第3章 魔神狩り

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「少し、落ち着いて」  七都は、手袋をはめたその手をつかんだ。  ナイジェルの力は弱かったが、それでも彼は、七都の手をしっかりと握り返した。  闇の瞳は消え去り、七都の目は元通りになる。 「あ。あ。あーっ!」  七都は、ナイジェルの手をつかんだまま空中で足をじたばたさせたが、やがて地面が七都の足の裏にしっかりとくっついた。 「はい。お帰り。よかった。あれ以上暴走しなくて」  ナイジェルが、微笑んだ。  だが、その微笑ははかなげで、無理して作っているということが痛いほどにわかる。 「そ、それどころじゃないでしょう。あなたの手はっ!?」  七都は、口を押さえる。 「あ……!」  ナイジェルの右手は、肘から下が存在しなかった。 「残念ながら、太陽の光で溶けてしまった。君は、だいじょうぶなんだね。びっくりした。僕も、他の魔神族に比べると光には強いほうなんだけど、やっぱりだめだったな……」 「黙って。もう、喋らないで!」  七都はマントを拾い上げ、ナイジェルを覆った。  フードもきちんとかぶせて、深く下ろす。 「どこか、光が届かないところに移動しなくちゃ」 「あの建物の中がいいよ」  ナイジェルが、石畳の庭の真ん中にある、ドーム型の建物を指差した。  建物の表面は白く輝いていたが、その奥の入り口とおぼしき場所には、闇がアーチ型にはめこまれていた。闇の空間は、結構奥まで続いていそうだ。  七都は、ナイジェルに腕を回した。  ナイジェルのほうが背が高いので、七都がナイジェルに抱きついている格好になってしまったが、それでも七都は、ナイジェルをしっかりと支える。  ふと足元を見ると、白い花束が落ちていた。ユードが摘んできたものだ。 「ちょっと待って」  ナイジェルが立ち止まる。 「せっかくだから、太陽に溶けてしまった彼女に……」 「でも、これ、ユードが持ってきたものだよ。あなたにひどいことしたユードの……」 「彼がこれを持ってきたその気持ちと行為は、無視しなくてもいい。本心からのことだからね。それに、この花には罪はない。彼女のために摘んでこられたのだろうから、役割を果たさせてあげないと……」  そりゃあ、花には罪がないかもしれないけど……。  ユードはナイジェルの片腕を奪ったのだ。  そのユードが持ってきた花なのに、腹が立たないのだろうか。  お人好しにも程がある。  私だったら、花を投げ捨ててる。  七都は内心思ったが、その思いをしまいこんだ。 「……わかった。なんか素直に納得できないものがあるけど、あなたがそう言うなら……」  花束を拾い上げ、七都はメーベルルの鎧のそばに膝をつく。  それから七都は、鎧の上に花束を置いた。  見たことのない花だったが、美しく可憐だった。  星の形をした花と、鈴蘭をもっとダイナミックに拡大したような花。そんなに甘くはない、柑橘系のすっきりした香りがする。  ユードの美意識は、割とレベルが高いのかもしれない。  空を映した銀の鎧の上に花束を置くと、花束はまるで空に浮いて漂っているかのようだった。 「メーベルル。あなたのことは、決して忘れない」  七都は、呟いた。 「あなたの眼差しも、馬に乗った勇ましい姿も、私を守ろうとしてくれたことも、絶対忘れないよ」  私は、ユードがやったことも、やろうとしていることも、許さない。許せない。  いつかこの感情は変化するのかもしれないけど、今は無理だ……。  ナイジェルは黙ったまま、フードの下から、たたずむ七都を眺めていた。  七都は、立ち上がる。  太陽の明るすぎる光に少し足がふらついたが、元の世界で、真夏日の昼間に外で運動するよりは、我慢できそうだった。 「さ、行くよ」  七都は、ナイジェルの腰に再び腕を回した。 「黒猫がいる……」 「えっ」  ナイジェルが、指差した。  彼の指の先には、招き猫が石畳の上に、影のようにぽつんと立っている。  耳の間のえぐられた白い傷が、なんとなく痛々しい。 「ああ、あの猫の置物は、私が持ってきたの。私が住んでる世界から」 「あれは、頭をかこうとしているのか、何かにじゃれつこうとしているのか。星を取ろうとしているのか……」 「幸運を招き寄せているらしいよ。右手を上げているとお金を招いて、左手を上げていると人を招くんだって。これは左手だから、人だね」  七都は、果林さんが前に説明してくれた通りに言った。  それとも、右手が人で、左手がお金だったっけ?  だが、たとえ間違っていたとしても、ここでは誰も困らないし、誰にも責められない。  こういう状況で招き猫の説明をしているのが、なんとなく現実離れしていて、夢の中のようだった。  七都にとって現実は、招き猫のほうなのだが。 「幸運をね? それにしては、傷だらけ……」 「メーベルルの仕業。もう招き猫のことはほっといて、はい、行くよ」 「あの猫、いいな……。いらないんだったら、くれない?」と、ナイジェル。 「残念だけど、あれにはちゃんと持ち主がいますので。それに、あれは目印だから。今はなくなってるけど、あのそばには、私がこの世界に抜けてきたドアがあるはずなの。その目印」 「君が住んでいる世界へ通じている扉か……」 「飼い猫を追いかけてドアを開けたら、ここに出たの。その飼い猫も、どうやら魔神族が化けてたみたいなんだけど。山の向こうに飛んでってしまって、ドアも閉まって消えてしまったから、その猫に化けてた男の子が帰ってくるまで、私はここで待つしかない」 「この猫の像が、その猫少年を早く招いてくれるといいね。しかし、つまり君は、いきなり異世界と通じる扉からここに出てきて、ユードに出会ってしまったわけだ……。運が悪かったね」  七都はナイジェルを覗き込み、睨んだ。 「うわ。怖い顔……」  ナイジェルが、フードの奥からおののく。 「あまり喋らないの! よそ見しないの! あなたは今、それどころじゃない状態でしょっ! 弱ってるわりには口数多いよっ。それに、だいたい私はマントなしで暑いんだからっ」 「はいはい……」  七都はナイジェルを引きずるようにして、ドーム型の建物へと向かった。
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