7人が本棚に入れています
本棚に追加
誘い
令和になった皐月下旬、真夏日が続き営業活動で疲労が溜まり始めていた。
電車の揺れに身を任せ瞼を閉じるとうたた寝に落ちていく。
周りの音が徐々に遠退き、船を漕ぐたび一瞬覚醒し、また深みに落ちる。
覚醒した時、薄く目を開けると黄金色の光の中に黒い靄が小さく見える。
また一瞬覚醒した時、靄が蠢く音が微かに聞こえる。
もう一度覚醒した時、無音の中で大きな熊手を広げたような形に靄が見える。
次は見たくない…、見ない方がいい…、お願いだから…。
えっ、誰にお願いしてるの…、ざわざわ…。
何かが誘っている?…。
知っているような?、知らないような?、全身に冷や汗を浮かべた。
そんなある日、仕事で某駅に降り立つとホームの端に人の良さそうな御老人が手を合わせ頭を垂れていた。
気になるが仕事の約束があるので、時間の都合で足早にホームから立ち去る。
別の日に仕事で某駅に降車すると、あの御老人が同じホームの場所でまた佇んでいた。
約束の時間まで余裕があるので、思いきって声を掛けてみる。
「すみません、ここで何をされているのですか?」
御老人は瞑っていた目を開き、穏やかな声で「数年前ここで悲惨な事故が続き、その方々の冥福を祈っています」と。
聡は亡くなられた関係者の方だろうと推測すると、「この駅傍に間々井香取神社があって、その近くに住んでいます」と話してくれた。
「あんな悲しい事故はもう懲り懲りだから…」と、遠くを見つめる目が潤んでいるように思える。
「神社の方ですか?」と尋ねようとする前に、「あの続いた事故は、どうも呼ばれたものじゃないかと考えています。私には黒く蠢く靄の存在が見えるから…」と言葉尻が掠れ小さな声で聞き取り難い。
「もしかして、今黒い靄とおっしゃいましたか?」と尋ねると、御老人は少し驚いた顔で「あなたにも見えるのですか?…」と。
聡は「信じて貰えるか分かりませんが、電車内でうたた寝している時、夢で見たような記憶があるものですから」と。
御老人から「あなたは感受性が高いのかも知れませんね」と言われながら、手で空を切る仕草をして「私は長谷川と言います、あなたの御名前は?」と問われ、「秋坂です」と答えた。
「ここで秋坂さんが私に声を掛けたのも何かの縁ですから、今度時間がある時会いましょう」と誘われ、お互いの連絡先を交換した。
最初のコメントを投稿しよう!