第8章 こちら側への帰還

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 七都は料理が並んだテーブルにつき、果林さんが作ってくれた料理を片っ端から平らげた。  自分ながら恐ろしい食欲だった。いつもの食事の十倍、いやそれ以上かもしれない。  次々と器を空にしても、まだ満たされない。体が叫んでいる。まだまだ足りない。もっと栄養がいる。  空になった食器がキッチンに積み重なり、果林さんは後片付けに追われる。  私、大食いコンテストに出られるかも。  七都は食べながら、ちらりと思う。  とにかく空腹感を満たしたかった。  だが、何でこんなに食べられるのだろう。そんなにたくさんのエネルギーを使ったということなのか。  つまり、扉の向こうの世界にいるには、それくらいのとんでもないエネルギーがいるということか?  大方の料理がなくなった後、七都の前に、いい香りがする熱い飲み物が置かれた。央人がコーヒーを入れてくれたのだ。 「あら、ナナちゃん、コーヒー飲めないのよ」  果林さんが言ったが、七都は首を振る。 「ううん。もう大丈夫だと思う」  七都は、コーヒーの香りをかいでみた。  やはり同じだ。カトゥースのお茶と……。  ナイジェルは、自分の家――お城だか宮殿だかかもしれないが――に帰ったのだろうか。  あのカトゥースの手をどうしたのだろう。まだそのままなのだろうか。  花は食べたのだろうか。ドライフラワーにして、枕の中に入れたのだろうか。  そういえば、知らなかったとはいえ、魔王さまに向かって、恐れ気もなく『ノーテンキ』なんて言ってしまった。  ちょっとヤバかったかなあ。  でも、ナイジェル、笑ってたもの。きっと許してくれてるよね。  たっぷりの砂糖とミルクを入れ、七都はコーヒーを飲んでみる。  おいしい。熱い液体が、胃から体全体に行き渡り、隅々まで広がって行くような心地よさ。  もう少し慣れたら、ブラックにしてもいいかもしれない。なぜ今まで飲めなかったのだろう。 「キリマンジャロがいちばんおいしいらしいよ。美羽によると」  央人が言った。 「そうなんだ」  それから央人は、いつになく真剣な顔をした。 「七都。君があのドアの向こうに行くことは、誰にも止められない。君の半分はあの世界の住人だ。向こうでさまざまなものを見なければならないし、知らなければならない。そして、その上で、いろんなことを自分の判断で決めればいい。ただ、君のもう半分は、この世界の人間なんだからね。ここは君の家だ。いつでも安心して帰って来られるところだ。私はここで、いつでも君を待っているよ」  央人が、七都の頭に手を伸ばして、やさしく撫でた。  父の手は、ナイジェルよりもあたたかかく、セレウスやユードほど熱くはなかった。 「はい……」  七都は、頷く。 (お父さんは、お母さんを待ってはいないの? 待つのをやめたから、果林さんと結婚したの? お父さんは、扉の向こうの世界に行ったことあるの?)  央人に聞きたいことは、たくさんある。改めて時間を取って、そのことも聞けるだろうか。  果林さんは、元気のない、どこか思いつめたような顔をして、洗い物を続けていた。  七都は、改めてリビングを眺めた。  いつもと同じリビングに、いつもの家族。何げない、いつもの光景。  だが、違う。  七都が扉を開けたことによって、今までとは違ってしまった。  もしかしたら、これまでと同じような生活には、もうならないかもしれない。  この家で保たれていた均衡が、少し狂ってしまったかもしれない。そして、向こうの世界に行った代償として、何かを失うかもしれない。  七都は、漠然とした不安を感じる。  それでも――。  また、行こう、向こうの世界へ。あの、穏やかな月が輝く、青い世界へ。  行かなくてはならない。扉を開けてしまったのだから。  動き出した変化は、もう元には戻せない。  ナイジェル、セレウス、ゼフィーア、ティエラ、セージ。向こうで出会った人たち……。  また、きっと会える。あなたたちに会いに行く。  ユードにも、まあ、会ってもいいかな。また、おちょくっちゃおう。  カディナは歳も近いし、友達になりたいけど、やっぱり魔神ハンターだし、それはちょっと無理かも。  ロビンにも、たくさん質問しなければならない。こちらでは普通の猫だから、やっぱり、向こうで変身したときに聞かないと答えてはくれないよね。  メーベルルのマントを着て、またいつか、きっと近いうちにドアを開ける。  そして見極めよう、自分が何者なのか。ちょっと怖いけど、知りたい。知らなければならない。  絶対風の城に行って、風の魔王リュシフィンに会う。  七都は、コーヒーカップを持ったまま、リビングの真ん中にはめ込まれたアイスグリーンの扉を見つめた。  昨日までは冷たく立ちはだかっているようだったその扉――。  それは、今は親しげに、「いつでも開けてごらん」とでも囁いているかのように、七都には思えた。   <ダーク七都Ⅰ・緑の扉 【完】> ★・・・・・・★・・・・・・★・・・・・・★・・・・・・★・・・・・★  最後まで読んで下さって、ありがとうございました。  この続きはシリーズ第2話「魔神の姫君 【ダーク七都Ⅱ】 」でどうぞ。  七都は再び『向こう側の世界』に行くことになります。  魔神の姫君 【ダーク七都Ⅱ】  https://estar.jp/novels/25507563
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