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第5章 一冊の本と図書館
お父さんを見送ると、コノハは膝から崩れ落ちるように倒れた。
咲良が悲鳴をあげ、コノハを抱きしめた。
「あ、咲良、大丈夫だよ」
「大丈夫じゃないでしょ」
強がりを言うコノハを叱りつけ、抱きしめる腕に力を入れた。
咲良は自分の中にあるエネルギーがコノハを癒してくれるよう思いながらコノハを抱きしめ続けた。
図書館の中に入って休もう。
そう思って入り口を探すが見つからない。
咲良はゆっくりとコノハを樫の木の寄り掛からせて座らせた。
そして樫の木を一周したが、入り口はおろか勝手口すら見つけられなかった。
木ノ図書館は消滅してしまった?
咲良は心を握り潰されそうになる不安と戦いながら、もう一度木の周りを調べ出した。
木肌に触れるほど顔を近づけ、どんな些細な変化でも見落とさないように注意深く調べた。
結果は変わらなかった。
咲良の両目からは涙が出て溢れ出た。
あんなに大丈夫だった図書館はもうない。
その事実が突きつけられただけ。
「コノハ、図書館が・・・ないの」
言葉にしたら現実になってしまうようで怖かった。でも伝えないといけない。
コノハは悲しそうに目を伏せた。
コノハが泣かないから、その分咲良が涙を流した。
誰にとっても大切だった図書館が消滅してしまった事実が胸を締め付けていた。
咲良の涙がコノハを濡らし続けた。
その時小さな奇跡が起こった。
樫の木の幹にろうそくほどの小さな光が灯った。
その灯りが消えた時には穴が開いていた。
咲良はその穴を覗き込むとあっと声を上げた。
そこにはミニチュアの木ノ図書館があった。
サイズこそ人形遊びぐらいだが、たしかに見慣れた光景そこにあった。
「コノハ、見て。図書館がある」
コノハはゆっくりと起き上がり、同じく穴の中の図書館を見ると大きく目を見張った。
「どうして・・・いや、咲良のおかげか」
「え、私がどうかしたの?」
「咲良のお蔭で図書館が復活した。いや、新しく生まれたって言っていい」
「え、じゃあ、これ本物なの?」
咲良の問いかけにコノハがうなづくと、小さな図書館に手を差し込んだ。
そしてつまみ出したのは小さな小さな木のかけらだった。
コノハがふっと息を吹きかけると、本となって現れた。
咲良が弾き飛ばし、床に落ちていた本。
『ノルウェイの森 下』がコノハの手の中にあった。
「読むかい?」
コノハの問いかけに咲良は頷いた。
「咲良が新しい図書館の利用者第一号だね」
そう言われてとても嬉しかった。
「ごめんとても疲れた。少し寝る」
コノハがそう言って横になったので、咲良はコノハの頭を膝の上に乗せた。
コノハは少し驚いていたようだけど、そのうち寝息を立て始めた。
咲良はコノハを起こさないよう本を読み始めた。
主人公が入院した女の人の背景を知ったり、センセイに起こった聞いたりした。
どうしてこの人は他の人の人生を背負い続けるのだろう。
みんな不器用でもがいて、苦しみながら生きている。
そんなおり、主人公に彼女が出来る。
とても個性的で、あっけらかんとしている。
この小説で始めて『生きている』人が出てきたような気がする。
少し言動が変だが、実際に生活して、お父さんの介護して、自分のお店の本屋さんを手伝い彼氏と会っていたりする。なんて忙しい人だ。
そんな女の人が彼氏を捨てて、主人公のもとに来る。
なんでだよ?
咲良は素でツッコミを入れたくなった。
幾度かページを遡り主人公とこの女の人のやり取りを見返したが、悪の手先から救出されるとか、大金持ちのおぼっちゃまだったりとか、最強の力を持つ勇者であるわけではなかった。
やったことは、病室でキュウリを食べたり物干し台から火事を眺めたぐらい。
それなのに主人公に惹かれ出す。
さっぱりわからない。
もしかしたら、大人になったら分かってくるのかな。
主人公は好きと言ってもらえているのに、入院している女の子との間でフラフラと揺れ動く。
いい加減にしろと言いたい。
彼女もそんな主人公に呆れて離れてしまう。
離れてから彼女のことが大事だったと気づく。
そうこうしているうちに、入院している女の子を失ってしまう。
ひどい喪失感の中、しばらく放浪し海岸で慟哭する。
やはり11歳の咲良には分からないことが多すぎる話だった。
また数年して読み返したら、感想が変わるのかな。その時を楽しみに待とう。
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本を読み終わってからしばらく、咲良は周囲の様子を眺めていた。
近いうちに変わってしまう風景を、木々の葉の一枚まで記憶しておきたいと思った。
葉を揺する風の音。少し賑やかな虫の鳴き声も、愛おしいものとして心に書き記していく。
コノハの緑の髪を撫で、疲れ切った寝顔を見つめる。
コノハをゆっくり膝から下ろすと、咲良はコノハの唇に自分の唇を重ねた。
どうしてそんな事をしたのか、咲良にも分からない。
その時の感情にどんな名前がつくかなんてどうでもいい事だった。
閉じていたコノハの瞼がゆっくりと開かれた。
咲良は慌てて身を起こした。自分の顔がひどく赤くなっていることは自覚している。
そんな咲良を知ってか知らずか、コノハは呟いた。
「ありがとう、咲良。君が居てくれたから戦って来れたし、この先も森の変遷を見守っていく覚悟も出来た」
咲良は自分がしてきたことは間違いじゃなかったと、嬉しく思った。
「咲良、今日はもう遅いから帰った方がいい。僕も少しの間休んで、図書館の復活の為の元気を回復させるよ」
「うん、分かった。今日は帰るね。バイバイコノハ」
気恥ずかった咲良は、家路に着くことにした。
「バイバイ。咲良。本当にありがとう」
コノハが言うのに合わせ咲良はブンブンと手を振った。
次の瞬間、あたり一帯からコノハの気配が消えた。
咲良は自分が見落としていたことに思い至り、慌てて樫の木に駆け寄った。
そこに立っているのは、なんの変哲も無い古い樫の大木だった。
もちろんコノハも居なければ、図書館も無い。
コノハは少しの間だけ休むと言った。
コノハにとって『少しの間』とはどれぐらいの時間なんだろうか。
少なくとも咲良が大人になるのに十分な時間が経過するだろう。
「コノハのバカ、起きろ!」
咲良は樫の木を叩き続けるが返事は無かった。
咲良の叫びはやがて慟哭となって、森の木々の間に吸い込まれていった。
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