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二人が出ると扉は、七都の意思を受けて、ぴったりと閉まる。
「わたくしは、まだ帰りませんよ。魔王さまにも、そしてあなたにも、力が必要です」
ゼフィーアは、七都の手をつかんだまま、離そうとはしなかった。
「あなたもまた、しつこいね」
七都は、肩にかけていたお茶の容器を下に置いた。
「ちょっと失礼」
それから、ゼフィーアの背中と膝の下に手を伸ばす。
「な、なにを……!!」
七都は、ゼフィーアの体を持ち上げた。
「お姫様だっこ。まさか私がするとは思わなかった。やっぱ、するよりされるほうがいいんだけど」
ゼフィーアは七都より少しだけ背が高かったが、彼女の体は負担に思うほど重くはない。
「お姉さん、わりと軽いんだ」
「お、おろしてくださいませっ!」
ゼフィーアが戸惑って叫ぶ。
「もうちょっと我慢して」
七都は、石の床を思いきり蹴った。
ゼフィーアを抱えたまま、七都の体は、ふわりと浮かぶ。
七都は、螺旋階段の真ん中をゆっくりと上がった。
まるで暗い水の底から水面まで、真っ直ぐに移動するように。
七都は、階段の最上段に降り立つと、ゼフィーアをそのまま運んだ。
入り口が白く光っている。
それは次第に近づき、この日最後の太陽の光に照らされた遺跡の風景が、はっきりと見えてくる。
七都と、七都に抱えられたゼフィーアは、外に出た。
白い光が、巨大な空間となって、とてつもなく広がる。
沈む前の太陽の光とはいえ、頭がくらくらするくらいに眩い。
「あ……」
ゼフィーアは、驚いたように七都を見つめる。
まだ太陽の光が満ちているというのに、自分を抱えているこの魔神族は、その光の中に平気で立っていられるということに気がついたのだ。
「私は、太陽は大丈夫だから。気にしなくていいよ。なんか特殊な魔神族みたいだから」
「太陽の光の中にいられる魔神族というのは、わたくしが存じ上げているところでは、地の魔王エルフルドさまを始め、ごくわずかな方のみです」
「そう。その地の魔王さまとやらに、真っ昼間に会ってみたいな」
「ナナトさまっ!」
そのとき、セレウスの声がした。
セレウスとセージが、駆け寄ってくる。
「あ……姉上?」
「ゼフィーア?」
二人は、七都が抱えている人物が、姉であり従姉であるゼフィーアだということに驚いたようだった。
「あなたたち、まだ帰ってなかったの?」
七都はあきれて、二人を見比べる。
別れの挨拶をきちんとしただけに、何となく気まずい。
「まあ、ちょうどよかったけど」
七都は、やっとゼフィーアを下ろした。
セレウスは、彼女を抱きとめる。
「姉上、この下におられたのですか?」
セレウスが訊ねた。
「では、魔王シルヴェリスさまにもお会いしたということですね。よく無事で戻って来られましたね」
「収穫はありませんでした」
ゼフィーアが言った。
「私に魅力がなかったのかもしれません」
彼女は、うなだれる。
つまりゼフィーアは、ナイジェルに『取り入ろう』としたのだ。
相変わらず七都には、『取り入る』ということがどういうことなのか、いまいちわからなかったが、それは何となく理解できた。
「おねえさんは、十分すぎるくらい魅力的だよ。でも、まあ、それぞれ好みってものもあるから」
七都は呟いた。
本当はどこかに、ナイジェルが彼女を拒否してくれて、ほっとしている自分が確かにいる。
「魔王さま方のご趣味は、確かに未知ですね」と、セレウス。
「魔王さま方は、ごく稀な例外を除いて、通常、人間を相手にされない。アヌヴィムの魔法使いといえども、やはり人間。もちろん、それは、わかっていたのだけど」
ゼフィーアが言った。
「では、その、ごく稀な例外に賭けたのですか」
セレウスが諌めるようにゼフィーアを見つめ、溜め息をつく。
「なんと大胆なことを、姉上!」
「引くに引けなかったということもあります。ここが魔王さまの神殿として使われていたのなら、きっといつかどなたかが姿を現して下さるのではないかと、子供の頃から漠然と夢見ていました。でも、実際、本当に現れた水の魔王さまを前にすると、どうしたらいいのかわからなくなって、ただ気だけがはやり、勢いで行動してしまった……。シルヴェリスさまは、私には何もされませんでした。それは私にとっては、運がいいことだったのかもしれません」
「おそらくそうでしょう。もう無謀なことはしないで下さいね」
セレウスが言った。
遺跡の地下の広間で妖艶な雰囲気を漂わせていたゼフィーアも、地上では、無力なただの少女のようだった。
行き倒れの病人を家に連れ帰って手当てをする彼女は、本当は心のやさしい普通の人間の女性なのかもしれない。七都は、思う。
「では、お姉さんは確かに返したから。私は戻るね。あなたたちも町に帰ったほうがいいよ。もうすぐ暗くなる。ここでは太陽が沈んだあと、人間がむやみに外に出てるのはいけないことなんでしょ」
七都が忠告すると、セレウスは首を振った。
「暗くなったら、あなたは緑の扉の向こうの世界に帰られるのでしょう。それを見届けます。それまでここにいさせてください。あなたがいなかったら、きっと姉はここにこうして無事にはいられなかったのですから。その感謝の印として」
「そう。じゃあ、気をつけて。あ、もし、虫の羽根のはえた魔神族の男の子がここに来て、あなたたちに友好的じゃないことを何かしようとしたら、私の知り合いだと言ってね。で、下の広間に来るようにって伝えてくださいな」
「かしこまりました」
セレウスは、丁寧に頭を下げた。
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