第7章 魔王シルヴェリスの出立

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 七都は、振り返る。  扉の前には、あの少年が立っていた。  肩のところで切り揃えた黒い髪。白いマント。猫から姿を変え、石畳の上で宙返りをしていた少年。  背中に虫の羽根をはやし、山の向こうに飛んで行ってしまった、あの少年――。  七都が、その帰りをずっと待ち続けていた、飼い猫のナチグロだった。 「ナチグロ!?」  七都は目を見開いて、立ち上がった。 「ナチグロっ!!!」  そして、思わず駆け出す。 「七都さん、なんで……」  ナチグロは、あとの言葉を続けることが出来なかった。七都が飛びついて、息苦しくなるほど抱きしめたからだ。 「ナチグロー!!」  七都は、ナチグロを思いっきり力を入れて、ぎゅううっと抱いた。  猫のときは、体が小さいこともあって、そんなに力を入れて抱きしめたことはなかったが、少年になったナチグロには遠慮はいらない。  ナチグロは、じたばたと両手を上下させる。 「ナチグロ、会いたかった」  七都にとっては感動の再会だったが、ナチグロはそうでもないようだった。  七都が抱擁から開放すると、彼は不満そうに口を尖らせる。 「その央人さんが付けた、わけのわからない変な名前で呼ばないでくれるかな。僕には、ロビーディアングールズリリズベットティエルアンクピエレルという名前があるんだ」 「ロビー何とかかんとか。よかった。これで、おうちに帰れる。もう、どこに行ってたのよお……」  七都が再び抱きしめようとすると、ナチグロ、もといロビーディアングールズリリズベットティエルアンクピエレルは、そうされてたまるかというように、すいっと身を引いた。  もともと猫だったときも、あまり抱かれるのは好きではなかったということを七都は思い出す。  少年に変身しても相変わらず素っ気ないのは、仕方のないことかもしれない。 「あの招き猫は、何だよ。傷だらけになっちゃって。果林さんが悲しむぞ」  ああ、『央人さん』に『果林さん』!  なんて懐かしい響きなんだろう。 「闇の魔神族とのちょっとした行き違いの戦闘があって、巻き込んじゃったの。招き猫の付箋、見てくれたんだね」 「見たからここに来たんだよ。上には魔神族の機械馬が置いてあったし、魔貴族の鎧もあったし、アヌヴィムも三人いた」 「まあ、いろいろあってね。でも、私が七都だってわかった? 違う姿に変身してるのに」  ロビーディアングールズリリズベットティエルアンクピエレル=ナチグロは、七都をまじまじと見つめた。  彼の目は猫のときと同じように、緑色に縁取られた金色だった。 「だって、美羽さんにそっくりだもの」 「やっぱり……」  母の飼い猫だった彼が言うのなら、間違いなくそうなのだろう。確実だ。  七都と母の美羽は、とてもよく似た外見をしているということ――。 「でも、なんでここにいるんだよ? ドアを通って来たの?」 「あなたがドアを開けて出てったから、あとをついてきたの。でも、あなたは男の子に変身して、羽根はやして飛んで行っちゃうんだもの。おまけにドアは閉まっちゃうし。あなたが帰ってくるまで待ってるしかなかった」 「うわあ。怒られるう……」  ナチグロは、頭を抱えた。 「私、あなたに聞きたいこと、いっぱいあるんだけど」  だが、ナチグロは、七都の質問を完璧に無視した。  七都の後ろに、いつの間にか音もなく現れた人物に気づいて、飛び上がったのだ。  彼は、叫び声ともうめき声ともつかない声をあげる。 「ひいいい……!!」  ナイジェルが、七都の背後に立っていた。  右手に持っているガラスコップは、空になっていた。  残りのカトゥースは、どうやら全部飲んでくれたらしい。  七都は、ほっとする。  けれども、彼の水色の目の中の瞳は、やはり暗黒の細い針の形だった。  ナイジェルは、親しげにナチグロを見下ろした。  ナイジェルの額に輝く冠の意味を、ナチグロは一瞬にして悟ったようだった。  慌てふためき、崩れるようにナチグロはうずくまった。そして膝をついて、床にのめりこみそうな無様さで、お辞儀をする。 「あ、ナイジェル。この子は、うちの飼い猫のナチグロ。本名はロビー何とかかんとかいうらしいけど。こちらはナイジェル。別の名前は、水の魔王シルヴェリス……だっけ」 「な、何で七都さん、水の魔王さまと一緒にいるんだよ?」  ナチグロが小声で呟いた。体がガクガク震えている。 「ロビーディアングールズリリズベットティエルアンクピエレル。そういう姿をしてるけど、グリアモス……下級魔神族だね。君は、とても元気そうだ」  ナイジェルが言った。  ナチグロは震えながら、さらに頭を下げた。 「君にお願いがあるんだけど……」  ナイジェルが、にっこりとナチグロに微笑みかける。  ナチグロは、床に突っ伏すくらいに頭を低くした。ほとんど土下座に近い。 (固まってる……。これほどまでに、魔王さまって怖いものなんだ)  七都はナチグロの様子を見て、改めて思う。 「ナナト、彼とちょっと大事な話があるんだ。少しだけ席をはずしてくれるかな?」  ナイジェルが言った。 「うん。いいけど……?」  ナチグロが、ちらりと七都に、すがるような眼差しを送ったような気がした。  七都は、少し心残りに思いながらも、二人を広間に残し、扉を閉めた。 (話って何だろう。私のこと?)  気になる……。  七都は、そっと扉に手を当てた。  扉は七都の思念通り、ごく細く開く。 「あ……」  七都は、中の光景を見て、慌てて目をそらした。  扉が七都の狼狽に反応して、ぱたりと閉じる。 「キス……? キスしてた? うそお……」  七都は呆然と、螺旋階段のはるか彼方の天井を眺めた。  見間違いでなければ、ナイジェルは、片手でナチグロの首に手を回し、唇を重ねていた。  ナチグロの後頭部が邪魔をして、直接その行為を見たわけではないが。  目に入ったゴミを取っていたとか、口元にご飯粒がついていたのを取っていたとか、絶対そんなのではない。 「えーっ、えーっ、えええええっ……!!!」  七都は、口に手を当てた。 「その、ナイジェルって、やっぱり、そういう趣味があるとか……。だって、さっきゼフィーアに迫られてたのに、全然興味なさそうだったし」  魔王さまたちの趣味は、未知。セレウスは、そう言った。  で?  水の魔王シルヴェリス――ナイジェルの好みは、ナチグロってこと??  うそっ……!!
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