第5章 魔法使いの館

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 二人は、二階への階段を上がった。  回廊でくつろいでいた猫たちが、二人のあとをついてくる。  廊下に出るとセレウスは、木製の丁寧なつくりの扉の一つを細く開けた。  七都は、その隙間から中を覗き込む。  部屋の奥に、ベッドが置かれているのが見えた。  見覚えのある灰青色の髪が、枕の上で渦巻いている。  そしてその下には、暗い灰色の目。その目は、いぶかしげに扉の隙間に向けられる。  彼と目が合ったとき、バチッという音が、どこかで聞こえたような気がした。実際そんな音は、もちろんしなかったのだが。  七都は、思わず扉を閉める。 「うわ、起きてるよお。まともに目が合ってしまった」 「お目覚め、というわけですね。あとで彼に、薬草入りのスープでも持ってきましょう。で、彼と話しますか? このまま無視して、カトゥース畑に行きますか?」  七都は扉を背にして、しばらく迷った。  話さなければならない理由はないし、話さずに済ます理由もない。  けれども、目を合わせたのに、このまま通り過ぎてしまうということは、つまり逃げたことになるかもしれない。それに、何となく負けを認めることになりそうな気もする。 「……やっぱり、彼と会って話してみる」 「まあ、暇つぶしにはいいかもしれませんね」  セレウスは、にっこり笑った。  この人、少し冷ややかなところが、どことなくナイジェルと似てる。  七都は、思った。  セレウスが、大きく扉を開ける。  軽く頭を下げた彼の傍を通り抜けて、七都はユードが寝ている部屋に入った。  廊下にいた猫たちも、こぞってぞろぞろと部屋の中に入る。  ユードは頭を上げ、近づいてくる七都を見据えた。 「なぜ、あんたがここにいる?」  彼が、怒ったように言う。 「あらあ。ここはアヌヴィムの魔法使いさんのおうちなんだもの。私がいたっておかしくはないってことでしょ?」  七都は、にーっこりと会心の笑みを作り、ユードのそばに屈んだ。  セレウスは、扉の前で腕を組んでいる。その手には、いつでも抜ける状態の剣が握られていた。  猫たちは、部屋を調査しているかのように床を歩き回った。 「アヌヴィムの家だと? 最悪だな。仇同士だ」  ユードが呟いた。 「助けてもらったんだから、文句は言わないの」  ユードの右手には、包帯が丁寧に巻かれていた。  指先にも包帯がぐるぐると巻かれている。七都が噛み付いたところだ。 「で、あんたは私を殺しに来たのか?」  ユードは、曇った冬の空のような灰色の目で、七都を見上げた。 「殺さない。ナイジェルがあなたを死なすことを望まないから。私も、今回はあなたを見逃すことにする。おとなしく手当てを受けて、怪我がよくなったら、ここから出ていけばいい。暴れたり、ここの人たちに危害を加えたりしなければ、アヌヴィムさんたちも、あなたに何もしないで見送ってくれるはず」  扉の前のセレウスが、微かに笑みを浮かべ、頷いた。 「出て行くとき、ちゃんとこの家の人たちにお礼を言わなきゃだめだよ。助けてくれたお礼と手当てをしてくれたお礼と、敵なのに手出しされなかったお礼」 「ナイジェルは?」  ユードは、七都の忠告を完全に無視して訊ねた。 「もちろん、あなたよりひどい怪我だよ。今は、安全なところで眠ってる」 「あの遺跡の地下か……」  ユードは、枕に頭を沈めた。 「ふさわしい場所を選んだな。それにしても、水の魔王がみすみす片手を失うとは。それほどあんたを助けたかったってことか」 「水の魔王? ナイジェルが?」 「おそらく、そうだろう」 「あ、だから、金の冠持ってたんだ。あれは魔王の冠ってことかな」  七都は、呟く。  ナイジェルの力を回復してくれるという、あの妖しくきらめき、変化する、不思議な冠。  やはり、ただの冠ではなかったのだ。あれは、魔王の冠――。 「余り驚かないんだな。知らなかったんだろうに」 「だって、この世界はびっくりすることばかりだから。そもそも魔神族のこともよくわからないし、魔王がどんな存在だとか、何を意味するのかも知らない。ナイジェルが魔王だって言われても、ふーん、そんなもんかって感じだもの」 「魔王は、七つの魔神族のそれぞれの長だ。当然七人いる」  ユードが言った。  その七人の魔王のひとりが、ナイジェル。  ナイジェルは、王子さまじゃなくて王さまだったんだ……。  七都は、ぼんやりと思った。  王さまといっても、おっかない魔王さまだけど。  ナイジェル、おっかないのかな……。 「でも、何で魔王だってわかったの?」  七都は、ユードに訊ねた。 「少なくとも、彼と知り合った頃は、彼は魔王ではなかった。魔貴族の放蕩息子だと思っていた。だが、いつの頃からか、彼の耳に金の飾りが光るようになった。あれは、魔王の冠が形を変えたものだ。古い魔神狩人から聞いたことがある。魔王たちは、冠を額にはめないときは、指輪や耳飾りにしていると。間近で耳飾りを見て確信したのは、ついさっきだ。あれほど至近距離で彼を見たことはなかったからな。今までは、耳飾りのことなど気にもかけていなかった」 「そうだね。普通は男性同士であの距離にまで接近するなんてこと、そうそうないものね」  七都は言ったが、ユードは当然、にこりともしない。 「もしあんたが助けなくても、彼は切り抜けていただろう。魔王ともあろうものが、一介の人間に簡単に殺されるはずもない。あんたを上回るくらいに彼は力を爆発させて、あの丘は遺跡ごと吹き飛んでいたかもしれない。このくらいの怪我ですんだのは、あんたのおかげかもな」 「じゃあ、もう、魔神狩人なんていう危ない職業はやめたら? エヴァンレットの剣も二本ともなくなっちゃったし、その手じゃ剣も使えないでしょ? せっかくナイジェルが加減してくれたんだしね。あの時、本当はあなたの腕を切り落とせたし、殺すこともできたけど、彼はそうしなかったんだよ」 「使える手は、もう一本あるからな。それに、血を吐くような訓練と努力をして、この手も動かして見せるとも。剣もまた、手に入れる」 「しつこいんだね」  七都は、眉を寄せた。 「ナイジェルが私を助けたのは、猫と同じだろうが」  ユードが言った。 「猫?」 「猫は、獲物をいきなり襲って殺したりはしない。さんざん弄んでからだ。それと同じだろ」 「ナイジェルは、あなたを弄んでいるって?」 「彼はのんびりして穏やかそうに見えるが、したたかだ。物事の本質も鋭く見抜く。なんせ魔王なんだからな。おっとりしていては、務まるまい」 「ただのノーテンキじゃないってことね。そういえばナイジェルは、あなたをおちょくると、おもしろいって言ってたよ」 「ふん」  彼は、七都から目をそらす。 「ところで、あなたが切り取って持って行った私の髪は、返してもらったから」 「そうか。残念だな。高く売れそうだったが」  ユードが目をそらしたまま言った。 「売るつもりだったの?」  七都は、あきれる。 「魔神族のものは、貴重ですからね。魔神族がつくった装身具や武器などは、もちろん買い手がたくさんいますし、体の一部の髪ともなると、とてつもない金額で取り引きされます」  セレウスが説明した。 「マニアとか?」  七都は、小さく呟く。 「何ですか、それは? とにかく、魔神族に魅入られた金持ち連中は、財産をつぎ込んで、魔神族に関するものを手に入れようとしています。彼らは、魔神狩りの連中の資金源でもある。魔神族の髪や爪などを身に着けていると魔神族に襲われないとか、その持ち主の魔神族を支配出来るとか、反対に支配されるとか、噂はいろいろですね。本当のところは、私にはわかりませんが。でも、そういう理由だけで、彼はあなたの髪を切り取ったのでしょうかね?」 「え?」  ユードは黙ったまま、答えなかった。
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