166人が本棚に入れています
本棚に追加
「君のお母さんは? 君が住んでる世界に?」
「ううん。お母さんは行方不明。もしかして、この世界のどこかにいるのかもしれない。風の城にいるのかな。メーベルルは、私を風の城に連れて行くと言った。結局、連れて行ってくれる前に死んじゃったんだけどね」
「風の城には、男の魔神族がひとりで住んでいるって聞いた」
ナイジェルが言う。
「え? 男の人?」
「だから、その人が風の魔王リュシフィンだと思ってたんだけど。どちらにしろ、君は風の魔神族らしい。そういえば、名前を聞いていなかった」
「七都。七つの都っていう意味。お母さんが付けたの」
「ナナト。七つの都か。魔神の領域は七つに分かれていて、七人の魔王がいる。そして、それぞれの領域を『都』と呼ぶ。風の都とか、水の都とか。君の名前は、そこから来ているのかもしれないね」
「魔王って、七人もいるの……」
「それで、魔神狩りの連中も大変なわけ。僕は、ナイジェル。水の魔神族」
「ナイジェル。あなたが元いた世界って、私が住んでる世界と同じなのかな?」
「それは、わからない。少なくとも僕は、君が着ている衣装は見たことはない」
七都は、サイズの合わない自分の制服を見下ろした。
やっぱり、しっかり観察されている……。
「この世界に来て、長い?」
「いいや……。だから、ここのことはあまりよく知らない。時々散歩がてら、うろうろして、あちこち見て回っている段階。風の魔神族に会ったのも、君が初めてだな。噂によると、最近風の魔神族は、ほとんど姿を見かけないらしい。君はおそらくいろんなことを知りたいだろうけど、僕は君にたくさん教えてあげられない。ごめんね。魔神族に関しては、自分の一族のことで、もう手一杯なんだ」
「別に謝らなくてもいいけど。ユードは知り合いみたいだね」
「ユードとは、出会ったときは、お互いに正体を知らなかった。気が合ったから、いい友達になれると思ったんだけどね。そう思ったのも束の間、正体がわかって、残念な結果になってしまった」
「ユードと気が合うんだ……」
七都は、少しあきれる。
「彼も、背負っているものがあるらしい。道楽で魔神狩りをやっているわけでもないみたいだ。ちなみに彼をおちょくると、結構おもしろい」
「じゃあ、もし今度会う機会があったら、おちょくってみる」
「やりすぎないようにね。……ところで、ナナト。せっかく用意してくれているんだから、それ、食べてみる?」
ナイジェルが七都の後ろを指差す。
七都は、テーブルの上に置かれた大皿を振り返った。
そういえば、少し疲れた。いろいろあったし。
体に何か力になるようなものを与えなければならない。その必要性は、何となく感じる。
七都は大皿から花を一つ、つまみあげてみる。
どこから見ても枯れている。完璧にドライフラワーだ。
これは、わざと乾燥させて、保存食にでもしているのだろうか?
「余りおいしそうじゃなさそう……」
「あ。それは、食べないほうがいいね。古いから」
七都がつまんでいる花をちらっと見て、ナイジェルが言う。
「そっちのほうは? 中身は入ってる?」
七都は、陶器のポットを抱えた。
白いポットの表面には、一匹の赤い蝶が浮き彫りになっていた。七都に群れごととまっていた、あの透明な蝶たちの形に似ている。
蓋を開けて覗いてみたが、ポットの中身は空っぽだった。
ただ、こげ茶色の何か液体のようなものが入っていた形跡がある。
匂いを嗅いでみると、微かにコーヒーの香りがした。
七都はコーヒーが苦手だったが、それはとても懐かしく、芳しい香りに思えた。
「いい香り……。これ、何?」
ナイジェルは、ポットに顔を突っ込んでいる七都を眺めて、ふうっと溜め息をつく。
「それにはお茶が入っているはずなんだけどね。そっちもだめか。これは、手抜きだな」
「え?」
七都は、ポットから顔を上げる。
「まあ、きっと魔神族はここへは滅多に来ないから、一度置いたら、しばらくはそのままなんだろうね。普通、こういうものは毎日、小まめなところは一日に何回か、取り替えるんだけど」
「つまり、ここの食料って、『お供え』状態ってこと」
「彼らにとっては、もはやそういう意味しかないのかもしれないね。仕方がない。夜になるまで我慢できる?」
「私はだいじょうぶだけど。あなたは、せめて何か飲んだほうがいいと思う。水とか」
「……人間が飲む水は、そのままでは、僕らは飲めない」
ナイジェルが静かに言った。
「じゃあ、何か探してくる。何か食べられそうなもの……」
「言っておくけどね。この世界のものは、迂闊に食べちゃだめだよ。水も野菜も果物も、すべて太陽の光の影響を受けている。魔神族の体が受け付けないものばかりだ」
「食べると、溶ける? 太陽に当たったときみたいに」
「そうはならないけど。試しに一回食べてみるといいよ。もしかしたら君は、おいしく食べられるかもしれないしね」
「でも、とりあえず、この花と同じものを探してくればいいんでしょう。これならあなたも食べられそう?」
「ナナト。外に出てはいけない。ここにいるんだ」
ナイジェルが左手を宙に伸ばした。
七都は、その手をそっとつかむ。
表面は冷えているが、あたたかい手。
メーベルルと同じ、やさしいあたたかさだった。
「確かに君は太陽の光には強いみたいだけど、長時間当たるとどうなるかわかったものじゃないよ。外に出て君に何かあっても、僕はもう君を助けてあげられない。だから、夜になるまでここにいるんだ」
「でも……」
「いい子だから。約束して。ここにいるって」
ナイジェルは、水色の透明な目で七都を見上げる。
なんという、澄んだきれいな目。
「うん……」
七都は、仕方なく頷いた。
弱いな、その目。抗えない。
「よかった。ありがとう」
ナイジェルは、微笑んだ。
「何であなたは人のことばかり心配するの? そんな状態なのに。メーベルルだって、最後まで私のことを心配してた。魔神族って、そういう優しい人たち? 単にあなたがそういう性格?」
「さあ?」
「私は今までの人生で、そんなにたくさんの人に出会ったわけじゃないけど。でも、あなたがとんでもなくお人好しなのは、何となくわかるよ。お人好しで、すごく能天気だってこと」
「ノーテンキ……」
ナイジェルは七都の言葉に怒りもせず、声を出して笑った。
「うーん。似たようなことは、元の世界にいた頃はよく言われたな。でもここでは、僕にそういうことを言う人は、さすがにいないけど」
う。よく言われてたんだ……。
やっぱり……。
最初のコメントを投稿しよう!