第3章 魔神狩り

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 七都が顔を上げると、ユードが朝の光の中に立っていた。  まるで太陽を味方につけているかのように、陽射しを体いっぱいに受けている。  髪と肩に光のラインが縁取られ、彼の影は石畳にくっきりと張り付いていた。  魔神族の少年は、ゆっくりと振り返った。  振り返る動作さえ、厳しそうだった。  ユードの手には、あのオレンジ色に輝く剣が握られている。  太陽からカケラを切り取って、そこに植えつけたかのように輝く、あの剣が。  そして、もう片方の手には、野に咲いているとおぼしき白い花が、束になって握られていた。  うわ。  本当に花持ってる。  七都は、うんざりする。  彼が先程口にした言葉通り、七都とメーベルルを弔うつもりだったのだろう。  やっぱり、基本的には悪い人じゃないんだろうけど……。 「ユード。そうか……。いたいけな少女を鎖で縛って、太陽の光で焼いて殺そうなんていうひどい悪趣味は、君の仕業か……」  ナイジェルと呼ばれた魔神族の少年は、透明な水色の目でユードを見据えた。  だが、倒れそうな彼の瞳に、ユードの姿がちゃんと映っているのかさえ怪しい。 「こんな時間におまえに出会うとはな。おまえが出てくるとは、この娘はいったい何者なんだ?」  ユードは、ナイジェルのマントをかぶった七都に、チラと目をやった。  この人たち、知り合いなんだ。  七都は、マントの隙間から、二人を見比べた。  魔神狩りを生業とするユードと、魔神族のナイジェル。  当然、友情で繋がれた関係ではないだろう。 「このお嬢さんの正体は、僕は知らない。ただ、君に殺された魔神族の女性の最後の言葉を聞いた。彼女は、この人を助けたがっていた」  ナイジェルは言って、剣を構えた。 「だが、この時間では、こちらに分があるな。その柱の影から引きずり出してやる」  ユードは輝く剣を高く掲げ、ナイジェルに飛びかかった。  ナイジェルは、刃を素早く受け止めたが、彼の剣に力は入っていなかった。  キン、キンという鋭い透明な音が、朝の空気の中にこだまする。  ユードのほうがナイジェルよりも背が高く、体格も優れていた。見た目だけでも、ナイジェルが不利なことは明らかだ。  何回か防戦するうちに、剣がナイジェルの手から手袋ごと、振り払われるように地面に落ちた。 「あっ……!」  七都は、小さく叫ぶ。  ナイジェルは、あらわになった白い手でユードの攻撃をかわそうとしたが、力の差は歴然だった。  ユードは、剣をナイジェルの喉に突きつけた。  ナイジェルの瞳は、剣のまばゆい光で、針のように細くなる。  次第にナイジェルの体は、ずるずると柱の根元に追いやられていく。 「やめて!」  七都は足をばたつかせることしか出来なかった。  ああ、このままでは、この人は、太陽の下に放り出されてしまう。  いったいどうしたら……!  ユードは、ナイジェルを石畳の上に組み伏せた。  ナイジェルの体のすぐ横で柱の影は切れ、その向こうには、太陽が金色の光の膜を石畳の上に作っている。 「そう短くはないつきあいだったが、お別れだな。弱ったおまえを殺すのは忍びないが……。もうすぐ、ここにも陽の光が届く」  ユードは、ナイジェルを押さえつけたまま、至近距離から彼を見下ろした。  ナイジェルの水色の目は宙をさまよい、口からはうめき声が漏れる。  ナイジェルは、右手でユードの肩をつかんだ。だが、ユードはその手を引き剥がし、石畳に押し付ける。 「このまま太陽に溶けるがいい。最後まで見届けてやる。さらばだ、ナイジェル」  ナイジェルの透明な目の中で、暗黒の瞳がゆっくりと、大きく広がり始める。耳にとまった金の輪が、きらりと瞬きするように輝いた。  柱の影がゆっくりと動き、太陽の光がユードとナイジェルに到達する。  七都は、悲鳴を上げた。  ナイジェルの白い手から、煙が上がった。  煙は赤い炎と化し、ナイジェルの右手は、見る間に炎に包まれる。 「ナイジェル!!!!!」  もう、やめて!  ナイジェルも、メーベルルのように、消えてしまう!  もう、目の前で、誰かを失うのはいやだ!  やめて、やめて、やめて――!!!  七都は、声にならない叫びを上げ続けた。  突然、視界が真っ赤になる。  七都の目は、全体が透明なワインレッドに変化した。  そして、闇色の丸い瞳があふれるように大きくなり、それはたちまち目の表面を覆い尽くす。 「は……」  ユードの動きが止まり、顔色が変わった。  周囲の空気が緊張している。  何か、目に見えぬ力が働いている。  風が止まった。木々も、ざわめかない。  ピシ!  ユードが握っていたエヴァンレットの剣に、無数の亀裂が入った。  やがてそれは乾いた砂と化して、流れるかのように、さらさらと砕け落ちる。  ユードは呆然と、柄だけとなった剣を眺めた。  ナイジェルは、透き通った刃のかけらを振り落としながら、右の肩を抑えて起き上がる。  素早く彼は、太陽が届いていない柱の影に戻った。  七都は、光の中に立っていた。  くるまっていたナイジェルのマントは、足元に落ちていた。  体を戒めていた鎖も、手枷も、蒸発して大気に飛び散ってしまったかのように、消え失せている。 「平気なのか! 太陽が……!」  ユードが七都を凝視して、うめくように呟いた。  七都の体は、石畳から五十センチくらいのところで、宙に浮いていた。  長い髪は固定されたように、背後に渦巻いて止まっている。  太陽の光は七都を包み、七都の髪を鮮やかな緑色に染め上げていた。  まるでそれは、一枚の幻想的な絵画のようだった。  七都の、全体が暗黒に変化した目が、ユードを見据える。  光をすべて吸い込んでしまいそうな、真っ黒の宝石をはめ込んだような両の目。  ユードにとっては、今までに無数に対峙してきた魔神の目と同じもの。  だがそれは、すべて夜の闇の中でのみ見た目だ。太陽の下では遭遇するはずのないものだった。  ナイジェルが動いた。  落ちていた自分の剣を拾い上げ、ユードの背後から、それを浴びせる。 「今のは、君に殺された魔貴族の女性の分」  ナイジェルは呟き、それからユードの右腕を剣でえぐった。 「これは、僕の手の分」  ユードは、くず折れた。  血がみるみるうちに、ユードの背中と右手を覆っていく。  七都は宙に浮いたまま、闇色の瞳で、ぼんやりとその様子を眺めていた。 「背中は急所をはずした。手当てをすれば治る。だが、君の右手は、そのままではもう使い物にはならないだろう。これでおあいこだ。君も左手だけで生きていくがいい。もっとも、魔力など使えぬ人間の君のほうが、僕よりもずっと苦労することになるだろう」  ナイジェルが静かに言った。それから彼は力なく微笑んで、付け加える。 「ただ、血を吐くような訓練と努力をすれば、君の右手は、多少は動くようにはなるかもしれないけどね」  ユードが顔だけ上げて、ナイジェルを睨みつける。 「あとね。早めにここから立ち去ったほうがいいと思うよ。このお嬢さんが爆発炎上しないうちに。爆発したら、今の僕には止められないから」 「く……」  ユードは痛みに顔を歪めながら、それでも体を立て直し、這うように二人の視界から消えた。  石畳の上には、ユードが残した赤い血が、点々と続いていた。 「降りてきたら?」  ナイジェルが、宙に浮いたまま止まっている七都に、無事だったほうの手を差し出す。柱の影からはみ出さないように注意しながら。
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