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黒い金属の鎧で覆われた馬に、その魔神族は跨っていた。
銀色に輝く鏡のような甲冑。
肩に巻いた真珠色の薄布が、半透明のやわらかい翼のように風に舞う。
魔神族の顔には仮面が付けられていた。
仮面は、どう見ても猫の顔だった。
カーブを描いた線で出来た両目は、目を細めた時の猫にそっくりだ。笑っているようにも見える。
仮面の上部の二つに分かれた部分も、猫の耳のようだった。
七都の持つ短剣のオレンジの輝きが、さらに増す。
不思議なことに七都は、その魔神族に対して恐怖は感じなかった。
馬に乗った仮面の姿にも、昔どこかで見たことがあるかのような、妙な懐かしささえ覚えた。もちろん、そんなはずはないのだが。
仮面をかぶった魔神族は剣をかざし、七都の周りを円を描いてぐるぐると回った。
ウィィィィンという音は、馬から発せられているようだ。
(機械?)
七都は一瞬、魔神族も馬も、その鎧の下には冷たい機械の部品が詰まっているような気がした。だが、少なくとも魔神族のほうは、生身らしかった。
銀色の鎧を通して、七都の耳に、微かにやわらかい息遣いが聞こえた。
兜の下からは金色の長い髪が伸び、たおやかにゆらめいている。
七都の変化した髪も美しいが、それは光を吸い込む闇の緑色。その魔神族の金の髪は、七都の髪とは対照的だった。月の光を反射して、輝くようだ。
「エヴァンレットか。この場所にその剣を持ち込んだ勇気に対しては、褒めてやってもいいぞ」
仮面の下から、くぐもった声が聞こえた。
何か機械によって変えられたかのような、不自然な声。
聞く者が恐怖を感じるように考えられ、設定されたかのような声だった。
馬上の魔神族は七都に近づき、高くかざした剣を七都めがけて振り下ろした。
七都はかろうじて、その刃をかわす。
体が、考えるよりも先に勝手に動いた。
「おのれ」
魔神族が、剣を再び振りかざす。
笑っている猫の顔が、その体の行動とはまるっきりかけ離れている。
「やめてっ!」
七都は叫んだが、当然魔神族は、やめる気はなさそうだった。
握りしめた短剣の柄が、熱い。
持っているのが苦痛に感じるほどだ。
魔神族の剣がきらめいた。
七都の真横で、剣がずさりと刺さって止まった。
招き猫だ。
招き猫の頭――耳と耳の間に、魔神族の剣がめりこんでいる。
あー、なんてことを。
果林さんになんて言い訳しよう。
魔神族は、招き猫から剣を引き抜いた。
そして、七都に狙いを定める。
「やめてってば!」
再び招き猫の額に、傷がざっくりとつけられる。
これでは、招き猫が真っ二つにされるのも時間の問題かもしれない。その前に、七都が真っ二つにされるかもしれないが。
この短剣のせいなのか?
この短剣が、魔神族をひきつけている?
「別に、あなたと戦おうとか思ってないよっ。これを持ってるのは、仕方なくなんだから!」
七都は、輝く短剣をかざして叫んだ。そして、付け加える。
「これが欲しいのなら、あげるから!」
もちろん短剣の持ち主はユードなのだが、彼に断っている暇などあるわけはない。
魔神族の行動が短剣を渡すことでおさまるなら、この場合そういうのもありだ。ユードの損得なんて気にしている状況ではない。
「それは喜ばしい申し出だが」
魔神族はしばし動きを止め、七都を見下ろした。
「私はその剣に触れられぬ。そなたが処分しろ」
「処分?」
七都は、短剣の刃を見つめた。
とにかくこの短剣をどうにかして、この魔神族と話がしたい。
なんとなくユードよりも話しやすそうに思えるし、いろんなことを知っていそうだ。
どうすればいいのだろう。
そうだ。
これは夢なんだから、こういうことも出来たりする?
いや、なんか出来そうだ。
七都は、いきなり短剣の刃を片手で握りしめた。
手のひらに、一瞬、熱さが走る。
やっぱり、夢でも痛いかも……。
七都は覚悟したが、痛みはなかった。
短剣のオレンジ色の輝きが消える。まるで、突然壊れた蛍光灯のように。
ピシッという鋭い音がして、刃に細かいひびが入った。
ひびの入り方があらかじめ決められていたかのような、整然とした割れ方だった。
やがて、刃は七都の手のひらの内側で、ぼろぼろと崩れる。
幾千もの透明なかけらが、手からこぼれ落ちていく。
七都の手に、刃を失った柄だけが残った。
それを地面に落とすと、カランという乾いた音がした。
七都の足元の石畳には、無数の透明な砂となった短剣の残骸が、月の光を反射してきらめいていた。
「さ、処分したよ」
馬上の魔神族は、固まったように動かなかった。
あきれているのかもしれない。
これって、やりすぎ?
手のひらを見ると、赤くただれていた。
痛みは感じないが、どうやら火傷をしたらしい。
ちょっと、やばかったかな。
機械音が止まった。馬も動かなくなる。
魔神族は、両手で静かに仮面をはずした。
仮面の下からは、美しい白い顔が現れる。
透明な銀の目に、闇の色の瞳。整った顔立ちは彫像のようだ。
優雅な仕草で兜を取ると、豊かな金色の長い髪がふわりと広がる。
(女の人?)
七都は、魔神族を見上げた。
魔神族は馬からひらりと降り、七都に歩み寄る。
七都は一瞬身構えたが、魔神族はひざまずいて、七都の手を取った。
「なんと無謀なことを……」
魔神族は諌めるような、だが、いとおしげな表情をして、七都を見つめた。
睫毛が長い。きれいな女性だった。
声も涼やかなハスキーボイス。猫面を付けていたときとは違う。
「私の名は、メーベルル。闇の魔王ハーセルさまに仕えるもの。大変、失礼を致しました」
彼女が頭を垂れた。
そして、七都の火傷をした手のひらに、自分の唇を押しつける。
彼女の手も唇も冷えてはいたが、内部には心地よいあたたかかさがあった。
ユードの体温の高い手とは対照的な、落ちついたやさしいあたたかさだ。
火傷のあとが、たちまち消えていく。
瞬くうちに、七都の手のひらの火傷は完全になくなってしまった。
「治してくれたんですか? ありがとう」
「いえ。治ろうとしているあなた自身の力に手をお貸ししたまでのこと」
メーベルルは、微笑んだ。
「あなたは、ここにいてはいけない。これからあなたをお送りします」
「え? どこへ?」
「風の魔王リュシフィンさまのもとへ。風の城へ」
「リュシフィン? 風の城?」
そのとき――。
黒い影がメーベルルの背後で伸び上がった。
七都の目に、ユードが輝く剣を振りかぶっているのが、スローモーションのように映る。
「危ない!!」
七都は、叫んだ。
だが、間に合わなかった。
メーベルルは、七都の目の前でくず折れた。
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