夏に迫る。 「(あた)りなさい!」  掛け声とともに、純夏の指から矢が放れた。  瞬間。  (シャドー)の右半身にトンネルが出来上がった。純夏の矢が貫いたのだ。  黒い肉塊と化した獣が、進む勢いを失い落下していく。 「凄い」  まさに一瞬の出来事で、花子はただただ驚くばかりだった。  が。  まだ危機を脱してはいなかった。先程の敵の報告には、まだ続きがあったのだ。 「……それと、下の瓦礫。陰摩羅鬼(ラプター)」  下を見ると、廃車の列を埋め尽くす瓦礫に紛れて、黒い鶴の形をした(シャドー)の群れが不気味に佇んでいた。  どしゃり。  音がした。  つい今しがた落下していった(シャドー)が地面に激突したのである。  黒い嘴が一斉に花子達へ向く。 「猿オンナ……」 「ごめんなさいぃぃっ」  一羽が翼を広げ、地面を蹴った。それに続いて群れ全体が動き出す。(シャドー)の群れが、一糸乱れぬ動きで花子達に飛びかかった。 「突っ切るぞ!」 「は、いや、無理です絶対! 無理無理無理ぃ!」  冗談じゃない、と花子は心の中で叫んだ。  (シャドー)の鋭い嘴が一直線にこちらへ向かってくる。あんなのにぶつかれば、文字通り蜂の巣になってしまうだろう。 「ひいぃぃ!」 「——(ゲキ)」  銃声が響いた。 「ひぃっ」 「問題、無い」  見れば、景の両手には拳銃が握られていた。銃口の先には、瞳と同じ紋が浮いている。 「全部、僕が撃つ」  二丁の拳銃が、機関銃の如く火を吹いた。   (シャドー)達が花子達の手前で次々と墜落していく。  その間も、茜はスピードを緩める様子はない。  時折、横から飛んでくる個体もいたが、景はそれにも即座に反応して撃ち落としていった。  羽音と銃声が混じり合った騒音が、崩れた建造物に木霊する。  最後の銃声の残響が消え、使われなくなった道路は静けさを取り戻した。景は宣言通り、全ての(シャドー)を撃ち落としてしまったのだ。 「アッハハハハ! 凄いな相変わらず」  列の後方に戻ってきた景は、照れ臭そうに目を伏せた。 「見えたわ」  花子達の目の前には、巨大な鬼門(ゲート)が築かれようとしていた。  寺院の楼門にも似たそれは、既に半分以上出来上がっている。鬼門(ゲート)の足元には、大量の(シャドー)が集まっていた。その様子はさながら砂糖に群がる蟻のようである。 「あの、あれって……」  眼下ではおぞましい建築作業が行われていた。  ぞろぞろと(シャドー)達が門をよじ登る。黒い物体に自らの身体を密着させ、鬼門(ゲート)と一体化していく。  この世の物とは思えぬ光景だった。  チッ、と茜が舌打ちをする。 「これじゃあミナゴロシ戦法は無理だな」  そうねと純夏が頷く。 「取り敢えず、登っている敵から対処するべきね。下から退治していくのではキリが無いわ」  純夏の言う通り、今は鬼門(ゲート)完成の阻止が最優先である。 「鬼門(ゲート)の上に降りましょう」  花子たちは鬼門(ゲート)の頂上に降り立った。広さこそはあるものの足場が悪く、黒い靄で視界も悪い。下にいる大量の(シャドー)のせいか、不気味な振動が伝わってくる。 「ひいっ」  足場をよく見ると、御影石のようになった(シャドー)がまだ形を残していた。ごつごつとあちこちから突き出ていたのは、(シャドー)たちの角やら腕やらだったのである。  景を中央に配置し、他の三人はそれぞれ足場の縁に散らばった。  景はレーダー役兼上空の敵担当。花子、茜、純夏は、登ってくる(シャドー)をひたすら落としていく係だ。  足元の揺れが大きくなっていくのを感じる。  ——近づいてくる。  花子は腰の刀の柄に手を添えた。  縁から下を覗いてみると、大量の(シャドー)が黒い波となって押し寄せていた。腕を伸ばす、腹で這う、転がる、飛ぶ。滅茶苦茶だ。  最初に到着したのは蜘蛛の形をした(シャドー)だった。次に首の長い(シャドー)、車輪の形、蛇の形——後はもう、わからなかった。 「ぬあぁぁあ!」  花子は刀を抜き、迫り来る黒い塊をひたすらに斬った。  振り下ろして、切り上げて、避けて、跳んで、薙いで、突いて、また切り上げて——型も技もへったくれも無い。とにかくヤケクソだった。  しかしそれも長くは続かなかった。ライオンがヌーの群れには敵わないように、花子達もまた、押し寄せる(シャドー)に圧倒されていた。  始めは縁に立っていた花子だったが、今では景のすぐ近くまで押されている。それは花子に限らず、純夏も茜も同様だった。  一撃で複数の敵を屠る茜も、幾種もの武器を形成する純夏も、ここではほとんど無力であった。 「くっそおぉぉお!」  茜が声を荒げた。  花子達の周りには、鬼門(ゲート)の一部となった(シャドー)が積まれていく。  このままではやがて埋もれてしまう。敵も減らない。  退き際だった。 「撤退だ!」  茜の声で四人はやむなく上空へ離脱した。  花子達のいた場所が、瞬く間に(シャドー)で埋まっていく。 「チっ……! せめてこのくらいはッ」  茜が一人で降下した。壁面の(シャドー)を叩き落としていく。 「私たちも降りましょう」  空からも翼を生やした(シャドー)が迫っていた。
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