第5章 魔法使いの館

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第5章 魔法使いの館

 七都とティエラはメインストリートを抜け、高い塀が続く閑静な高級住宅地らしき通りを歩いた。  小さな町だったが、どこも美しく整備され、広間も通りの石畳にも、シンプルだが芸術的な装飾が施されていた。  町の人々は陽気で、陰惨な雰囲気は微塵もなく、治安もよさそうだ。  ティエラは、ある邸宅の前で立ち止まった。 「あ……」  扉に彫られている紋章を見て、七都は声をあげる。  遺跡の地下広間にあったポットに描かれていた蝶と同じものだった。 「ここです。どうぞ」  ティエラは慣れた様子で扉を開け、七都を導き入れる。 「ここ、あなたの家?」 「私の実家です。でも、両親はもう亡くなっていて、今住んでいるのは姪たちなんですけれどね」  扉を抜けるとホールがあり、その真ん中には、訪問客をもてなすようなポーズをした美しい女性の彫像が立っていた。  その足元には水がたたえられ、頭上にはガラスを嵌めこんだ明り取りがあった。  ホールの向こうには回廊が続いていて、中庭には手入れの行き届いた木々が植えられている。  木々の間には噴水があり、水が太陽の光にきらめきながら、周囲の空間を潤していた。水の落ちる心地よい音が、回廊に途切れることなく響いている。  そしてその邸宅には、至るところに猫がいた。  玄関のホールにも、回廊の床にも、柱の下にも、そして、中庭にも。  うずくまったり、寝そべったり、思い思いの格好でリラックスしている。  ナチグロによく似た艶やかな黒猫もいたが、金色や銀色の毛をした猫もいた。  目の色も、青や緑、オレンジ、ピンクなどさまざまだ。スリムな短毛の猫もいれば、ふわふわの長毛の猫もいる。  どの猫も大切にされ、よく手入れされていることが一目でわかった。  猫たちは、七都をそれぞれの場所から見つめた。  ホールを歩いていたオレンジ色の目の白猫は、歓迎するように近寄ってきて、頬を何度も七都の脛に押し付けた。  少なくとも七都は、猫には嫌われていないらしい。 「ティエラさま、お帰りなさいませ」  この家の小間使いらしい中年の女性が現れて、頭を下げた。七都にも、お客としての丁寧な挨拶をする。  彼女は七都に対して、ティエラが抱いているような、微かな恐怖は持っていないようだった。  もっとも、七都が魔神族だということを悟っていないせいなのかもしれない。 「ゼフィーアは?」 「先ほど、外出されましたが……」  ティエラは、顔を曇らせた。 「そうなの。困ったわね。お客様なのに」 「これは、叔母上。相変わらず農婦の格好ですか」  そのとき、回廊から赤い髪の若者が姿を見せた。ゆったりした着心地のよさそうな、上質の衣服に身を包んでいる。 「そういう衣装でこの館に来られては、召使いたちにも示しがつきませんよ。あなたが嫁がれた家は、朝市で野菜を売らなければならないほど貧しくはないでしょうに」  彼が、諌めるように言った。 「ま、セレウス。生意気なことを。家族で食べきれないほどたくさん実った大地の恵みは、町の人たちにもお裾分けしないとね。あなたも、自分の畑で汗を流したらどう?」 「気分転換、あるいは体力づくりとして考えておきます。ところで、姉上はお留守なので、私がお客様のおもてなしを致しましょう」  彼が微笑んだ。  ナイジェルより年上、ユードよりは年下だろうか。  セミロングの鮮やかな緋色の髪。目は、ティエラやセージと同じ、明るい緑色。  緑色の目は、この一族の特徴なのかもしれない。  美系だが、どこか人懐っこそうな雰囲気を持っている。かわいいとか愛らしいとかいう言葉が似合いそうな好青年だった。 「あなたがおもてなしを?」  ティエラは心持ち眉を寄せて、その若者を見つめる。 「セレウス、この方は、普通のお客様じゃないのよ」 「わかってますよ」  若者は、七都の前で優雅にお辞儀をした。 「セレウスと申します。魔神族の方をおもてなしするのは初めてなので、何かと失礼があるかもしれませんが、精一杯、努力はさせていただきます」 「あ、お構いなく。私も、自分が魔神族だってこと、余りわかってないので」  七都は答える。 「そうなんですか。では、おあいこかな」 「セレウス!」  ティエラが、甥を睨んだ。 「だから、ね。ティエラ。いつも言ってますが、私をいつまでも子供扱いするのはやめてくださいって」  セレウスが言った。 「あなたは、私にとってはいつまでも子供ですからね。大体あなたは、魔神族の方にお会いしたこともないんでしょう」と、ティエラ。 「ありますよ。一回だけですが」 「子供の頃に一回だけでしょ」 「まあ、そうですけどね。この方と同じような髪と同じような目の色の、ご婦人でした」  え?  そのご婦人って……。  七都は思わず、胸に置いた手を握りしめた。 「やっぱり、ゼフィーアが帰ってくるまで、待っていただいたほうがよくはなくて?」 「姉上は、いつ帰ってくるかわかりませんからね」 「でも、そう遠くへは行ってないでしょう」 「だと思いますけどね」 「いったい、どこへ行ったの?」 「知りませんよ」 「あのう……」  七都は、二人の会話に口をはさんだ。  ほうっておいたら、いつまで続くかわかったものではない。 「私は、余りここに長くいるわけには行きません」 「あ。そうなんですか」  セレウスは、残念そうな顔をする。 「丘の上の遺跡の地下に、お茶が置いてありましたよね。ここの家の門にあったのと同じ、蝶の紋章が入ったポット……」 「ああ。やはり、神殿に行かれたのですか」  と、セレウスがうなだれ気味に言った。 「あのお茶と同じの、あります? あれが欲しいんですけど……」 「私が用意します」  ティエラが言って、小間使いの女性を伴い、小走りに姿を消した。 「遺跡に置いてあったお花とお茶は、あなた方がいつも用意しているんですか?」  七都は、訊ねた。 「そうです。それが我が一族の役割でもありますからね。でも、花もお茶も、古かったでしょう」 「お花は枯れてたし、お茶のポットは空っぽだったけど。……手抜き?」  『手抜き』と言われて、セレウスは、ますますうなだれる。 「確かに、さぼっておりました。申し訳ありません!」  セレウスは、いきなり膝をついて、頭を下げた。 「あ、でも、魔神族なんてあの遺跡にはめったに来ないから、だから頻繁には交換しないんでしょ」  七都はフォローする。ナイジェルが言った通りに。 「そうです」と、セレウス。 「あなたが言われたように、おそらくあの地下の広間には、とても長い間、魔神族は来ていないでしょう。遺跡の庭を通ることはよくあるとしても、地下まで来ることはない。避けているのかもしれません。魔王の神殿として使われていたというから、気配がまだ残っているのかもしれない。一般の魔神族は、やはり魔王さまを恐れますからね。来ない方々のために、あの遺跡を清め、供物を用意するのは、やはり虚しいものがあります。それでまあ、さぼったってこともあるんですけどね。でも、言い訳がましくて誠に失礼かと存じますが、故意にそうしたわけでもあるんですよ」 「え?」  あまりにも屈託なく、さらりと言ってのけたので、七都は目の前の若者をまじまじと見つめた。 「あなた方に、この屋敷へ来ていただくことを目的にもしているんです」 「な、何でそんなことを」  七都はあきれて、ますますセレウスを眺めた。  彼は、七都の赤紫の目で見つめられて、まぶしそうな顔をした。 「あなた方魔神族に会いたかったからです。花とお茶をきちんと毎日取り替えて用意しておいたら、あなた方はそれを召し上がって、そのまま立ち去ってしまわれるでしょう? でも、それらがなかったら、たぶんこの町に調達に来られるのではないかと。愚かにも、そんなふうな期待をしたわけです。でも、まさか、本当においでになるとは思いませんでしたが」 「それで、ここがわかるように、食器に蝶の紋章を?」 「そうです。この町で蝶の紋章を使っているのは、我が家だけですからね。すぐに見つけていただけるのではないかと思ったのです」 「私は、ここを自分で見つけたんじゃなくて、運よくセージに出会って、それからティエラに連れてきてもらったんだけどね。でも、魔神族は人間からは恐れられているのに。あなたは変わってるんだね」 「私は、アヌヴィムの端くれですから。もっとも、アヌヴィムとしてあなた方に会いたがっているのは、私の姉のほうなのですが」  アヌヴィム。  ユードも確か、その言葉を口にした。  最初に会ったとき、七都にこう訊ねたのだ。 <魔神でなければ、アヌヴィムの魔女か?> 「そのアヌヴィムって、何?」  七都が訊ねるとセレウスは、意外だ、とでも言いたげな複雑な表情をした。 「まあ、立ち話もなんですから」
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