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「あー、お姫様だっこだ。いいなー」
七都は、窓から下の二人を見下ろした。
カディナを阻んだ見えない魔法の壁は、七都には全く感じられなかった。
「やっぱり私も、さっきしてもらったほうがよかったかも。セレウスって見た目より力あるんだ」
言ったあと、ユードと思いっきり目が合う。灰色の冷たい目が七都を眺めた。
「あ、あなたには、関係ないことだから」
「意味がわからん」
ユードは呟いて、枕に頭をうずめる。
「あのカディナさんって子、今はちょっと痩せすぎって感じだけど、もっと食べて栄養を取ったら、きっときれいになるよ。髪も艶が出るだろうし」
七都は、ユードに話しかけた。
「なんか、いろいろきれいにしてあげたいっていう衝動にかられる子だね。ドレスの着せ替えとか、お化粧とか。男装なんかも似合いそうだし。楽しそう」
「玩具にしようとするな」と、ユード。
「あんたは、いつまでここにいる気だ?」
「私は、これから帰る。お花とコーヒーをもらって、遺跡に戻って、それから日が暮れたら、自分の世界に帰るよ。あなたの前からもうすぐ消えてあげるから、それまでの我慢ってこと」
「では、自分の世界に帰ったら、ずっとそこにいることだ。ここにまた戻ってこようなどとは考えずにな」
「それはわからない。私は、ここでまだまだ知らなければいけないことがあるみたいだもの」
「言ったはずだ。今度あんたと会ったら、私はあんたを殺さねばならん。太陽に委ねるなどという生ぬるいことは、もうしないからな」
ぞっとするような殺気を七都は感じた。
「ほんと、しつこいんだから。未来永劫あなたと会わないことを願ってるよ」
……また、おちょくってやろうかな。
七都はベッドに近づき、少し勇気を出して、ユードの肩に手を置いてみた。
やはり、熱いくらいにあたたかい。
その皮膚の下には、血が流れている。生きている。それが明確すぎるほどにわかる。
ユードは、黙って七都を睨んだ。だが、七都の手を払いのけようとはしなかった。
七都は、ユードの顔を覗き込む。
特にそうしようと意識したわけではないが、ふと気が付くと、ユードの顔が間近にあった。
ユードは黙り込んだまま、七都を凝視している。
ぴんと張り詰めた緊張感が伝わってくる。
この緊張は、ユードのものだ。七都を恐れている。
七都は、さらに彼に顔を近づけた。
深い緑色の艶やかな長い髪が、彼の肩にはらりとかかる。
部屋にいる猫たちの背中が、ざわっと逆立ってくる。
灰色の透明な目。
きれいだ。ナイジェルほどじゃないけれど。
それに、やはりあたたかい。頬も、額も、焦がれるようなあたたかさで満ちている。
ユードは、動かない。抵抗しようともしない。
目を見開いたまま、七都の姿をただその灰色の目に映しているだけだ。
怪我をしているとはいえ、ある程度の抵抗は出来るはずなのに?
七都はユードの頬に、手のひらを沿わせるようにして、ゆっくりとくっつけてみた。
ユードが、さらに体をこわばらせるのがわかる。
彼の額から汗が噴き出て、流れて行く。
七都の髪が、水の中に漂うように、やわらかく、ゆらゆらと浮き上がった。
あの時と同じだ。
ユードの二本目のエヴァンレットの剣を破壊したときと同じ、ふわっとした気分。
そのまま自分を抑えられなくなってしまいそうな、危険な兆候を含んだ、だが、どこか高揚した気分。
カトゥースで癒されていたはずの喉の渇きのような不快感が、どこからか湧き上がってくる。
この渇きは、癒さねばならない。
七都は、ぼんやりと思う。
ユードが叫ぶのが、どこか遠いところで聞こえた。
何だろう。
私は、何をしようとしているのだろう?
「ナナトさまっ!!!」
セレウスの声が降ってきた。
七都は、はっと顔を上げる。
セレウスは、七都をかっさらうように、ベッドから遠ざけた。
全身の毛が見事に逆立った猫たちが、耳障りな鳴き声をあげる。
「病人には、ちょっと刺激的ですね」
セレウスは、ちらりとユードを見た。
ユードは、階段を全速力で駆け上がった直後であるかのように、口を大きく開けて、苦しそうに喘いでいる。
「えーと。私は一体、何を……」
「しっかりしてくださいね、ナナトさま」
それから、セレウスは声をひそめた。
「目が、真っ黒になってましたよ」
「え?」
「それに、お体もちょっと浮き上がっていたようですし。ここから出ましょう。彼をゆっくり療養させてあげないとね」
「カディナは?」
「別の部屋に連れて行きました。姉上が帰るまで待ってもいられませんので、医者も呼びました。ご心配なく。さ、行きますよ」
セレウスは子猫をつまみあげるように、七都をユードの部屋から素早く放り出し、扉を外側からしっかりと閉ざした。
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