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ヒグラシ
カナカナと澄んだ音が響き渡る。窓の外には赤く美しい太陽が煌々と輝いている。
僕は窓の鍵へ手を伸ばす。仄かにひんやりとした感覚が指先に伝わり、少しだけ心地良さを感じた。ほうっと息を吐いて、指先にぐっと力を込めるとカシャンという音が聞こえた。
「あれ? 窓開けるの?」
隣で携帯を操作していた水琴が顔を上げて僕を見つめ、問いかけた。彼女の吸い込まれるような空色の瞳と僕の視線が絡み合う。
「うん。少し、寒くなっちゃってさ」
「確かに……冷房が効いてるもんね」
僕は空間を隔てている銀色のサッシに手を掛け、横にスライドさせる。カラカラカラと小気味よい音を立てて、透明な硝子は重なった。瞬間、ふわり、と生暖かい風が僕の横をすり抜ける。
「もうすっかり夏だね」
「そうだな。いつの間にか春が過ぎてた」
「ふふっ……どこか未練がましい感じだね」
水琴は白くて細長い指を唇に当て、眼を細めて声を洩らす。楽しそうな笑顔に胸の奥がきゅっと締め付けられるようにチクチクと痛む。
「ああ。本当は、まだやり残したことがあったんだ」
「あはは……でもまあ今からでも間に合うんじゃないの?」
「……もう遅いんだよ」
「えぇー、そんなに落ち込むことなの?」
「……僕にとっては、ね」
「まっ、きっとまたチャンスが来るって!」
「じゃあその時を楽しみにしてるよ」
いつも通りの屈託のない笑みを浮かべる彼女は、僕から目を逸らし、また携帯に夢中になった。
僕は彼女が携帯で楽しそうに会話しているのをただ眺めていた。ついこないだまでは僕に向けられていたその顔を思い出す。
栗毛色の柔らかな髪と澄んだ青空のような瞳。僕より小さい彼女はいつも見上げるようにして僕のことを見ていた。その顔はいつだって笑っていた。
「……君の一番で居たかったな」
小さく呟いたその言葉は夏の音に掻き消されて消えていった。
「ん? なんか言った?」
「ううん、何も」
いつも通り、変わらない笑顔で僕は答えた。今まで通りの僕達であるために。
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