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犬が吼える声は、回廊の端にまで届いていた。
猫たちの姿は、皆無だ。姿を隠してしまったらしい。
セレウスが玄関の扉を開けると、犬の声はますます大きく明瞭になった。
栗色の髪と紺色の目の少女が、扉の前に立っている。
彼女にリードを握られた黒い犬が、館に向かって激しく吼えていた。
「その犬を何とかしてくれませんか? うちの猫たちが怯えてるんでね」
セレウスは、冷ややかに少女を見下ろした。
「魔法を感じると吼えるように訓練されてるから、仕方のないことだわ」
少女は、腰の剣を少し抜いて確かめる。
それは青味がかった銀色の光を放っていた。先ほどより光の量も増している。
黒い犬はセレウスを認めると、今度は彼に向かって吼え始めた。
「あなたは……アヌヴィム?」
目の前に立っているのは、整った顔立ちの穏やかそうな若者だったが、少女は眉を寄せ、警戒しながら彼を見上げる。
「あなたは魔神狩りの人ですね。まったく、魔神狩人は礼儀を知りませんね。で?」
礼儀を知らないとセレウスに言われて、少女はきゅっと唇をかむ。
「ここに私の仲間がいるって聞いたわ。アヌヴィムの魔法使いが拉致して閉じ込めているって」
セレウスは、溜め息をつく。
「冗談じゃない。怪我をしていたので、連れて帰って手当てしただけです。今は療養していただいています。怪我がよくなったら、当然ここからお出ししますよ」
「じゃあ、彼に会わせて」
少女が言った。
「それは了承できませんね。あなた方を会わせたりしたら、何を企むかわかったものではありませんから」
「何も企まないわ」
「あのね、あなたと私は、悲しいことに仇同士です。あの魔神狩人のユードとかいう人がここにいるのも、いわばおかしなこと。私たちは警戒しなければなりません。お互いにね」
「とにかく、すぐに彼を返して」
「そりゃあ、お返ししてもいいですけどね。あなたは彼を看病できますか? ここにいるよりも、すぐれた環境で?」
セレウスにちらりと一瞥されて、少女はキッと彼を睨み返す。
彼女は自分の服装が、とても裕福とは言いがたいものであることを自覚しているようだった。
「でも、アヌヴィムと一緒にいるよりは、私といるほうがマシだと思うわ」
「精神的にはそうかもしれませんね。確かに精神的なものも大切でしょうが、でも、今の彼に必要なのは、あたたかいベッドと栄養のある食べ物でしょう。別に取って食ったり、魔法をかけて猫にしたりなんかはしませんよ。きょうのところは、どうぞお引き取りください。彼がよくなったら、また来られたらいい。では」
「あ……」
少女の前で、扉が閉まる。
犬は、セレウスがいなくなっても、相変わらず吼え続けていた。
「このままでは済まさない」
少女は、力を込めてリードを握りしめた。
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