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「メーベルル……。メーベルルだってね、私を助けようとして死んでしまった。私がこの世界に来てしまったばかりに……」
七都の目から次から次へと、とめどなく涙の玉が落ちた。それはナイジェルの服や床の上に、ぱらぱらと転がる。
ナイジェルは、横たわったまま涙の石をつまみ上げ、明かりにかざした。
「責任は感じなくていいと思う。君のせいじゃないよ。この世界では、魔神族と人間は敵対している。魔神族が魔神狩りの連中と出会ってしまったら、どちらかが傷ついたり死ななければ収拾がつかない。メーベルルは油断したのだろう。僕も自分を過信して、本来は出ては行けない時間にこのあたりをうろついていて、結局太陽に捕まってしまった。自業自得だ」
「でも、私を助けようとしたからでしょ。そのまま無視したってよかったのに」
「そうだね。君をほっといても、結局太陽には平気だったわけだし。きっと君は自分で戒めを解いて、脱出しただろう。でも、それはわからなかったから。君を見殺しには出来なかった。メーベルルの最後の言葉が聞こえたしね。君を助けてほしいって叫んでいた」
<だが……。最後まで望みは捨ててはならぬ、風の娘よ……。あなたはこんなところで終わってはならぬ人だ……>
彼女の言葉が、耳の中に一瞬こだました。
メーベルル。
死ぬそのときまで、私のことを気にかけてたんだ……。
「メーベルルの最後の悲鳴。私には何て言ってるのかはわからなかった。あなたにはわかったんだね」
「魔神族は、死んだら体は残らない。太陽に当たらなくても、遺骸は溶けてなくなってしまう。だけど、亡くなったということは、身近な人にはわかるんだ。亡くなるときに、ありったけの思いを飛ばすから。僕は、それを感じた。他人だから、ほんの少しだけどね。彼女の家族とか恋人には、確実に届いただろう」
「彼女の大切な人たちは、彼女がもういないこと、知ってるんだね」
それは、だが、何とせつないことでもあるのだろう。
突然、前触れもなく一方的に届く、身近な人からの最後のメッセージ。
受け取った側は、どんなに悲しいだろう。
「彼女には、一度だけ会ったことがある」
ナイジェルが言った。
「直接話したことはないけど。軽い会釈程度かな。ある祝宴でね。そのときは、あんな勇ましい鎧は着ていなくて、裾の長い、とても魅力的な、女性らしい衣装をまとっていた。美しかった」
「うん。彼女は、きっとドレスアップしたら、すっごくきれいな貴婦人になったんでしょうね」
金の髪と銀の目の、すらりとした貴婦人。
七都は、メーベルルのドレス姿を想像してみる。
「彼女は、魔神族の間では結構有名だったみたいだ。闇の魔王が思いを寄せていた、なんて噂も聞いた。たぶん彼女は、外見以上にとても長いこと生きていたんだと思う。いろんなことを知っていて、さまざまな魔貴族や魔王たちとも交流はあっただろう。貴重な人をなくした」
メーベルル。
彼女は、もういないんだ。
そんなきれいな人が、貴重な人が、あっけなく死んでしまったんだ。
七都の目から涙のビーズが、再びぽとぽとと落ちた。
何か我ながら、とても感傷的になっている。
いろいろあったから、当然のことかもしれない。
誰かに明らかな殺意を持って殺されそうになったことも初めてだったし、目の前で、それまで生きていた人が太陽に溶けて消えてしまった、なんてことも、もちろん初めてだ。
ショックだった。
あまりにもショックな出来事の数々。
七都が瞬きをするたびに、透明な石は床に宇宙を作っていった。
「もう泣かないで。泣くと体力を消耗してしまうよ。本当は、魔神族は泣けないんだから」
ナイジェルは七都の頭に手を乗せ、そっと撫でた。
家族以外の人にそういうことをされるのは、初めてだった。
果林さんは七都が子供の頃、よくやってくれたような気がする。今でもたまに冗談ぽく、頭をなでなでしてくれる。
父の央人には撫でてもらった記憶はないが、たぶん、小さい頃はしてくれていたのだと思う。
ナイジェルの手は、まだ大人になりきっていない少年のどこか華奢な手だったが、心地よかった。
このまま、ずっと撫でられていたい。七都は思う。
「それからね、忠告だけど、この世界にいるときは、泣かないほうがいい。この涙の石をうかつに落としたりして、それが人間……たとえば魔神狩りの連中なんかの手に渡ったら、やっかいなことになる。ここを引き払うときは、残らず拾っていかなきゃならないよ。たとえ涙とはいえ、体の一部だったものを人間に渡してはならない。よほど信頼のおける相手でない限り」
ナイジェルが言った。
「あ……」
七都は、あることを思い出して、声をあげる。
「それなら、やばいかも」
「え?」
「さっき、ユードが私の髪を切り取って、持ってった……」
「それは……」
ナイジェルが、顔を曇らせた。
「近いうちに、取り返したほうがいいね……」
「えー。じゃあ、また彼と会わなきゃならないってこと?」
七都は、顔をしかめた。
もしこの先、ユードと会う機会があったら、自分でそう望まなかったとしても、彼に何かしてしまうかもしれない。危害を加えるとか……。
彼の剣を粉々にしてしまったから、彼を粉々に出来ないことはないだろう。無意識にしてしまわないとは言い切れない。
だから、出来れば彼とは金輪際、顔を合わしたくはない。
「彼が魔神狩人をやっている限り、どこかでまた遭遇せざるを得ない。それは仕方がないだろうね。こちらが無視しても、向こうが追いかけてくる」
ナイジェルが言った。
「なんで魔神族は、人間と敵対してるの?」
「それは、定め。人間は魔神族を恐れて嫌っているし、魔神族は人間を見下している。ここに来たとき、僕も最初は戸惑った。でも、僕がこの世界で属する一族なんだ。ここで生きていくのなら、それを受け入れるしかない。それにね。魔神族と人間が愛し合うこともある。僕の父は魔神族だった。別の世界に行ったときに、人間の母に出会って、僕が生まれた。だから、僕は半分だけ魔神族。でも、魔神族の血のほうが濃かったみたいだけど。太陽の光に体が耐えられないってことがわかったしね。太陽が平気な君が、うらやましい。君も……たぶん君のお父さんかお母さんは、魔神族なんだと思う」
「お父さんが魔神族なんてことありえないから、あやしいのはお母さんだ」
七都は呟いた。
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