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再び七都は螺旋階段を上がり、レリーフのトンネルを抜けて、闇の中を地上へと歩いていく。
やがて、明るい円盤のようなものが現れた。それは眩い光に照らされた、地上の空間への出口だった。
「あー、やっぱり、暑そう……」
七都は、外に出るのを躊躇する。
遺跡の石畳の庭には、さらに高く上った太陽の光が溢れていた。
おそるおそる、手を光の中に差し出してみる。
大丈夫だ。多少熱いだけ。溶けたりなんかしない。
七都は、光の中に出た。
元の世界で、真夏の真昼に外に出たときをはるかに上回る不快感があった。
だが、我慢できないこともなさそうだ。
メーベルルの鎧の上に置かれた花束は、まだ枯れもせず、風に吹かれて揺れている。
七都は、先程ユードに縛り付けられた柱の近くにメーベルルの馬が佇んでいるのを見つけて、近づいてみた。
馬は、美術館の庭に置かれたアートオブジェのように動かない。
目はうつろなガラスで、どこも見てはいなかった。
首筋を触ると、ひんやりとした感触があった。
『生きていない馬』と、ユードは言った。
(これ、やっぱり、機械だ)
たたいてみると、金属っぽい音がする。
馬が鎧で覆われているのではなく、馬そのものが鎧のような素材で造られているらしい。
どこかにスイッチがあって、それを入れたら動き出すのだろう。
じゃあ、魔神族は魔力を使って、機械も操るんだ。
魔力というのがどういうものなのか、あまりよくわからないけど。
七都は、機械の馬の滑らかな背中を撫でた。
いったい魔神族って、どういう人たちなんだろう。
やさしくて、お人好しで――それは、ナイジェルだけかもしれないとはいえ――太陽の光に触れると溶けてしまって、花を食べて、人間に嫌われ、山の向こうの『魔の領域』という場所に住んでいるという……。
そして七都自身も、その魔神族の血を引いているらしい。
馬の鞍の脇に、小さく畳んだ布がくくりつけられてあった。
七都はそれをはずして、広げてみた。
ナイジェルが着ていたのと同じマントだ。
フードが付いていて、すっぽりと体を覆えるようになっている。
表は明るいエンジ色で、裏は黒だった。
メーベルルが、太陽の光から身を守るために持っていたのだろう。
「メーベルル。これ、もらうね」
七都はメーベルルのマントを羽織って、フードを下ろした。
「ああ、涼しい。なんて楽」
七都は、思わず呟く。
太陽の光を通さない上、この世界の人には、たぶん奇妙な服だと思われるセーラー服も隠せる。
メーベルルは七都より背が高かったので、裾は引きずるくらいに長いが、ついでに、ぶかぶかの靴もいい感じで隠れてしまう。
マントも、魔法がかかっているというよりは、何か太陽の光を遮る特殊な繊維で作られていそうだった。
魔神族は、やはり科学に長けているのかもしれない。
七都は、招き猫の前で立ち止まった。
異界に連れて来られた招き猫は、どことなく寂しげに手を上げたままだ。
ナチグロは、まだ帰って来てないよね。
七都は、少し不安になる。
だいじょうぶ。まだ夜じゃないもの。
私みたいに昼間外を歩ける魔神族って、珍しいみたいだし。
彼はたぶん、太陽が苦手な普通の魔神族。きっと太陽が落ちてから戻ってくる。
それでも、この世界に置き去りにされる不安は拭いきれない。
あの猫――男の子かもしれないし、虫かもしれないが――だけが頼りなのだ。
七都は制服のポケットから、生徒手帳とボールペンを取り出した。
「やっぱり、制服でここに来たのは正解だったかも」
生徒手帳に挟んであった、猫キャラのかわいらしい付箋をつまみあげる。
それは、商店街の文房具店で、なんとなく気に入って買ったものだ。いろんな色の猫の付箋が七種類、セットになっている。
付箋なんてほとんど使うことはないのだが、色の組み合わせがきれいだったのと、猫のキャラクターがかわいかったので、思わずレジに持って行ってしまったのだった。
七都は、色の違う4枚の付箋に、ボールペンで文章を分けて書いた。
<ナチグロへ>
<遺跡の中にいるので(ちょっと留守にしてるかもしれないけど)>
<絶対に来てね>
<七都>
それから七都は、付箋を招き猫の頭にぺたぺたとくっつける。
招き猫の頭は、たちまち賑やかになった。
「これで、もし私がいない間にナチグロが帰ってきても、きっとあの神殿に行ってくれる。あの中にはナイジェルが寝てるけど、同じ魔神族同士なんだから、仲良くしてくれるよね」
ふと、ナチグロは果たして文字が読めるのかという疑問も浮上する。
「それもだいじょうぶ。だって、あの猫、十五年以上リビングのテレビの真ん前にいっつもいて、ずうっとテレビ見てるもん。読めないわけがないよ」
七都は、招き猫の前で軽く手を合わせた。
「お願いします。では、行ってきます!」
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