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二人は、二階への階段を上がった。
回廊でくつろいでいた猫たちが、二人のあとをついてくる。
廊下に出るとセレウスは、木製の丁寧なつくりの扉の一つを細く開けた。
七都は、その隙間から中を覗き込む。
部屋の奥に、ベッドが置かれているのが見えた。
見覚えのある灰青色の髪が、枕の上で渦巻いている。
そしてその下には、暗い灰色の目。その目は、いぶかしげに扉の隙間に向けられる。
彼と目が合ったとき、バチッという音が、どこかで聞こえたような気がした。実際そんな音は、もちろんしなかったのだが。
七都は、思わず扉を閉める。
「うわ、起きてるよお。まともに目が合ってしまった」
「お目覚め、というわけですね。あとで彼に、薬草入りのスープでも持ってきましょう。で、彼と話しますか? このまま無視して、カトゥース畑に行きますか?」
七都は扉を背にして、しばらく迷った。
話さなければならない理由はないし、話さずに済ます理由もない。
けれども、目を合わせたのに、このまま通り過ぎてしまうということは、つまり逃げたことになるかもしれない。それに、何となく負けを認めることになりそうな気もする。
「……やっぱり、彼と会って話してみる」
「まあ、暇つぶしにはいいかもしれませんね」
セレウスは、にっこり笑った。
この人、少し冷ややかなところが、どことなくナイジェルと似てる。
七都は、思った。
セレウスが、大きく扉を開ける。
軽く頭を下げた彼の傍を通り抜けて、七都はユードが寝ている部屋に入った。
廊下にいた猫たちも、こぞってぞろぞろと部屋の中に入る。
ユードは頭を上げ、近づいてくる七都を見据えた。
「なぜ、あんたがここにいる?」
彼が、怒ったように言う。
「あらあ。ここはアヌヴィムの魔法使いさんのおうちなんだもの。私がいたっておかしくはないってことでしょ?」
七都は、にーっこりと会心の笑みを作り、ユードのそばに屈んだ。
セレウスは、扉の前で腕を組んでいる。その手には、いつでも抜ける状態の剣が握られていた。
猫たちは、部屋を調査しているかのように床を歩き回った。
「アヌヴィムの家だと? 最悪だな。仇同士だ」
ユードが呟いた。
「助けてもらったんだから、文句は言わないの」
ユードの右手には、包帯が丁寧に巻かれていた。
指先にも包帯がぐるぐると巻かれている。七都が噛み付いたところだ。
「で、あんたは私を殺しに来たのか?」
ユードは、曇った冬の空のような灰色の目で、七都を見上げた。
「殺さない。ナイジェルがあなたを死なすことを望まないから。私も、今回はあなたを見逃すことにする。おとなしく手当てを受けて、怪我がよくなったら、ここから出ていけばいい。暴れたり、ここの人たちに危害を加えたりしなければ、アヌヴィムさんたちも、あなたに何もしないで見送ってくれるはず」
扉の前のセレウスが、微かに笑みを浮かべ、頷いた。
「出て行くとき、ちゃんとこの家の人たちにお礼を言わなきゃだめだよ。助けてくれたお礼と手当てをしてくれたお礼と、敵なのに手出しされなかったお礼」
「ナイジェルは?」
ユードは、七都の忠告を完全に無視して訊ねた。
「もちろん、あなたよりひどい怪我だよ。今は、安全なところで眠ってる」
「あの遺跡の地下か……」
ユードは、枕に頭を沈めた。
「ふさわしい場所を選んだな。それにしても、水の魔王がみすみす片手を失うとは。それほどあんたを助けたかったってことか」
「水の魔王? ナイジェルが?」
「おそらく、そうだろう」
「あ、だから、金の冠持ってたんだ。あれは魔王の冠ってことかな」
七都は、呟く。
ナイジェルの力を回復してくれるという、あの妖しくきらめき、変化する、不思議な冠。
やはり、ただの冠ではなかったのだ。あれは、魔王の冠――。
「余り驚かないんだな。知らなかったんだろうに」
「だって、この世界はびっくりすることばかりだから。そもそも魔神族のこともよくわからないし、魔王がどんな存在だとか、何を意味するのかも知らない。ナイジェルが魔王だって言われても、ふーん、そんなもんかって感じだもの」
「魔王は、七つの魔神族のそれぞれの長だ。当然七人いる」
ユードが言った。
その七人の魔王のひとりが、ナイジェル。
ナイジェルは、王子さまじゃなくて王さまだったんだ……。
七都は、ぼんやりと思った。
王さまといっても、おっかない魔王さまだけど。
ナイジェル、おっかないのかな……。
「でも、何で魔王だってわかったの?」
七都は、ユードに訊ねた。
「少なくとも、彼と知り合った頃は、彼は魔王ではなかった。魔貴族の放蕩息子だと思っていた。だが、いつの頃からか、彼の耳に金の飾りが光るようになった。あれは、魔王の冠が形を変えたものだ。古い魔神狩人から聞いたことがある。魔王たちは、冠を額にはめないときは、指輪や耳飾りにしていると。間近で耳飾りを見て確信したのは、ついさっきだ。あれほど至近距離で彼を見たことはなかったからな。今までは、耳飾りのことなど気にもかけていなかった」
「そうだね。普通は男性同士であの距離にまで接近するなんてこと、そうそうないものね」
七都は言ったが、ユードは当然、にこりともしない。
「もしあんたが助けなくても、彼は切り抜けていただろう。魔王ともあろうものが、一介の人間に簡単に殺されるはずもない。あんたを上回るくらいに彼は力を爆発させて、あの丘は遺跡ごと吹き飛んでいたかもしれない。このくらいの怪我ですんだのは、あんたのおかげかもな」
「じゃあ、もう、魔神狩人なんていう危ない職業はやめたら? エヴァンレットの剣も二本ともなくなっちゃったし、その手じゃ剣も使えないでしょ? せっかくナイジェルが加減してくれたんだしね。あの時、本当はあなたの腕を切り落とせたし、殺すこともできたけど、彼はそうしなかったんだよ」
「使える手は、もう一本あるからな。それに、血を吐くような訓練と努力をして、この手も動かして見せるとも。剣もまた、手に入れる」
「しつこいんだね」
七都は、眉を寄せた。
「ナイジェルが私を助けたのは、猫と同じだろうが」
ユードが言った。
「猫?」
「猫は、獲物をいきなり襲って殺したりはしない。さんざん弄んでからだ。それと同じだろ」
「ナイジェルは、あなたを弄んでいるって?」
「彼はのんびりして穏やかそうに見えるが、したたかだ。物事の本質も鋭く見抜く。なんせ魔王なんだからな。おっとりしていては、務まるまい」
「ただのノーテンキじゃないってことね。そういえばナイジェルは、あなたをおちょくると、おもしろいって言ってたよ」
「ふん」
彼は、七都から目をそらす。
「ところで、あなたが切り取って持って行った私の髪は、返してもらったから」
「そうか。残念だな。高く売れそうだったが」
ユードが目をそらしたまま言った。
「売るつもりだったの?」
七都は、あきれる。
「魔神族のものは、貴重ですからね。魔神族がつくった装身具や武器などは、もちろん買い手がたくさんいますし、体の一部の髪ともなると、とてつもない金額で取り引きされます」
セレウスが説明した。
「マニアとか?」
七都は、小さく呟く。
「何ですか、それは? とにかく、魔神族に魅入られた金持ち連中は、財産をつぎ込んで、魔神族に関するものを手に入れようとしています。彼らは、魔神狩りの連中の資金源でもある。魔神族の髪や爪などを身に着けていると魔神族に襲われないとか、その持ち主の魔神族を支配出来るとか、反対に支配されるとか、噂はいろいろですね。本当のところは、私にはわかりませんが。でも、そういう理由だけで、彼はあなたの髪を切り取ったのでしょうかね?」
「え?」
ユードは黙ったまま、答えなかった。
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