第2章 見習い司書と森の仲間

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第2章 見習い司書と森の仲間

時期的に夏休みに入っていて、咲良が一日中森にいても咎められることは無くなった。それをいいことに咲良は木ノ図書館に通いつめた。 図書館に着くと、居眠りのコノハをたたき起こす。 軽く掃除し、玄関の札をOPENにひっくり返して開館の準備をする。 コノハは目覚めにハーブティーを飲む。開館の準備が終わった咲良の分も淹れることがちょっとした変化だった。 ハーブティーを口にしながら、蔵書目録に目を通すのが咲良のルーティーンになった。 お父さんが朝食をとりながら新聞を読むのとそっくりだなと思った。 なんだか大人になったようで、少し誇らしい。 最初は警戒していた森の動物も、咲良が安全だと分かったのか少しずつ本を借りにくるようになった。 例えばリスが訪れたとき。 「おいしい実がなる木が知りしりたいんだけど」 と、相談される。 「これはどうですか?」 咲良はそう言って蔵書目録の中から、『植生学』や『木の実と野鳥』などをピックアップする。 リスがこれが良いと言った本の番号を伝えると、コノハはその本を取り出してくれる。 それを手渡して業務完了。 返却受付はもっと簡単。帰ってきた本の状態を確認してコノハに渡すだけ。 仕事に慣れるに従っていろいろと分かってきた。 鹿とかウサギのような草食動物は意外にも哲学や心理学のような本を借りていくことが多いと分かった。 逆に熊(初めにあったときにはどっちも驚いたけど、今では仲良し)とか、キツネとかタヌキは実用的な本。体の鍛え方とかが多い。変わったところでは経済学の本も多いこととか。 蔵書にもだいぶ癖がある。 簡単に言ってしまうと、やたらに『き』『し』『じ』『も』で始まる本が多い。目録の半分以上がこの4文字で埋まっている。 森にあって、森に住む動物たちが借りにくるのだから、必然的に木や森林、樹木、森という言葉がついたタイトルの本が多いため。 逆にほとんど無いのが、恋愛小説、育児関係、理工学、建築系など。 なんで恋愛小説が無いの?とコノハに聞いたことがあった。 なんで恋愛小説が必要だと思ったの?と聞き返された。 「あるなら、これぐらいかな」 そう言ってコノハが出してくれたのは『ノルウェイの森 上』だった。 「うわ、ちゃんとあるんだ」 咲良は逆に驚いた。 「まあ、森つながりでね。読んでみる?下巻は貸し出し中だけど」 「うん」 咲良はそれを受け取った。 「まあ、ちょっと咲良には刺激が強いかもね」 「もう馬鹿にして。私は読書好きだから難しくてもちゃんと読めます」 咲良はかばんに本を詰めながら反論した。 ---------------- このころは珍しく平穏無事な日々を過ごせていた。 嫌な学校も無いし、お父さんとお母さんの諍いの声もしない。 たびたび森から帰るのが遅くなることを咎められる。 でも勉強しているから、本読んでいるからと言って部屋に逃げ込めばそれ以上何も言われなくなった。 寝る時間になってもベッドの中でノルウェイの森を読んだ。 すごく不思議な話だ。 とっても好きで大切な人がいるのに、他の女性と…その…寝てしまう主人公が嫌い。 そのくせ僕は彼女を愛しているとか気取って言う。本当に嫌い。 まだナメクジ飲んでしまう(比喩表現ではなく本当に)先輩のほうが言いたいことが分かる気がする。 でもこの人も大事な人を傷つけるから、やはり嫌い。 女の人も心を壊して入院してしまう。 この話に出てくる男の人は汚い人ばかりで、恋愛とか…寝るのとかどうしてもいいものに思えない。 それでもページをめくる指は止まらない。 美しい文章が次から次へと振り積もっていく。雪が積もるように。 本当の心が痛いから、そんな痛さを覆い隠すように真っ白い雪が積もっていく。 次の朝は、少々寝不足で森の中を歩かなくてはいけなくなった。 家を出て南東にまっすぐ2718歩。まず目印のケヤキが見えてくる。 ケヤキに触れながら28度南に向けて方向転換。1828歩でスダジイの単性林に入り込む。 今度は東に向けて45本目のスダジイを中心に90度方向転換。ほぼ真南を向く。 452歩直進すると古いタブノキが居るので、軽く挨拶してから、西に353歩。 シロダモの群生地をぬけたら、そこに樫の大木が立っている。 分かっていても深い森だから、気持ちが集中できないときは歩数を数えて慎重に歩かないと、図書館まで来れない。 「おはよう、咲良。おや、なんだか具合悪そうだね」 「おはようコノハ。ちょっと遅くまで、本読んでいただけ」 「そう。無理しないでね」 この日に限ってはコノハの入れてくれたハーブティーはカモミールで、少しぬるめだった。 モグラに『旅行記~ハワイ~』を貸したあとは、利用者がぱったりやんだので、コノハにノルウェイの森のことを話してみようと思った。 「うーん、咲良は森の動物が子供を残そうとする行為も汚く感じるの?」 「まさか!命を繋ぐ営みでしょ。愛情をこめて子供を残すのだから、神秘的とまで思うわ」 「でも、森の中のやつらも浮気とかするよ。おしどりは毎年パートナーが違うんだよ」 「それも、精一杯生きているってことでしょ」 「それは本の中の主人公も同じだよね」 コノハが意地悪く笑うから、苛立たしかった。 「結局、本の中の人間も森の動物も同じ営みの中生きているんだね」 咲良のつぶやきは諦観の色を帯びていた。 「そんなに落ち込まないでよ、咲良。ごめんちょっとキツク言い過ぎたね」 「ううん。人間が汚いと思ってしまったのは私だから。あー早く読み終わってすっきりしたい。下巻貸して」 「前にも言ったけど下巻は貸し出し中だよ。帰ってきたら咲良一番に知らせるからって事でいい?」 「んー、すっきりしないけど仕方ないよね。あ、でも」 咲良は何かを思いついた。 「ん、どうしたの?」 「なんだか、私がこの木に出会えた訳がちょっとわかった」 コノハは興味を持ったみたいで、身を乗り出して聞いてきた。 「どういう理由?すごく聞きたい。次の結界の防御力向上のため、ぜひ聞きたい」 「意地悪な言い方しないでよ。えーと、私が人間より森の動物たちに近いから。うん、そう大人じゃなくて子供だから」 咲良は言いながら自分の言っていることに納得した。そしてシュウジは大人になってしまったんじゃないかと思ってしまった。 大人になったからもう来れない。 そう思ったとき、背筋を冷たいぞわぞわした物が遡った気がした。 「ごめん、コノハ、私帰る」 咲良はかばんをつかむと森の中に飛び出した。 すごい恐怖を振り払うかの様に。 でもそれは振り払えない。その恐怖は咲良の中心から出るものだったから。 常緑広葉樹林の地面が今は恨めしい。根が完全に不規則に伸びていて幾度も躓きそうになる。それでも一歩でも前に足を進めなくてはいけない。 お腹の真ん中で鈍い痛みが脈動する。太ももを濡らす体液が気持ち悪い。 いくらそっちの方面に鈍い咲良でも、自分の身に起こっていることがわからないでもなかった。 知識としてはあったから。でもいきなり実際にこの痛みに襲われる恐怖は心を鷲掴みにされる。 そんなことより、私に起こっていることをコノハに、この森に知られたくなかった。 どんな道を通って家まで帰りついたか覚えていない。家に着いたけど、お母さんに会いたくなかった。 何も言わず部屋に飛び込むとタオルで自分の血を拭い、それから学校で習ったとおりの対応をした。手が震えてうまく取り付けることが出来ず、一枚を投げ捨てることになった。 それでもなんとかパジャマに着替えると、布団の中に飛び込み丸まった。 お腹の痛みは治まるどころかさらに激しさを増していった。 この痛みが永遠に続くような、暗い泥沼に引きずり込まれるような怖さを必死に耐えた。眠りたかったけど、引き続く痛みがその休息すら与えてくれなかった。 お皿が割れる音で目を覚ました。何時間も痛みに耐えていつの間にか気絶していたらしい。窓の外は真っ暗になっている。何時なのはまったく分からない。 下からお父さんとお母さんが諍う音が聞こえてくる。 布団に頭から包まり、少しでも音を避けようと思った。 そんなことをしても悪意は壁を貫いてくるのに。 「あの子が、部屋から出ないのよ!いい加減何とかしてよ!」 お母さんの叫び声が聞こえてくる。 今日ぐらいはそっとしておいて欲しかった。 「気味が悪いぐらい森の中に居て。そのまま帰ってこなきゃいいのに!」 「あの子、木の板を本だって言って読んでいるのよ。こっちまで頭おかしくなるわ」 「もうこんな森、火をつけちゃってよ。もう何もかもいらない!」 お母さんの言葉は何度も何度も私を切りつけた。 でも歯を食いしばって何とか耐えた。大丈夫いつもの事だ。 でもそれに続くお父さんの言葉に衝撃を受けた。 「あの森はすべて切り倒される。強制執行されるんだ」 その言葉はすべてを押しつぶすに十分だった。 それだけはさせない。
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