第4章 魔王の神殿

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第4章 魔王の神殿

 建物の中は、しんと静まり返っていた。  七都とナイジェルは、入り口にうずくまる二匹の猫の像の間を通り抜け、レリーフの壁で飾られた闇の中の通路を進んだ。  猫の像は通路のあちこちに、そこの守り神であるかのように配置されている。  そこには遺跡や廃墟に特有の、時間の経過による乱雑さが全くなかった。  壁や天井の崩壊もなく、それどころか、埃さえ降り積もってはいない。  定期的に手入れされ、きちんと管理されているかのように、どこか整然としていた。  やがて、階段が現れる。  階段は螺旋を描いて、地下へと続いていた。 「そういえば、ここって暗闇のはずなのに、目が見えてる」  七都は、天井を見上げた。  天井にも、なにやら複雑な彫刻がされているのが、細部まで見渡せる。  天井に描かれているのは、たくさんの星々。広大な宇宙のようだ。 「それは、君が魔神族だから……」  ナイジェルが、フードの奥から言った。  七都は、ため息をつく。 「やっぱり、私は魔神族なんだ」 「しかも、結構強い魔力を持ってると思う……」 「えー」  七都は、顔をしかめた。  二人は、長い螺旋階段を一段ずつ、ゆっくりと下りた。  底に下って行くにつれて、太陽の存在も遠ざかっていくのがわかる。  七都の体も、少しずつ楽になっていった。  太陽の下でも溶けずにいられたとはいえ、その光は何千もの針で突き刺すかのように、七都の肌にまとわりついていたのだ。  階段を下りきると、真正面に石の扉が現れる。その表面もまた、複雑で美しい彫刻で覆われていた。  石の扉は、重々しく通路を塞いでいる。 「この扉、どうやって開ければ……」 「簡単だよ。開けって命令すれば開く」  ナイジェルが言う。 「えーと。そんじゃ、ひらけ、ゴマ、とか……」  扉に変化はない。 「なに、それ……。本気でちゃんと思って、言わないとだめだよ」  ナイジェルは、扉を指差した。 「じゃあ、手を置いて。そのほうが早い。言葉にするより感覚で命令するといい……」  七都が試しに扉の表面に手を置いてみると、扉はすんなりと開いた。  なんか悔しい……。  七都は、特に罪もない石の扉をチラリと睨んだ。  扉の向こうは広間になっていた。  天井は高く、中の空気も悪くはない。  二人が入ると、壁に沿って並べられたガラスのランプに、白味がかった青い炎がずらりと灯った。 「あれ、あなたがつけたの?」 「いや。自動的につくようになっているんだろう、きっと。便利だね……」  広間の正面には、平たい石の台があった。  祭壇というより、どこか寝台のようにも見える。  大きさも大体、セミダブルベッドくらいだ。  陶器の大皿とポットが一つずつ、そしてガラスの小さな器が数個、石の台の脇に置かれた細長いテーブルの上に乗せられていた。  大皿には、たくさんの丸いお菓子のようなものが、きちんと並べられている。それはよく見ると、蓮を矢車菊くらいに小さくしたようなチョコレート色の花だった。  石の台の向こう側の壁には、七人の人物の絵が描かれている。  七人はそれぞれ、違った仮面をかぶっていた。  どの仮面も猫を思わせるデザインで、メーベルルがかぶっていたのと同じようなものもある。  衣装もさまざまで、鎧を着た者もあれば、長いドレスをまとった者もあった。手にしているのも、剣や琴、笛など、全部違っている。  広間には何箇所か、上部が平たい皿状になった棒状の家具が置かれていた。香を炊く台のようだ。 「居心地は悪くないみたいだね。ここ、魔王の神殿だってユードが言ってたけど、何か、どこかの古いお城の中にありそうな、広めの部屋みたい。ちょっと殺風景だけど」  七都は、感想を言った。  もちろん、七都は『古いお城』に行ったことはなく、テレビを通して見ただけだ。 「昔は、魔王の神殿だったのかもしれない……。でも、今は、魔神族の避難所になっている」  ナイジェルが言った。 「避難所?」 「僕らみたいに、夜が明けるまでに太陽から逃げ切れなかった魔神族のための避難所さ。だから、ほら、掃除もされていて、きれいでしょ。食べ物もあるし……」  七都はテーブルの上をもう一度見た。  飲み物が入っているらしいポットと、大皿に盛られた花。  食べ物って、あれ?  魔神族の主食って、お花? 「このあたりに住むある一族は、魔神族の血を引いているとも、神官の子孫だとも言われているらしい。彼らは数少ない魔神族の味方で、ここの管理をしてくれている。僕らがいつ来てもいいように。だから、きっと君が通ってきた扉も、この遺跡に通じるように設定されているんだろう……」  七都は、ナイジェルを台の上に寝かせた。  ナイジェルは仰向けになり、目を閉じる。 「だいじょうぶ? 痛い?」 「魔神族は、痛みを感じない。痛みを感じるほどの強い刺激が起こった場合、勝手に傷みの回路が切れる構造になっているらしい」  ナイジェルが言った。  確かに、七都がユードの短剣を壊して火傷をしたとき、痛みは全く感じなかった。 (魔神族の体になったせいなんだ……)  七都は、火傷の跡形もない自分の手のひらを眺めてみる。  ナイジェルは、耳につけていたリングを片手ではずして、枕元に置いた。 「いつもはちょっと邪魔だから、この大きさにしてるんだけど……」  金の小さなイヤリングは、瞬く間に巨大化した。  腕輪の大きさになり、それを通り越して、さらに膨らんでいく。  やがて、美しい彫刻が施された見事な冠が現れた。  ランプの光を反射して、きらきらと輝く三日月形の冠――。  それ自体が生き物であるかのような、奇妙な存在感があった。 「すごい。魔法の冠だ」  七都は、呟く。 「悪いけど、額にはめてくれる? 片手では、ちょっと無理があるから……」  ナイジェルが、目を閉じたまま言った。 「うん」  七都は、金色に輝く冠を両手でそっと持ち上げた。  冠は七都の手の中で、びくりと身じろぎをしたように感じられた。  だが、それはすぐに七都の手になじむ。まるで冠が、七都を確認して納得したかのように。 「あ、しまった! 君、それにさわっちゃだめだ!」  ナイジェルが小さく叫んで、慌てて体を起こした。 「え?」 「言うのを忘れてた。君はその冠には直接触れられないから、このマントか何かで……」 「……おもいっきり、さわってますけど?」  ナイジェルは、冠を両手で捧げ持っている七都を見て、あんぐりと口を開ける。 「人間はもちろん、魔神族も、普通はその冠には触れられない。下級魔神族なら、さわっただけで深手を負う。なのに、君は……」 「すみませんね。魔神族なのに、いろいろ変わってるんですっ。剣も光らないし、壊せるし、太陽に溶けないし、冠もさわれるんですっ」  七都は、口を尖らせて言う。 「ちょっと興味を持ってきた。君が何者なのか。きっとメーベルルには一瞬にしてわかったんだろうね……」 「あ、そ。ほら、動かないで」  七都は、冠をゆっくりとナイジェルの額にはめた。  それは、ナイジェルにぴったりだった。  彼の顔とも調和が取れていて、よく似合う。  冠をつけたナイジェルは、気高さと気品に満ちている。  そして七都は、それとよく似た冠を知っていた。  夢の中に出てくる少女――。  彼女が額にはめているのも、確かこんな感じの冠だ。細かいデザインは違うようだが。 「あなたは、王子さまか何か?」 「そんないいもんじゃないよ」  ナイジェルは横たわり、再び目を閉じた。 「これを付けると、体力は回復する。力を引き出して、増幅してくれるんだ」 「さっき使えばよかったのに。手がなくなる前に」  七都は呟く。 「太陽の光の下では無力だ。ただの装飾品に過ぎない。多少は守ってくれるかもしれないけど。第一、さっきはユードと戦ってたから、はめてる暇さえなかったし」 「冠をはめたら、あなたの手は治る? 新しい手がはえてきたりする?」 「うーん。いくら魔神族でも、それはないな。手は、永遠にこのままだ。一旦失ったものは、二度と戻らない」  七都は、ナイジェルの右腕におそるおそる触った。  そこに本来あるべきはずの、肘から下の手が存在しない。  七都は、彼の腕を両手で押し包んだ。 「メーベルルは、私の火傷を治してくれたのに……」 「怪我の種類が違うからね。たとえ君がどんなに魔力が強くても、どうすることも出来ないんだ」  それまで抑えていた感情が、七都の全身をかけあがってくる。  胸の、とても深いところが痛い。  目の奥が、かっと熱くなる。  ああ。どうしよう。  私のせいだ。  私を助けようとしたから、この人はこんな目に遭ってしまって……。  これから一生、ナイジェルは、片腕のまま過ごさなければならない。  なんてこと……。 「……泣いてるの?」  ナイジェルは、透明な水色の目を開けて、七都を見上げた。 「え?」  七都が瞬きをすると、目の縁から透き通った硬いものが転がり落ちた。  拾い上げるとそれは、水晶で出来たビーズのような、小さな丸い石だった。 「これは……」 「魔神族は、普通、泣かない」  ナイジェルが言った。 「でも、魔神族が涙を流すと、そういうことになるんだね」  七都の目から涙の石が、再びぽとんと落ちた。 「自分のせいだと思ってる?」 「だって、あなたをそんな目に遭わせたのは、私なんだもの。あなたはこれからずっと、左腕だけで生活しなきゃいけなくなった。魔神狩りの人と出会ったら、左腕だけで戦わなきゃならないし、ご飯だって、左手だけで食べなきゃらないんだよ、毎回」 「多少魔力は使えるから、さほど不自由はしないと思うけどね。剣を使うときはともかく、食事のときは、もともと余り手は使ってないし」 「え?」 「い、いや。何でもない」  ナイジェルは、いたずらっぽく、くすっと笑った。
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