第4章 魔王の神殿

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「君のお母さんは? 君が住んでる世界に?」 「ううん。お母さんは行方不明。もしかして、この世界のどこかにいるのかもしれない。風の城にいるのかな。メーベルルは、私を風の城に連れて行くと言った。結局、連れて行ってくれる前に死んじゃったんだけどね」 「風の城には、男の魔神族がひとりで住んでいるって聞いた」  ナイジェルが言う。 「え? 男の人?」 「だから、その人が風の魔王リュシフィンだと思ってたんだけど。どちらにしろ、君は風の魔神族らしい。そういえば、名前を聞いていなかった」 「七都。七つの都っていう意味。お母さんが付けたの」 「ナナト。七つの都か。魔神の領域は七つに分かれていて、七人の魔王がいる。そして、それぞれの領域を『都』と呼ぶ。風の都とか、水の都とか。君の名前は、そこから来ているのかもしれないね」 「魔王って、七人もいるの……」 「それで、魔神狩りの連中も大変なわけ。僕は、ナイジェル。水の魔神族」 「ナイジェル。あなたが元いた世界って、私が住んでる世界と同じなのかな?」 「それは、わからない。少なくとも僕は、君が着ている衣装は見たことはない」  七都は、サイズの合わない自分の制服を見下ろした。  やっぱり、しっかり観察されている……。 「この世界に来て、長い?」 「いいや……。だから、ここのことはあまりよく知らない。時々散歩がてら、うろうろして、あちこち見て回っている段階。風の魔神族に会ったのも、君が初めてだな。噂によると、最近風の魔神族は、ほとんど姿を見かけないらしい。君はおそらくいろんなことを知りたいだろうけど、僕は君にたくさん教えてあげられない。ごめんね。魔神族に関しては、自分の一族のことで、もう手一杯なんだ」 「別に謝らなくてもいいけど。ユードは知り合いみたいだね」 「ユードとは、出会ったときは、お互いに正体を知らなかった。気が合ったから、いい友達になれると思ったんだけどね。そう思ったのも束の間、正体がわかって、残念な結果になってしまった」 「ユードと気が合うんだ……」  七都は、少しあきれる。 「彼も、背負っているものがあるらしい。道楽で魔神狩りをやっているわけでもないみたいだ。ちなみに彼をおちょくると、結構おもしろい」 「じゃあ、もし今度会う機会があったら、おちょくってみる」 「やりすぎないようにね。……ところで、ナナト。せっかく用意してくれているんだから、それ、食べてみる?」  ナイジェルが七都の後ろを指差す。  七都は、テーブルの上に置かれた大皿を振り返った。  そういえば、少し疲れた。いろいろあったし。  体に何か力になるようなものを与えなければならない。その必要性は、何となく感じる。  七都は大皿から花を一つ、つまみあげてみる。  どこから見ても枯れている。完璧にドライフラワーだ。  これは、わざと乾燥させて、保存食にでもしているのだろうか? 「余りおいしそうじゃなさそう……」 「あ。それは、食べないほうがいいね。古いから」  七都がつまんでいる花をちらっと見て、ナイジェルが言う。 「そっちのほうは? 中身は入ってる?」  七都は、陶器のポットを抱えた。  白いポットの表面には、一匹の赤い蝶が浮き彫りになっていた。七都に群れごととまっていた、あの透明な蝶たちの形に似ている。  蓋を開けて覗いてみたが、ポットの中身は空っぽだった。  ただ、こげ茶色の何か液体のようなものが入っていた形跡がある。  匂いを嗅いでみると、微かにコーヒーの香りがした。  七都はコーヒーが苦手だったが、それはとても懐かしく、芳しい香りに思えた。 「いい香り……。これ、何?」  ナイジェルは、ポットに顔を突っ込んでいる七都を眺めて、ふうっと溜め息をつく。 「それにはお茶が入っているはずなんだけどね。そっちもだめか。これは、手抜きだな」 「え?」  七都は、ポットから顔を上げる。 「まあ、きっと魔神族はここへは滅多に来ないから、一度置いたら、しばらくはそのままなんだろうね。普通、こういうものは毎日、小まめなところは一日に何回か、取り替えるんだけど」 「つまり、ここの食料って、『お供え』状態ってこと」 「彼らにとっては、もはやそういう意味しかないのかもしれないね。仕方がない。夜になるまで我慢できる?」 「私はだいじょうぶだけど。あなたは、せめて何か飲んだほうがいいと思う。水とか」 「……人間が飲む水は、そのままでは、僕らは飲めない」  ナイジェルが静かに言った。 「じゃあ、何か探してくる。何か食べられそうなもの……」 「言っておくけどね。この世界のものは、迂闊に食べちゃだめだよ。水も野菜も果物も、すべて太陽の光の影響を受けている。魔神族の体が受け付けないものばかりだ」 「食べると、溶ける? 太陽に当たったときみたいに」 「そうはならないけど。試しに一回食べてみるといいよ。もしかしたら君は、おいしく食べられるかもしれないしね」 「でも、とりあえず、この花と同じものを探してくればいいんでしょう。これならあなたも食べられそう?」 「ナナト。外に出てはいけない。ここにいるんだ」  ナイジェルが左手を宙に伸ばした。  七都は、その手をそっとつかむ。  表面は冷えているが、あたたかい手。  メーベルルと同じ、やさしいあたたかさだった。 「確かに君は太陽の光には強いみたいだけど、長時間当たるとどうなるかわかったものじゃないよ。外に出て君に何かあっても、僕はもう君を助けてあげられない。だから、夜になるまでここにいるんだ」 「でも……」 「いい子だから。約束して。ここにいるって」  ナイジェルは、水色の透明な目で七都を見上げる。  なんという、澄んだきれいな目。 「うん……」  七都は、仕方なく頷いた。  弱いな、その目。抗えない。 「よかった。ありがとう」  ナイジェルは、微笑んだ。 「何であなたは人のことばかり心配するの? そんな状態なのに。メーベルルだって、最後まで私のことを心配してた。魔神族って、そういう優しい人たち? 単にあなたがそういう性格?」 「さあ?」 「私は今までの人生で、そんなにたくさんの人に出会ったわけじゃないけど。でも、あなたがとんでもなくお人好しなのは、何となくわかるよ。お人好しで、すごく能天気だってこと」 「ノーテンキ……」  ナイジェルは七都の言葉に怒りもせず、声を出して笑った。 「うーん。似たようなことは、元の世界にいた頃はよく言われたな。でもここでは、僕にそういうことを言う人は、さすがにいないけど」  う。よく言われてたんだ……。  やっぱり……。
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