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どうしよう……。
ドアがなかったら、帰れない。
七都は途方に暮れかけたが、思い直す。
ちょっと待って。
冷静に考えてみなければ。冷静にっ。
取り敢えず、自分を安心させなければ。
もともとドアは、消えるようになっていた。
うん。きっとそうだ。
だって、あのままここにあんなドアがあったら、不自然だもの。
こっちの世界にだって人はいるだろうし、怪しまれるよね。
だから、閉めると消えるように設定されていた。
で、ナチグロだ。
あの猫(虫?)は、ドアを開けて出て行った。いつも頻繁にそうしているのかもしれない。
ドアを通り抜けて、リビングとこちらの世界を自由に行き来しているのだ。
だとしたら、またここに帰ってきて、ドアを開けて、リビングに戻る確率が高い。
果林さんが帰ってきたらご飯をくれるから、それまでに戻るはず。
ここで待っていれば、そう遠くなく、ナチグロは帰ってくる。
たとえナチグロが、変身した七都がわからなくて警戒しても、この巨大な招き猫のことは知っているはずだ。
いつも招き猫はリビングにあるし、前にナチグロは、招き猫の頭の上に乗っかっていたこともある。
正体が男の子だろうと、虫だろうと、招き猫のことはすぐにわかるに違いない。
だから、誰かがリビングからドアを通って出てきて、招き猫をここに置いたという事実は把握するだろう。それでもって、招き猫のそばにいる七都のことも、当然わかってくれる。
うん。間違いないよ。
「そんじゃ、ここで待っていようっと」
それに、第一これは夢ではないか。
七都は、付け加えた。
ナチグロを待たなくても、そのうち目が覚めるかもしれない。
これが夢ではないなんてことは、考えたくもなかった。
七都は、転がっている招き猫に手を伸ばした。
軽く押しただけで、招き猫は起き上がる。
あれ?
この世界では、招き猫は軽くなったとか?
それとも……。
「私の力が強くなった……?」
七都は、自分の細くてきれいな手を眺めたが、何の答えも出てこなかった。
七都は招き猫の横に、体育座りをしてうずくまった。
この世界で、唯一七都の世界のものは、この招き猫だけだった。
招き猫の小判に書かれている「開運」という文字が、何気になつかしく、いとおしいものに思えた。
周囲を探索する気には、何となくなれない。その間にナチグロが帰ってくるかもしれないのだ。
七都は、天を仰いだ。
それにしても、何と心地よい世界なのだろう。
空は透明な紺色。太陽は、それなりにまばゆいが、ほとんど銀色に近い金色。
静かだ。
風が木々を渡る音しか聞こえない。
太陽は、さっきより沈んだ気がする。
もうすぐ夕方になるのだろうか。
銀色にきらめく透明なものが、ふわふわと空を飛んできた。
蝶だ。
それは、七都の周りをひらひらと頼りなげに旋回する。
羽根の向こうに、空が透けて見える。
「なんてきれいな蝶々……」
七都は蝶は苦手なのだが、その蝶は大丈夫そうだった。
蝶が飛んでくると、いつも身構えてしまうのだが、それが全くない。
やはり、夢の中だからか?
七都が人差し指をかざすと、蝶はためらうことなく、ゆっくりととまった。
まるで華奢なガラス細工のようだ。
いや、ガラス細工よりも、もっともろい。
だが、羽根をゆっくりと動かしている。
作り物ではない。生きている。
やがて蝶の背後の空に、透明のふわふわが、たくさん現れる。
七都の指にとまっているのと同じ蝶だった。
蝶の群れが、七都の周りを飛んでいる。
空と透き通った蝶たちが織り成す、幻想的な光景。
蝶は嫌いなはずなのに、その光景には、のめり込んでしまいそうな癒しさえ感じる。
蝶たちは、やがて七都の扇形にひろがった長い髪に、次々ととまり始めた。
七都の髪は、たくさんのリボンをつけたようになる。
現実の世界でこんな状況になったら、蝶が苦手な七都は、たぶん気を失ってしまうだろう。
眠い……。
ゆったりした眠気が七都を包み込む。
ナチグロが戻ってくるまで、ちょっとここで寝よう。
七都は、自分の膝にもたれかかった。
心地よい空間の中で、透き通った蝶たちに囲まれ、七都は眠りに落ちる――。
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