第3章 魔神狩り

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 ふと七都は、ナチグロのことが気にかかった。  彼って……。猫から男の子になって、飛んで行った彼って……。 「背中に虫の羽根を生やして飛ぶ男の子って、魔神族ですかね?」  七都は、彼に訊いてみる。 「それは間違いなく魔神族だな。少なくとも、人間は羽根を生やして空を飛んだりはしない」  やっぱり……。  ナチグロは、魔神族なんだ。  じゃあ、ここで鉢合わせをしたら、ナチグロは彼に退治されてしまう。  七都は、焦る。  たとえ魔神族でも、うちの長年の飼い猫で、家族の一員だ。 「見たのか?」  彼が、鋭く問いかけた。 「さ、さっき。かなり前。山の向こうに飛んで行ったから」 「山の向こうは、『魔の領域』と呼ばれる魔神族の住処だ。そうだな。では、夜が明けるまで、あんたのそばにいることにしよう。また魔神族が現れないとも限らないからな」 「い、いいです。結構です。護衛してくれなくても。とてもありがたいですけど、あなたもお忙しいでしょうし。私が待っている人も、もうすぐ帰ってきますもん」  それが、羽根を生やして飛んで行った当の魔神族だとは、口が裂けても言えない。 「では、あんたの待ち人が来るまで、ここにいる。無知なあんたをひとりで置いておくのは、常識的にも危ない。それに……」  彼はしばし沈黙して、七都を眺めた。 「やはり、似ている……。だから、このまま無下に立ち去るわけにもいくまい」  彼が、記憶をたどるような遠い目つきをした。 「私が、あなたの知っている誰かに似てるってことですか?」 「そう。その人はもう存在しないが。昔のことだ」  彼に少しだけやさしい表情が現れる。  どこか少年っぽい、ぎこちないが親しみやすい雰囲気が垣間見えた。  この人、やっぱりしかめっ面より、笑ったほうが、きっと素敵だ。  七都はちらりと思ったが、彼の申し出には困り果てた。  ナチグロが魔神族なら、夜が明ける前に帰ってくるのは必然ではないか。  太陽が苦手な魔神族が外に出ていられるのは、おそらく夜明けまでの暗い時間なのだから。  しかも彼が帰ってくるのは、魔神ハンターを職業としているこの人がいる、この場所になってしまう。  冗談じゃない!  でも、どうやって、この人を立ち去らせたらいいのだろう。  別に、自分の知っている誰かに似てるからって、ここにいてくれなくてもいいのに。  守ってやるって言ってくれてるわけだから、悪い人じゃないみたいなんだけど……。ちょっと性格、ムカつくとはいえ。 「あ、あのう……」 「私の名は、ユード。あんたは?」 「七都……」 「ナナト? 名前も変わっているんだな。ま、どちらにしろあんたは、とっとと自分のいた場所に帰ったほうがいい。ここは、あんたにとっては危ない場所だ」 「それは、同感ですね」  少なくとも七都のいる世界には、通常、剣を持ってうろつきまわる人はいない。いたら犯罪だ。魔神族とやらも、もちろん存在しない。  悪魔や魔王だって、普通は物語や映画やアニメ、ゲームの中のキャラクターにしか過ぎないのだ。 「あのう、ユード……」 「黙って!」  ユードが険しい表情をして、剣を半分抜いた。  刃が不透明になり、淡いオレンジ色に輝いている。 「剣が反応している。魔神族だ……」  ユードは輝く刃を見下ろして、静かに呟く。 「えっ!」  ナチグロが帰ってきたのか?  どうしよう。  そのとき、ウィィィィンという、奇妙な音が聞こえた。  カッ、カッという、何かが地面を駆ける音も。  それは七都とユードを中心にして、ぐるぐる旋回しているようだった。 「我々の周りを回っている」  ユードが、ささやくような声で言った。  七都はあたりを見渡したが、何も見えなかった。  音の主は、七都たちの視界に入らない、この丘のもう少し下あたりを駆けているらしい。 「魔神族の操る、生きていない馬の蹄の音だ」 「生きていない馬?」 「ちょっとこれをしばらく持っていてくれないかな、ナナト」  ユードが腰から短剣を抜いた。  その短剣もまた、まばゆいオレンジ色の輝きを放っていた。同じ種類の剣のようだ。 「え。そ、そんな危ないものをっ」 「ただ持っているだけでいい。魔神族に切りつけろとは言わない。あんたにそんな期待はしない」  ユードは、七都の腕をつかんだ。  手袋をしているとはいえ、その下の彼の手のあたたかさが伝わってくる。  この人、妙に体温高い……?  ユードは、短剣を七都に握らせる。  短剣の柄は、夏の強烈な日差しの中に長時間さらしたかのように熱かった。  刃の輝きは暖色のオレンジだったが、どこかぞっとするような冷たさと怖さがあった。  この短剣って、いったい何? 「では。少しの間、私は消える。健闘を祈る」 「え?」  ユードが黒い風のように素早く移動し、視界から消え去った。 「ちょ、ちょっと、どこ行くのおっ!!!」  七都は、たったひとり取り残される。  えー。うそでしょーっ。  無知な私を一人で置いておくのは、常識的にも危ないって言ってたじゃない!  カッ、カッ、カッ、カッ……。  何かが地面を蹴る音が、先ほどより大きくなった。  柱の残骸の間に、闇色の影が幽霊のように現れる。  それは、ナチグロが変身したあの少年ではなかった。
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